2022.01.16 Inter FM「Daisy Holiday!」より
H:こんばんは、細野晴臣です。さて今週は、昨年11月に雑誌TV Bros.のために行った岡村靖幸さんとの対談をお聴きいただきます。昨年その一部をオンエアしましたけど、かなり長い時間話していて1回では収まらなかったので「また来年」と予告していました。では、その対談の続きをお聴きください。
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岡村:んー…でもさっき言った、音のイコライジングとパンニングとコンプに関しては延々悩んでいて…何歳になったら悩むのをやめるんだろう、と思うぐらい。
H:いや、ないでしょ。キリがない。
岡村:そうですか。うーん…
H:昔ね、YMOの頃に…自分が作った曲は自分が主導してミックスしたりするでしょう。でも、バンドの場合はみんなそれぞれ自分の音が大事じゃない?そうするとミックスが終わらないんだよね。
岡村:そうですよね。もっと上げたい、ってなりますよね。
H:そうするとグルグル輪廻しちゃう(笑)だからミックスもキリがないんだよね。可能性は無限なのに、一つに絞って決めなきゃいけないでしょ?それが僕にはつらいんだよね。放っておきたいんだよ、ほんとは。ミックスしたくない(笑)
岡村:そうですよね。でも細野さんは引き算のミックスで…余計なものはだんだん削っていって省いたり、要らない周波数帯を削っていたり。すごく整理されてるような。
H:そうですね、最近はそうかな。でもね、自信がないの。なんでかと言うと…歳でしょ?耳が衰えてるんじゃないか、と。例えばコンビニでピーッという高周波を出したりして撃退してるでしょ?それ聞こえたことないし(笑)
岡村:してますね(笑)僕もそうですね。
H:だから高音はどうしても…変な周波数がピンピンしちゃうんで、そこは落としちゃったりする。でもそれは人によっては甘く聞こえるんじゃないか、とかね。不安なままやってるんですよ。ぜんぜん自信がないの。だから誰かに任せた方がいいのかな、とか。時々思いますね。
岡村:僕も思います。
H:任せたことは?
岡村:ありますあります。
H:あるんだ。この際ね、日本から出てどこか外国でミックスしたいな、とかね。また違うアプローチだから。
岡村:今はネットとかで、けっこう有名なミキサーたちが「やりますよー」って。だから細野さんだったら世界中のミキサーが喜んでやりたがるから…そこからチョイスっていう世界もありますね。
H:そうだそうだ。あー、でもね…任せるというのはどうもダメかな(笑)
岡村:任せるというよりは、やりとりですね。
H:だったらできるかな。んー。でも現場を見たいんだよね。
岡村:それはいいですね。
H:その優れたエンジニアのやり方を見てみたい。
岡村:たしかに見たいですね。
H:ずーっと日本でやってたから。自分だけでやってると、まぁ狭いというか。今はすごくそれが知りたい時期になってる。
岡村:そうですよね…わかります。
H:でもやっぱり、音を追求してるのがよくわかりますよ、聴くと。なんと言ったらいいか…タイトな音ですよね。
岡村:ほんとですか!僕はやっぱり細野さんの影響下にいて…細野さんがスライ(Sly & The Family Stone)がいい、とずっと仰っていて。僕はプリンス(Prince)が好きなんですけど、プリンスはスライの影響下にあるので…だから僕の中では全部つながってるわけです。細野さんがスライがいいと言ったら、スライがいいと思った僕はだんだんプリンスを好きになっていくという…これは僕の中では物語が繋がってるんですけど。
H:なるほどね。いやー、スライは相変わらずすごく好きですね。
岡村:カッコいいですよね。
H:ああいう音が出したくてしょうがない。
岡村:そうですよね。『暴動(There's A Riot Goin' On)』もそうですけど、その次の『Fresh』。『Fresh』にはすごく細野さんを感じますね。
H:うわー、ほんと?わーい(笑)
岡村:いやいや、ほんとです(笑)
H:初めて言われたね、そんなこと。
岡村:あ、ほんとですか?めちゃめちゃ感じますけどね。
H:あんまり表立ってファンキーなことはやってないからね。最近。
岡村:ああ、最近…でもファンキーですね。日本にファンキーを広めたのは細野さんじゃないですかね。
H:え!言い過ぎでしょう(笑)
岡村:いや、言い過ぎじゃないですね。YMOの中にもたくさん滲ませてたし。やっぱりそれで少年少女たちも「あ、これがファンキーなんだ」とか。スネークマンショーの最後の曲聴いてもすごくファンキーだったし。少年少女たちはみんな細野さんでファンクを学んだような気がしますけどね。
H:そっか。そう言われてみると、いまだに忘れられないファンクな名曲というのがいくつかあるからね、
岡村:『ほうろう』とかいまだに若い子達が聴いてますけど。ああいうのを聴いて日本語とファンクの融合みたいなものを学んだような気がしますし。はっぴいえんどの頃から…例えば"相合傘"とか。ファンクでしたよね?
H:そうですね。その前から聴いてたのはそういうものばっかりでしたから。
岡村:今はないですね。今の若者たちは…
H:ないですし、[その範となるような]ファンクの名曲がないんですよ、今は。出てこないんで。流行ることもないし。深堀りしていって自分で見つけて聴くしかないから…僕はラジオをやってるんで、そういうものをこれからも流していきたいと思うんですよね。
In Time - Sly & The Family Stone
(from『Fresh』)
TV Bros.前田:岡村さんが細野さんのことを「色気がある」と仰ってるのは…さっきは音楽について色気があるとお話しされてましたけど、主に音楽だけですか?
岡村:音楽、声、もちろんそうですね。あとは香りがするような音楽というか…まぁ聴いてもらえれば一発でわかるんですけど。あとは色気があって、妖しいですね。妖しい音楽。「はいはい、こうやって作ったのね」じゃなくて、「どうやって作ったんですかね!これ!」みたいな(笑)
H:そういえばいつも、なんか新しい音楽を作るときは今までやったことは忘れないとできないな、というのはありますよね。白紙に戻って、なんにもできない自分に戻らないと。
岡村:そうですよね。当時、リアルタイムで聴いた『フィルハーモニー』はすごくビックリしました。細野さんがずっと持ってらっしゃるファンクな感じとか、非常に凝ったコード進行とかを一度白紙になさって。非常に実験的な音楽を作られて…あれはビックリしましたね。ジャケットも含めて。
H:ヘンテコリンなものを作っちゃったな、というかね。
岡村:いや、すごいですね。多岐にわたりすぎてて、細野さんはこうですね、とは言えないですけど…でもまぁ、この短い時間で僕がメッセージとして伝えたいのはやはり「色っぽい」ということですね。
H:そうか。自分でもちょっとそれを研究してみようかな(笑)
岡村:(笑)
H:その色っぽさというのがどういうことか、考えたこともなくてね。
岡村:そうですか。
H:うーん…まぁ考えないほうがいいや。妙にエッチな音楽になっちゃうから(笑)
岡村:(笑)
前田:岡村さんは自分でも色気を出したい、という節にしてるところはあるんですか?
岡村:そうですね。僕もがんばりたいですね。いい音楽は全部色っぽいと思いますしね。細野さんの音楽は色っぽいだけではなくてミステリアスなので、謎の色っぽい女みたいな感じで…ほんとにファム・ファタールの世界の感じなんだけど。
H:女なんだね(笑)
岡村:色っぽさだけで言うのであれば、音楽は全般色っぽくあるべきだし、とは思います。
H:そういう意味での色っぽさというのは大事だよね。色気ね…決してセクシーな意味だけじゃないからね。
岡村:そうですね。
前田:そういえばさっき、ここに来るまでに岡村さんと話したんですけど、細野さんはスライとかの話はよくするけれども、ビートルズの話ってあんまりしないんじゃないか、みたいな話をしてて。。
H:そうなんだよ。誰も訊いてくれないと喋らないんだよ(笑)
前田:岡村さんはすごくビートルズが好きで…
H:それはそうですよ。影響を受けてない人は稀というか…不思議な気持ちになっちゃうよね。
岡村:ビートルズとかスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)についてあんまり喋らないのは、野暮だみたいなことですか?
H:いやいや!そんなことはないですよ。他に喋ることがいっぱいあって間に合わないんですよね。あとは誰も訊いてくれない、質問してくれないというね。
岡村:んー…
H:今このDaisy Holidayで月1でね。「手作り」と言ってるんですけど…1960年代を特集してて。はっぴいえんどが出来るまでの間にどんなものを聴いてきたか、という特集をやってるんですね。そこで60年代のすごさというのを今、改めて見直してて。すごい時代なぁ、と。濃密すぎて手に負えないんですよ。幅も広いし、1年ごとに色んなことが起こっていて。それに比べて今は1年ごとに何も起こってない(笑)
岡村:そうですね(笑)
H:だから、その中にはもちろんビートルズもいるしね。あらゆる音楽がそこに詰まってるんで。
岡村:やっぱり細野さん経由で知ったんですけど、Dr. Johnの『Gumbo』とかも…なにとなにとなにをごった煮したらこんな鍋ができたよ、みたいなものはビートルズにも感じたし。インド音楽を入れたり、急にクラシカルな和音を入れたりとか。60年代はごった煮の音楽とか、これとこれを混ぜちゃったのか、みたいなものに関して…本人たちもテープループを使ったり、実験音楽の影響を受けてみたり。
H:そうそう。非常に実験的な時代だったんだな、と思って。
岡村:そうですよね。まだフランジャーをジェットマシンとか呼んでいた頃のエフェクターとか…みんな新鮮だったでしょうね。
H:なにもかも新鮮だったね。だって最初のバンド、エイプリル・フールの頃は2トラックみたいな世界でしたよ。レコーディングは。で、次に作ったときは4トラックになってたり。はっぴいえんどは8トラックか。それで次は16トラックになっていて…倍々に、1枚作るごとに変わっていって。追いつかないわけではなくて、すごくワクワクしてましたね。すげぇなぁ、と思って。
岡村:細野さんの音楽も変わっていきましたしね、その度に。
H:マルチの時代になるといっぱい音を入れちゃうという癖がついちゃったけど(笑)
岡村:そうですよね。でも、逆に削ぎ落すみたいなものもたくさん作られましたよね。
H:そうですね。音が多いのはちょっと…歳とともに疲れてきたというか。今ではギター1本でもいいくらいだな、と思って。昔は非常に音響にこだわってたけど。バランスとかね、ドラムサウンドの場合は特にそうですけど。最近はなんか…歌を前に出して楽器を引っ込めて、ギター1本でもいいという気持ちにはなってるんですよ。自分の中で変わってきてるのはそこら辺かな。昔は声をいかに引っ込めて聞こえるか、という時代があったんですよね。それをいま聴くと小っちゃすぎる…と思って。聞こえにくい(笑)
岡村:歌声が素晴らしいですからね。僕からすると…色んな時代の音楽を経られて。アンビエントの時代も経て。そういうものが全部血となり肉となって…たとえばスタンダードとかカントリーっぽいことをやっていても、音響の裏の中では実はそういうものがうごめいていたり。ミステリアスという話に戻るけど、やっぱり感じるんですよね。ギター1本でもいいんだよね、と一見聞こえていても…
H:その通り。実はこだわってたりね、するんですけど(笑)
岡村:すごくそういうものを感じます。
H:まぁ、見抜かれてるな。
岡村:だからこそ今、海外の青年たちがディスカバーしがいがあるし。おもしろいおもしろい!というのはさもありなん、という感じですけど。
H:なるほど。作った当時はなんの反応もなかったんだけどね…(笑)
岡村:ネットがないですしね。
H:そうなんです。日本で『フィルハーモニー』とか出しても、なんの反応もないですからね(笑)
岡村:そうですか?そんなことないですよ。みんな一大ショック受けてましたよ。
H:そうか。まぁ、そういう反応を知るすべがないしね。
岡村:すごいスピードで作られてましたしね、アルバムとかも。
H:そういえばそうですね。
岡村:『フィルハーモニー』なんて特にそうなんじゃないですか?YMOと同時進行ですもんね。
H:まぁそうですね。YMOはほとんど終わりかけてたので。
岡村:僕も昔、1年に1枚くらい出せた頃はよく出せてたなぁ、と思って(笑)今じゃ考えられないんですけど。
H:今はどういうペースですか?
岡村:今は3年に1枚出ればいいんじゃないですかね…細野さんはそれ以外にもYMOをやって、ソロをやって。他の人の作曲、アレンジ、プロデュースもやってたし。ご自身で振り返られるとすごいスピードで作られてたと思いますよ。
H:よくやってたね。信じられない。なんだろうなぁ…今はできないからね、そういうこと。
岡村:YENレーベルやったり、若者を発掘・応援したりとか。すごいスピードの中で
H:そんなエネルギーはないんですけどね。
岡村:周りに集まってきちゃうんじゃないですか?おもしろい人が。で、「君、いいよ」みたいな。
H:そういうことはありましたね。
岡村:そういうことがずーっとあったんじゃないですか?
H:まぁひと頃、30代・40代はそんな感じでしたけどね。やっぱりまた一人になって…アンビエントの頃から閉じこもっちゃったんでね。誰にも会わずに。それはそれですごい、違う世界が見えてきて。世界中にそういう人たちがいるというのはおもしろかったんですね。
岡村:アトム・ハート(Atom Heart)さんとかともやられてましたね。
H:そうそう。機材がグッと安くなって、みんな自分の部屋でベッドルーム・レコーディングみたいなことをやり始めて。それがとっても刺激的なんですよ。おもしろくて。
Plug-in mambo - HAT
(from『DSP Holiday』)
前田:ちょっと個人的にお聞きしたいことがあって…
H:うん。
前田:前のインタビューではっぴいえんどをやられていた時に細野さんは年長組のほうで。じゃあ年長組だからリーダーシップを発揮していたのかというと、いや、実はそうではなくて、流れのままにやっていたらああいう形になったんだ、というお話をされていて。それが記憶にあったまま、ついこないだ『Sayonara America』のインタビューかなんかで「水の流れのように自分は生きてきたんだ」というお話をされていて。で、その話つながったんですけど。そういうのは流れのままに生きてきて、紆余曲折があってやっぱりまた流れのままに戻ってきたのか、もうずっと流れのままでやってきたのか。これはどっちのほうなんだろう、と思ってたんですけど。
H:あのね…なんか流されてる感じはあんまり好きじゃなかったんだけど。たとえば計画を立てて今度はこうしよう、とすると全然うまく行かないんですよ。計画通りにいったことがない。自分に計画は向いてないんだ、と。それでまた改めて流れていくようになったんですけど(笑)それはもう生まれながらの性質なのでしょうがないな、と。で、流れていくというのは意思があるんだけど、実際は「流されている」という感じが強いですよね。昔は「流れていくんだ!」と思ってたんだけど、流されてるだけなんです。だから、なんだろうな…これもエントロピーなんですよ。川から海に向かっていく、という感じですね。
前田:では、意志の力でなにかを突破するんだ、という感覚は薄いということなんですかね。
H:それはたぶんAERAの取材だったと思うんですけど。そう言ってちょっと後悔しちゃったんですけどね。自分は意思が弱いとかね(笑)でもね僕、糖尿病の初期だったんですよ、ずいぶん前。その頃から歩き出したんですよ。医者に1日6000歩は歩け言われてその通りやってたのね。そしたら見る見るうちに血糖値が下がって。診察を受けたら「君は治ったよ」と。え!糖尿病って治るのかな?と思って。そのときに「意志が強いですね」と言われたのね(笑)
2人:(笑)
H:うーん、まぁ意志は強いけど気は弱いな、と。そんな感じです。
前田:岡村さんはどうなんですか?意志は強いとか。
岡村:意志が強いか…
H:意志は強いと思うよ、たぶん。音楽をやってるということだけでも意志が強い。
岡村:妄信はしてます。迷いがあるとやっていけない世界なので、妄信してます。妄想、妄信…妄想妄信通信でやってます(笑)あまりロジカルに考えすぎないように。
H:それは僕もおんなじかもしれない。自分でレールを敷いてそのように生きていく、というのはできないんだよね。
岡村:なんかほら、話をまとめの方向に持って行きますけど。僕が細野さんの音楽に感じたセクシーさ、ミステリアスさ。音楽にそれを感じるということは、細野さん自身も不可思議な気持ちになりたくて音楽を作ってると思うんですよ。ミステリアスな気持ちになりたくて。それが音に表れてるし。だから音楽を作ってることに飽きたくないので、常にミステリアスな感じでいたいなとは思います。細野さんの音楽を聴くとそれを一番感じます。
H:そっか。そろそろ新作を作るんだけど…できるかな(笑)
岡村:最後にお伺いしたいんですけど、そういうのって自主的に決めるんですか?そろそろ新作作るか、とか。今までの歴史でも。
H:うーん、いつも後回しで…若い頃はぜんぜん作るチャンスがなかったんですよ。YMOやってるときは作れないな、と。で、終わりの頃に『フィルハーモニー』を作って。それからは数年ごとに作ってましたけど、この10年ぐらいは毎年出したりしてたこともあったり。わりと創作意欲というものが出てきてますね。
岡村:いいですね。
H:だから…僕は7月9日生まれなんですけど、数年前のその日に…その翌日かな?7月10日にライヴがあって。9日の誕生日で僕は引退しました、引退後1回目のライヴです、と(笑)
岡村:あー、それ僕観ました。
H:観た?観てたんだ(笑)
岡村:浅草で観ました。
H:あ、そうです。浅草公会堂でね。それだ。観てたんだ。
岡村:なんかマンボチャチャみたいなので出てきました、細野さん。
H:そうそう…こんな締めでいいのかな(笑)
岡村:(笑)