2022.04.03 Inter FM「Daisy Holiday!」より
手作りデイジー🌼#31: Burbank & Waronker Family
(以下、すべてH:)
はい、細野晴臣です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。世の中は非常に騒然としてますけど、いつの時代もそうだったような気もします。1960年代は本当にベトナム戦争で暗かったんですけど、でも音楽界は非常に活発だったんですね。それに比べて今はどうなんでしょう。んー。まぁ、ずいぶん時代が変わったのはその辺りでしょうかね。
さて、その1960年代末期にいちばん音楽的だったレーベルがワーナー(Warner)ですね。その中心にいたのがレニー・ワロンカー(Lenny Waronker)という人なんです。きょうはですね…バーバンク・サウンドというのをご紹介していきたいと思います。バーバンク(Burbank)というのは都市なんですね。ロサンゼルス郊外にある制作現場です。その一角にワーナースタジオもあるんです。そこを根城にレニー・ワロンカーという人物がワーナーでプロデュースをやっていて、そのうち社長になるんですね。そのワーナーに「アーティストの天国」と呼ばれる根城を作るんです。
そのレニー・ワロンカーのお父さんの話からまず始めなければいけないんですけど。そのお父さんはサイモン・ワロンカー(SImon Waronker)という人で、リバティー・レコードを作った人なんです。そこでは色々ユニークな音楽が生まれてきて…息子であるレニー・ワロンカーはそこで勉強していって、後にすばらしい業績を残しました。
ではまず最初に、そのリバティー・レコード。低迷していたんですけど、ジュリー・ロンドン(Julie London)という元女優さんを発掘して、"Cry Me a River"というシングルを出したらそれが大ヒットとしたわけです。次にデヴィッド・セヴィル(David Seville)という…彼はチップマンクス(The Chipmunks)の創始者ですね。ロス・バグダサリアン(Ross Bagdasarian)というのが本名なんですが。そのデヴィッド・セヴィルの歌で"Witch Doctor"。これらを続けてお聴きください。
Cry Me a River - Julie London
バーニー・ケッセル(Barney Kessel)のギターが印象的ですね。この歌はアーサー・ハミルトン(Arthur Hamilton)という人の作詞作曲で、ジュリー・ロンドンに歌うことを勧めたんですね。それは1955年のことでした。
次はデヴィッド・セヴィルの"Witch Doctor"。
Witch Doctor - David Seville
ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney)の"Come On-A My House"を作った人でもあるこのデヴィッド・セヴィル。リバティー・レコードを救った人とも言われていますけど、チップマンクスという今でも人気のあるキャラクターの最初の原型がこの曲だったんですね。
さて、リバティー・レコードは第2のプレスリーを発掘してきたわけです。それがこのエディー・コクラン(Eddie Cochran)。映画出演したのがきっかけでリバティー・レコードに移籍しました。ではエディー・コクランの"Summertime Blues"、1958年。
Summertime Blues - Eddie Cochran
リバティー・レコードには非常に多彩な才能が集まっていました。例えばペイシェンス&プルーデンス(Patience & Prudence)、ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)、ベンチャーズ(The Ventures)、ジャン&ディーン(Jan & Dean)…色々います。次はボビー・ヴィー(Bobby Vee)の"Rubber Ball"という曲。これはジーン・ピットニー(Gene Pitney)の作曲ですけど、プロデューサーはスナッフ・ギャレット(Snuff Garrett)。そのギャレットの下で若きレニー・ワロンカーも制作を学んでいたとのことです。ではボビー・ヴィーの大ヒット曲、"Rubber Ball"。
Rubber Ball - Bobby Vee
時は1966年。いよいよこれからレニー・ワロンカーの時代が始まろうとしています。彼が最初に手掛けた制作はモジョ・メン(The Mojo Men)というグループの"Sit Down I Think I Love You"という曲で、これはスティーヴン・スティルス(Stephen Stills)が作曲した楽曲なんです。もちろんバッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)もそれをやっています。2曲続けて聴いていきたいと思います。モジョ・メンのほうにはヴァン・ダイク・パークス(Van Dyke Parks)が参加してるんですね。
Sit Down I Think I Love You - The Mojo Men
Sit Down I Think I Love You - Buffalo Springfield
(from『Buffalo Springfield』)
次にワロンカーが手掛けたのがハーパース・ビザール(Harpers Bizarre)です。サイモンとガーファンクル(Simon& Garfunkel)の"Feelin' Groovy"を…これはヒットする、と目論んでカヴァーしました。やはりハーパース・ビザールからバーバンク・サウンドと呼ばれるようになったわけですね。では、"Anything Goes"。
Anything Goes - Harpers Bizarre
(from『Anything Goes』)
レニー・ワロンカーとは幼馴染だったランディ・ニューマン(Randy Newman)。"Simon Smith and the Amazing Dancing Bear"という曲があります。ハーパース・ビザールも歌ってます。
Simon Smith and the Amazing Dancing Bear - Harpers Bizarre
(from『Feelin' Groovy』)
続いてハリー・ニルソン(Harry Nilsson)。
Simon Smith and the Amazing Dancing Bear - Harry Nilsson
(from『Harry』)
そしてランディ・ニューマン、本人の歌です。
Simon Smith and the Amazing Dancing Bear - Randy Newman
(from『Sail Away』)
それでは僕の好きなランディ・ニューマンの曲、"Sail Away"。1972年。
Sail Away - Randy Newman
(from『Sail Away』)
I'm in Great Shape / I Wanna Be Around / Workshop - Brian Wilson
(from『Smile』)
このトラックはブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)が1966~67年頃に格闘していた幻のアルバム、『Smile』セッションからの音なんですけど。一緒にスタジオに入っていたのはヴァン・ダイク・パークスです。
そのヴァン・ダイク・パークスはもう一人の…なんと言うんでしょう、キーパーソンですね。レニー・ワロンカーに非常に大事にされて。難解な曲にもかかわらず予算をつぎ込んで作ったという『Song Cycle』が有名なんですけど。"Laurel Canyon Blvd"。
Laurel Canyon Blvd - Van Dyke Parks
(from『Song Cycle』)
ライ・クーダー(Ry Cooder)がデビューした時もヴァン・ダイク・パークスがコー・プロデューサーに入っていました。1970年のデビューアルバムから"Pig Meat"。
Pig Meat - Ry Cooder
(from『Ry Cooder』)
残念ながらライ・クーダーはヴァン・ダイク・パークスとはちょっと肌が合わなかったのかな。次のアルバムではジム・ディッキンソン(Jim Dickinson)というプロデューサーに交代してもらいました。それがすごく良い出来だったんですね。『Into the Purple Valley』というアルバム。その1曲目に入っていた"How Can You Keep Moving"。
How Can You Keep Moving (Unless You Migrate Too) - Ry Cooder
(from『Into the Purple Valley』)
もう1972年になってますね。この頃、はっぴいえんどもロサンゼルスに行ってヴァン・ダイク・パークスとセッションしたんです。
さて、次が最後の曲になりますけど。ニューヨークでジャグバンドをやっていたマリア・マルダー(Maria Muldaur)。彼女がレニー・ワロンカーとジョー・ボイド(Joe Boyd)という名プロデューサーの下で作ったのが"Midnight At The Oasis"。ではこれを聴きながら、真夜中のオアシスをお楽しみください。
Midnight At The Oasis - Maria Muldaur
(from『Maria Muldaur』)