2020.09.20 Inter FM「Daisy Holiday!」より
H:細野晴臣です。今週も先週に引き続き、高木完くんとのお話をお送りします。
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高木:ダンスミュージックの話をずっとしちゃっててアレなんですけど。
H:うん。
高木:細野さんのソロアルバムと…はっぴいえんどからソロのやつをずっと聴いてたんですけど。
H:はい。
高木:意外と…意外とって言うとアレですけど、リズムボックスも早くから取り入れてたじゃないですか。
H:そう、かもしれないな。
高木:リズムボックスを楽曲、というかベーシック[トラック]に取り入れて作り始めたのはいつぐらいが最初だったんですか?
H:最初はいつだっけなぁ…えーとね、やっぱりスライ(Sly & The Family Stone)の影響が強いかな。
高木:あ、そっか。
H:興奮したんだよね、あれを聴いて。『Fresh』だな。うん。あれはもう…あんな音楽を作りたいと思ってリズムボックスを買ったんですよね。
高木:最初に購入されたのはどこのですか?エーストーン(ACE TONE)とかそういうのですか?
H:いや…どっかのスタジオにあったエーストーンのスピーカーがついた箱型のね、初期のやつがあって。ホントはそれがいちばん良い音だったんだけど、もう手に入らなかったんだよね、当時。買おうと思ったら無くて。で、IC化されてコンパクトなリズムボックスを買って。それを使ってたりして。
高木:それは日本製ですか?
H:日本製。ぜんぶ日本製。それは日本にしかなかったんじゃないの?ああいうの。
高木:マエストロ(Maestro)のやつを僕…後から買ったりして。
H:あー。新しいね、そりゃ。
高木:それは新しいんですかね?(笑)そっか。日本製だとドンカマティック(DONCA MATIC)とか、そういう名前のやつが…
H:あー、ドンカマっていうのはスタジオで[リズムを]キープするために使ってただけでね…ドンカマはそんなに好きじゃなかったけど(笑)使い方がね。
高木:リズムボックスはそのドンカマのものとは[違う]…?
H:うん。プリセットがいっぱいあってね。マンボ、ルンバとか。そのプリセットでやってるわけで。スライもよく聴くとそういうプリセットで使ってるよね。んー。
高木:あのリズムボックスの音をスライで最初に聴かれたときに「うおっ」っていう新鮮さがあったという感じなんですかね。
H:あったねぇ。
In Time - Sly & The Family Stone
(from『Fresh』)
H:それを聴くまで数年…1年ぐらいかな?バンド仲間の鈴木茂とレコード屋のヴィンテージコーナーに行っちゃあジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)とか、フレッド・アステア(Fred Astaire)とか。1930年代ぐらいの音楽を集めてたんだよ。なんでだか。
高木:ほうほう。
H:打ち合わせも何もしてない、たまたま鈴木茂もそういうことをやってた。で、あるとき、1年ぐらい経ってね。2人でね、「僕たちこのまんまでいいのかな?」って鈴木茂が僕に言うわけ。「新しい音楽聴いてないけど…」って(笑)
高木:レコード選びながら…(笑)
H:そうそう(笑)そういうときに『Fresh』を聴いちゃったんだよね。新譜が出たわけだよね。それで茂もそうだし、僕も目が覚めたというかね。ビックリしちゃった。戻れたんだよね、今の時代に(笑)
高木:ジョージ・ガーシュインから。
H:そうそうそう(笑)
高木:でも、それが混ざっちゃったりしてる感じがあるじゃないですか、細野さんも。
H:混ざってるねぇ。
高木:それがおもしろいですよね。で、最近細野さんも初期のアルバムを作り直したりとか、昔やられてた曲をライヴでやられたりするじゃないですか。
H:はい。
高木:だからいま思うと、1970年代の終わりから80年代…70年代も最初のYMOのアルバムは細野さんの流れがあるんですけど。その途中のメガヒットした頃のだけがもしかしたら異色というか…細野さんがやられてきた中で、雰囲気が。
H:そうだね、異色だね。それは坂本くん(坂本龍一)にとってもそうだろうし。みんなそれぞれ異色の時代だった。特に僕はプロデュースの立場をすごく意識してたから。
高木:なるほど。
H:言い出しっぺだし、「うまくやっていかないといけない」という重圧があったわけだ。プレッシャーというかね。
高木:うーん。
H:だから自分のことをあんまり考えなかった。みんなの持ってきたものをデザインしていく過程を…まぁデザイナーチームみたいな感じだったね。そういう意味で異色だったのかも。
高木:あ、それで…いま仰ってた「デザイナーチームみたい」っていうところで最初は横尾さん(横尾忠則)もメンバーに、という話が…
H:そう。ホントに[横尾さんは]入るって言うから…あ、やるんだ、と思って(笑)記者会見があるから来てください、って言ったら…来ないんだよ(笑)
高木:(笑)
H:まぁでもぜんぜん驚かなかったけどね。
高木:あー、来ないだろうな、と思われてたんですね。
H:うん。半分来ないかな、と思ってた。
高木:その前にアルバムを作られてますもんね、おふたりの名義で。
H:そうそう。それがまぁ、初めてコンピューターを使ったアルバム。『COCHIN MOON』というやつで。
高木:あれもビックリしたなぁ、後から聴いて。こんな電子音楽なアルバムを作ってたんだ、アンビエントとかやる前に…
H:やってたんですよ、めちゃくちゃなアルバム。自分でもよくわかんないんだよ、あれ(笑)
高木:あれはどういう気持ちで…気持ちって言ったら失礼ですけど(笑)
H:(笑)
高木:どのノリで録音されてたんですか?
H:あのね…その前に1か月くらいインドに行ってたでしょ?
高木:はい、おなかを壊した事件の。
H:そう。横尾さんと一緒におなかを壊して。で、奇跡的に…ヒーラーの女性がいてね。マドラスの領事の奥さんなんだけど。
高木:え?マドラス?
H:マドラスっていう場所ね、港町。マドラスの模様っていうのはインドのマドラスの地方の模様なんだけど。その人に治してもらったりして、1か月の旅がすごく濃かったんだよね。
高木:んー。
H:それをまとめて『COCHIN MOON』というものにした。
高木:その奥さんってヒーリングというか…ハンドパワーって言うとアレですけど(笑)
H:そう。こっちは治された側だから…病気だっていうのを嗅ぎつけて領事の旦那がホテルまで来て、「あなたたち、死にますよ!」って脅かすわけだ。
高木:こわい。
H:「肝炎で死にますよ」。
高木:え。
H:ビックリしちゃって、死んじゃうんだ…と思って(笑)
高木:(笑)2人でですか?
H:そうそう、2人で。横尾さんと2人で。
高木:(笑)
H:で、帰ろうか、なんて言ってたのね。そしたら一行の仲間たちからなじられるわけだ。「弱虫!」な
てね。
高木:え、一行って他にもいたんですか?
H:いたの。5,6人いたのかな。
高木:おふたりだけじゃないんですね。
H:じゃないの。うん。
高木:じゃあ、他にカメラマンの人がいたりとかしたんですね。
H:そうそうそう。
高木:それがみんな「弱虫」とか…(笑)
H:そう(笑)
高木:他の人たちはおなか壊してないんですか?
H:元気でねぇ、あちこち飛び回ってたね。
高木:飛び回ってた…(笑)
H:で、僕と横尾さんだけホテルに閉じこもって…今とおんなじだ、Stay Home…(笑)
高木:おうち時間(笑)お水ですかね?
H:あのね、原因はわかってるんだよ。氷水を噛んじゃったんだよ、僕は。
H:そう。みんな、ウイスキーの水割りで飲んでたりする人たちは平気だったんだよ。あれはなんだろうね?
2人:アルコール消毒。
高木:ユニゾンになっちゃった(笑)
H:で、たぶん僕だけ当たっちゃった。
高木:お水と氷だけだったから。
H:そうそう。
高木:横尾さんもお水と氷だけだった?
H:たぶんそうだと思うんだけど。ちょっと原因がわからないね。僕より軽症だったんですけど。僕は重症でした。
高木:そのときの奇跡の復活が『COCHIN MOON』の音に…(笑)
H:そうそうそう。
HEPATITIS - 細野晴臣
(from『COCHIN MOON』)
高木:細野さんの作品って初期のも聴いていくと、ところどころでドラムのパターンがいろいろ出てくるな、というのがあって。
H:うん。
高木:やっぱりすごい印象的なのが…セカンドライン・ファンクっていうんですかね。ニュー・オーリンズの。
H:あー、はいはい。
高木:あれがやっぱり…こんなにいっぱい多用してたんだ、という衝撃で。あのドラムビートというのは大きかったですか?
H:すごい大きいですね。子供のころからラジオでヒットチャートを聴いてたから。民放もそうだしFENもおもしろかったんですよ。で、ヒット曲の中にすごくユニークなのがいっぱいあったんですよね、昔は。今とちょっと違うというか、「ユニークすぎる」音楽がいっぱいあった。
高木:うんうん。
H:でも、後で調べるとぜんぶそれがニュー・オーリンズだったり。
高木:あ、なるほど。細野さんの子供の頃っていうと、それはいくつぐらいですか?中学生?
H:いやいや、小学校5,6年ぐらいから…
高木:え、そんなに前?
H:父親のトランジスタラジオを奪って…奪って、というか自分専用になっちゃった。で、寝ながら聴いてたの、夜中に。
高木:はい。
H:イヤフォンが2つ挿せる…今と違ってステレオじゃないからね。
高木:モノで?
H:モノで。2本のイヤフォンを両耳に挿して。そうすると頭のド真ん中で、良い音で聞こえるわけ(笑)
高木:あ、そうなんですか(笑)それはホントですか?
H:ホントホント。モノってすばらしい。
高木:モノ&モノでバッチリ、みたいな。
H:そうそう。モノっていいよ~(笑)そう、結構その影響あるね。音楽ばっかり聴いてたから、それで。
高木:そこでもうニュー・オーリンズとか、セカンドライン・ファンクみたいなビート感というか…
H:そこまでは考えてないけど…まぁポピュラーソング、ロックミュージックの中にニュー・オーリンズ系のはいっぱいあったから。今思えば。
高木:まぁ、ブーガルーとかに反応されたということは、そういうリズムパターンがおもしろいと…
H:そう、リズムが大好きなんだね。だからパーカッションやればよかったな、と思って。ドラムとか。
高木:あ、でも…その話で訊きたいことがあるんですけど。小山田圭吾くんから聞いた話なんですけど、オノ・ヨーコさんのイベントで…
H:(笑)
高木:細野さんも参加されて、プラスティック・オノ・バンドでライヴをやったときに…どこかのライヴ会場の外でタバコを吸うところで、小山田くんと細野さんとリンゴ・スター(Ringo Starr)がタバコを吸ってて。
H:そうそう(笑)
高木:リンゴ・スターに細野さんが「ドラムやったほうがいいよ」って言われたっていう話を聞いて…(笑)
H:そうなんだよ(笑)
高木:その話がおかしくて…(笑)
H:アイスランドですね、場所は。で…いや、リンゴはね、誰にでもそう言うんだと思うよ。
高木:え、そうですか?(笑)
H:「君、ドラムやったほうがいいよ」って。
高木:なんで?(笑)
H:まぁ、僕のステージを見てたことは確かでしたけど。ドラム…パーカッションしかやってないからね。ベースとパーカッションやってたの、僕は。
高木:あ、そのオノ・バンドで?
H:そうそう。それを見てなんでドラマーになれ、と言ったのかよくわからない(笑)
高木:リズム感じゃないですか?やっぱり。
H:そうかね(笑)いやぁ、リンゴ・スターのドラムはもう、彼にしか叩けないからね。
高木:そのときってリンゴもドラム叩いてたんでしたっけ?
H:いや、見に来てただけ。なんかセレブレーション…ジョン・レノン(John Lennon)のアニヴァーサリーみたいな。
高木:あ、そうか。アイスランドで。
H:そこにみんな招待されて、来てた人たちの一人ですね。
高木:その話を小山田くん…帰ってきてから楽しそうにしてくれたから(笑)
H:(笑)
高木:「これはウケるなぁ」とか、勝手に盛り上がってました。すみません。
H:いやー、おもしろかった。
高木:細野さんもご自分のソロアルバムとかはっぴいえんどとか聴くと、ドラムの音はすごく意識されてるんじゃないかな、と。バランスとか。
H:いやー、音は大事だよ、ベースもドラムも。
高木:リズム隊の。
H:すごい敏感。うん。なんだろうな…最近はわりと好みがはっきりしてきたけど、当時はカリフォルニアのバンドの音に近づけようと思ってたからね。
高木:うんうん。
H:いろんなタイプの音があるじゃん。チューニング低め、高めとか。どっちかわかんないんで中くらいにしたり。で、ラディック(Ludwig)っていうスネアが良い音だったりとか。それは松本(松本隆)の趣味だけど。んー。でもね、思ったようには録れなかったね。
高木:そうですか!でもなんか、おんなじというか、乾いた感じというか。
H:エコーつけてないだけなんだよね(笑)
高木:あ、そっか(笑)でもその感じが他の、当時の70年代の日本の…まぁ最初にも話しちゃいましたけど、他とはちょっと違うなぁ、と。
H:ドライなところはね。で、ドライって…なんだろうな、エコーをつけるとその時代の響きになっちゃうんだよね。特に、80年代に流行ったじゃない。ゲートをかけた…
高木:そうですね。ゲートリバーブ。ゲトリバって言ってたけど(笑)
H:バァー!ってやつ(笑)
高木:(笑)
H:あれ今聴くとやっぱりうわぁ…って思うんだよね(笑)
高木:そうですね(笑)いつかはまたおもしろいって思うときが来るのかな(笑)
H:だから、ああいうのをかけなかったら時代性がなくなって普遍的になるじゃん。
高木:そっか。カッコいいかもしれない。
H:だから、エコーは善し悪しだね。
高木:エコーで時代感が…
H:出てきちゃうね。特に流行りがあったりするとね。
高木:エコーがないほうが時代感を飛び越える…
H:うん。絶対そう思ってたんで、最近はもっぱら…ステージでもエコーは使わないっていう。
高木:んー。
Quiet Village - Martin Denny
高木:そうそう…細野さんに言おうと思ってたことがあるんですけど。
H:うんうん。
高木:かまやつひろしさんがお亡くなりになってしまう直前に僕、別の媒体でインタビューで話を聞きに行ったことがあって。
H:へぇ、いいね。
高木:そのときにかまやつさんに「スパイダースでマーチン・デニー(Martin Denny)とかエキゾチック・サウンドをやってたって本当ですか?」って[訊いたら]、「やってましたね~」って。いま真似しましたけど(笑)
H:懐かしいね(笑)
高木:って言われて、それはまぁハワイアンとかの延長もあって、と言われてたんですけど。「YMOで"Firecracker"やってたのは聴かれてましたか?」、「だから僕はね、細野さんに訊きたかったんだよ」って。「え、聞いてないんですか?その話」って言ったら「うん、訊いてない」って言ってましたけど。
H:(笑)
高木:で、そういう話はされなかったんですね。
H:してないなぁ。ミッキーさん…ミッキー・カーチスさんとはしたね。エキゾチック・サウンド。やっぱりミッキーさんはやってたね。
高木:あ、ミッキー・カーチスさん、やってたんですか!
H:やってた。
高木:ミッキー・カーチスさんはなにをそのとき…?
H:わかんない。なんか、自分のバンドやってたでしょ?
高木:あ、サムライズ?
H:サムライズの前かなぁ…
高木:サムライズはニュー・ロックですもんね。
H:その前になんか、そんなことをやってた…
高木:あ、そうなんだ。知らない!その話。
H:みんなね、そこを通ってるんだよね。あの世代は。
高木:エキゾチック・サウンド?
H:そうそうそう。
高木:え、すごい!日本のバンドの人はみんな通ってる?
H:通ってる。有名だったからね。"Taboo"なんかはそういう中の一つだよ。
高木:あ、「ちょっとだけよ」…それも古いか(笑)
H:そう。ドリフターズも。
高木:そっか、その選曲もそういう…
H:たぶんそうだと思うよ。うん。みんな通ってるから。
高木:なるほどね。
H:僕の世代は、記憶の中にあったの。ジャングルサウンドはラジオでよくかかってたな、っていう。
高木:あー、やっぱり。7インチとかも出てたんですよね。
H:そうだね。そういうジャングルのサウンドってすごい印象的になるんだよ、子供にとって。
高木:うんうん、なんか、ターザンじゃないけど…密林の。
H:そうそう(笑)あれこそエキゾチック・サウンドっていうかね。で、マーティン・デニーはそれでヒットしたからね。"Quiet Village"。まぁそんなような…彼ら先輩の次の世代としては、[YMOの"Firecracker"を]やってよかった、って思いますよ。
高木:だからかまやつさんにとっては…それこそ普通に、ヒット曲みたいな感じでやってたんでしょうね。
H:だろうね。そうそう。
高木:カヴァーとして。
H:うん。かまやつさんはね、さっき言ったニュー・オーリンズのヒットを…たとえて言うならリー・ドーシー(Lee Dorsey)の"Ya Ya"っていう曲をね、かまやつさんやってたんだよね。レパートリーの中に入ってたわけ。
高木:はー。え、スパイダースで?
H:スパイダースでやってたこともある。それがね…さすが!さすがかまやつさん。僕は尊敬してるんだよ。
高木:なんか仰ってましたもんね、細野さん。かまやつさんと一緒になんかやりたいな、と。
H:そうなんですけどね…呼んでも来てくれないんだよね(笑)
高木:そんなことはないと…(笑)
H:いま来てもね、どうやってセッションしたらいいんだ(笑)
高木:たしかに(笑)
高木:あとは…ヒップホップのアーティストでパブリック・エナミー(Public Enemy)というグループがあるですけど、彼らが来日したときに「日本で知ってるバンドは?」って訊くと「Yellow Magic Orchestra」って言うんですよ。
H:あ、ホント?
高木:いちばん最初に日本に来たときに、彼らにスタジオライヴみたいなのをやってもらって。
H:すごいね。
高木:まぁ、全員がマイクの前に立ってやるだけなんですけど(笑)
H:そっか(笑)
高木:そのとき、スタジオにピアノがあったんですけど、フレイヴァー・フレイヴ(Flavor Flav)っていうメンバーがいきなりそこで"Firecracker"を弾き出したんですよね。
H:弾けるんだ(笑)
高木:弾けるんですよ。彼はね、ドラムもやるんですよ。
H:器用だ…
高木:それだけでビックリしたんですけど、これはもしかしたら…アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)とかがYMOかけてたじゃないですか。
H:そうだね。
高木:あれがきっと耳に残って…子どもの頃に遊んでて。
H:だから…そうそう、リズム&ブルース系の人たちもみんな聴いてたね。"Firecracker"ね。アメリカでは。
高木:それはやっぱりYMOですよね。
H:そう。マーティン・デニーは知らなくてもYMOの"Firecracker"は知ってるから。
高木:そうなんですよね。その経緯って当時はどう思われたんですか?黒人たちが…「Soul Train」の最初の話もそうですけど。
H:アメリカのリズム&ブルースのチャートに入ったっていうんでビックリしたね、最初。そういうことなのか、って思って。で、マーティン・デニーから電報が届いたのは憶えてる。
高木:え?どういうことですか?
H:「ありがとう」って書いてあった(笑)
高木:あ、印税が入るから?(笑)
H:そうそう(笑)「脚光を浴びてうれしい」とかね。
高木:いやー、だいぶ長々と…すみません、相当長く話してて、時間もあっという間に…
H:あっという間に。
高木:そろそろ最後の話を…ちょっとだけしたいんですけども。
H:どうぞ。
高木:今現在コロナのこんな状況で、生活スタイルとか音楽の向き合い方などでなにか変わったこととか、いま感じることとかありますでしょうか。
H:そうね…こないだね、チリの監督が撮った短編映画『Gravity』っていうのに音楽をつけてくれって言われて、エンディングのクレジットに音楽をつけたんですけど、それを見てて。
高木:うん。
H:アンデス高原を車で突っ走って来る。子供を抱えた両親がね。お父さんが運転して。その少年がコロナにかかってるんだね。咳をずーっとしてて。病院に連れていく、っていう物語なの。全部で7分しかないんだけど。
高木:今現在の映画ですね。
H:うん、今の映画。柿本さん(柿本ケンサク)っていうプロデューサーが企画してね。音楽やってるのは日本人が多いんですけどね。3本ぐらいやったのかな?その中の1本で『Gravity』っていうのをやったんです。で、どんな音楽をつけてもね、合わないんだよ。
高木:その、少年の。
H:暗い…不遇っていうか。いろんなことが起こるわけ。羊の群れにぶつかっちゃったりしてね。急いでるのに前に進めない。で、悲劇が起こったりするわけだ。そのエンディングに「救われるような音楽」って言われても、できない、と思って…(笑)
高木:んー…
H:まぁ、やったんですけど。暗くも明るくもない音楽をつけたんですけどね。
高木:え、それは観たいし聴きたい…
H:いまでも観れると思うよ。無料配信してるし。
高木:あ、それはぜひ見させてもらいます。『Gravity』…
H:で、そのときにフォルクローレっていうのを検索してたの。ボリビアとかアルゼンチンとか、あそこら辺の民族音楽。検索してたら、そこにテイラー・スウィフト(Taylor Swift)が入ってきちゃった。
高木:え、フォルクローレで?
H:おんなじなんだよ、『folklore』。フォルクローレ(folclore)っていうのはスペイン語で。
高木:あ、フォークロアが「folklore」だから…テイラー・スウィフトが(笑)
H:それちょっとビックリしたんだね。なんだろう、この人は…グローバルな世界から違うところに来てるのかな、とかね。まぁ聴いたらね、そんなに変わってはいなかったけど。
高木:んー。
H:でも、自分の原点に回帰してるな、っていうのはわかるわけ。デビューの頃のね。っていうのは、あんなに売れてる人もそういう事態になってる、と。だから、みんなそれぞれいろんなことを思ってると思うんだよね。世界中の音楽家がね。
高木:うん。
H:で、僕はなんにもできなくなっちゃって。それ以外。白紙になっちゃってるんだよ、今。いままでやってきたブギウギとか、ぜんぜん自分でできない音楽になってきちゃった(笑)
高木:あ、最近ライヴでやられてたような?
H:そうそう。なんか変わったんだね。だから今は曲がり角なんだよ。みんなで曲がり角を右折だか左折だか知らないけど、曲がってるところなの。だからその先はわからない、僕には。個人に回帰していくっていうのがもっと強くなって、みんなで騒ぐっていう感じじゃなくなってくるんじゃないかな。
高木:そうですよね…騒ぐ感じはなくなりましたね。
H:ね。ずっとこれが続くのかどうかわかんないですけど、なにか変わっちゃったな、とは思うね。うん。スタジオで音楽作るのは相変わらず、おんなじことだからね。閉じこもってやってたから、変わんないんですけど。
高木:でもその中で作風というか、出てくるものは…
H:それが変わってきてるんじゃないかね。わかんないです。
高木:まだじゃあ、発表できるものはその『Gravity』以降は…
H:ぜんぜん考えてないね。ただ、毎月月初めにラジオを作ってるんですけど、それにちょっと表れてるかもしれない。気分が。
高木:あ、なるほど。
高木:たっぷりお話しして頂いてありがとうございました。細野さん、きょうは貴重で楽しいお話、ありがとうございました。
H:こちらこそ。ありがとう。
Ya Ya - Lee Dorsey