それで、いちばん最初にやり出したのはファッツ・ドミノ(Fats Domino)です。1956年に"Blueberry HIll"という大ヒットを飛ばしてから有名になりました。来日もしていて、それを僕は観に行った憶えがありますね。その中でボビー・チャールズ(Bobby Charles)という人が作曲した"Walkin' To New Orleans"。このボビー・チャールズという人が僕のあこがれの人でもあるんですね。ニュー・オーリンズではめずらしいホワイトマンです。他にはフランキー・フォード(Frankie Ford)がいましたっけ。
ところで、2005年にニュー・オーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナ。このときファッツ・ドミノは家にいて困ってたみたいですね。それを救ったのがボビー・チャールズだったという話です。それでは"Walkin' To New Orleans"、1960年。ファッツ・ドミノです。
ところで、小坂忠もつい先日亡くなってしまい…いろんな思い出があるんですが、その中で2001年に僕と忠で作った『People』というアルバムがあるんです。その中の"He Comes with the Glory"という曲。この詩をいま聴いてるとですね…この日をまるで予知していたような、不思議な気持ちになるんですね。彼はこの歌を葬列のときに流してくれ、という遺言があったということです。最後にその曲をどうぞ。
さて。そのアラン・トゥーサンの曲で"On Your Way Down"という。これを初めて聴いたのがリトル・フィートの1973年のアルバム『Dixie Chicken』に入っていました。それに続けてアラン・トゥーサン本人の歌声を聴いてもらいます。それが1972年に発表したんですね。続けてですね、繋いだんですけど…リー・ドーシー(Lee Dorsey)のヴァージョンがあって。これが1973年なんですけど、なぜかオケが一緒だったので繋ぎやすかったんです。これはラジオをやってないとわからないことだったんですね。では3曲続けて…繋ぎ目を聴いてください。
ではまず最初に、そのリバティー・レコード。低迷していたんですけど、ジュリー・ロンドン(Julie London)という元女優さんを発掘して、"Cry Me a River"というシングルを出したらそれが大ヒットとしたわけです。次にデヴィッド・セヴィル(David Seville)という…彼はチップマンクス(The Chipmunks)の創始者ですね。ロス・バグダサリアン(Ross Bagdasarian)というのが本名なんですが。そのデヴィッド・セヴィルの歌で"Witch Doctor"。これらを続けてお聴きください。
残念ながらライ・クーダーはヴァン・ダイク・パークスとはちょっと肌が合わなかったのかな。次のアルバムではジム・ディッキンソン(Jim Dickinson)というプロデューサーに交代してもらいました。それがすごく良い出来だったんですね。『Into the Purple Valley』というアルバム。その1曲目に入っていた"How Can You Keep Moving"。
How Can You Keep Moving (Unless You Migrate Too) - Ry Cooder
さて、次が最後の曲になりますけど。ニューヨークでジャグバンドをやっていたマリア・マルダー(Maria Muldaur)。彼女がレニー・ワロンカーとジョー・ボイド(Joe Boyd)という名プロデューサーの下で作ったのが"Midnight At The Oasis"。ではこれを聴きながら、真夜中のオアシスをお楽しみください。
さて、ともあれ…当時聴いていた音楽。60年代から70年代初期。1曲目は…僕の『SAYONARA AMERICA』という映画、年末に上映していたんですけど。そこに出ていたジョン・セバスチャン(John Sebastian)が率いるラヴィン・スプーンフル(The Lovin' Spoonful)、本当に外せないグループですが。1965年のデビューアルバム『魔法を信じるかい?(Do You Believe In Magic)』から"Did You Ever Have to Make Up Your Mind?"。
Did You Ever Have to Make Up Your Mind? - The Lovin' Spoonful
だいたい1968年から70年代初期の頃から、ポップスの中にリズム&ブルースの色がだんだん出てきたんですね。白人の中でもリズム&ブルースが流行っていました。ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield)の…1968年ですね、これは。メンフィスレコーディングの"Son of a Preacher Man"。
ダスティ・スプリングフィールドはロンドンからアメリカに行ったときにモータウンの音楽と出会ってしびれた、という話です。そのモータウンがタムラ(TAMLA)という名前だった頃からやってる、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ(Smokey Robinson & The Miracles)で"I Second That Emotion"。
I Second That Emotion - Smokey Robinson & The Miracles
今のヴォーカルはかなり…ジョン・レノンとかジョージ・ハリスンをミックスしたような声でしたね。さぁ、そのジョージ・ハリスンへの謝罪の意味を込めて…前回かけられなかった曲をかけます。「ジョージ・ハリスンは舌が長い」と言って幸宏(高橋幸宏)と一緒によく真似していました。あこがれのシンガーでした。では、"Think For Yourself"。
やはりこの頃、イギリスからグループがいっぱい出てきますが、ほんとにカリフォルニアのサーフィンやホットロッドには関係なかったなかったんですね。マンフレッド・マン(Manfred Mann)もその一つ。ザ・バンド(The Band)のプロデュースも手掛けたジョン・サイモン(John Simon)の曲で"My Name Is Jack"。