2019.10.20 Inter FM「Daisy Holiday!」より

 

daisy-holiday.sblo.jp


 こんばんは。デイジー・ホリデーの時間です。今週から幾度かにわたり、先日、恵比寿ガーデンプレイスで行われました、『細野さん みんな集まりました』、そのDay4「細野さんと語ろう! ~デイジーワールドの集い~」の模様をお送り致します。それでは、ごゆるりとお楽しみください。

hosonosan.club

 

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(会場拍手)

 

H:いらっしゃい。細野晴臣です。この音楽はですね、毎週日曜日の深夜にInter FMでやってるレギュラー番組のテーマ曲なんですけど、アーティ・ショウ(Artie Shaw)の"Back Bay Shuffle"という…

 

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H:えー、その番組の収録も兼ねて、きょうはちょっと…ゲストを3組お招きしてます。いつもは来ない人たち…特に、最初に来る人はとてもめずらしい…まぁ、僕の先輩ですね。YMOのときにプロデュースをして頂いた、川添さん(川添象郎)がいらしてますので。すごいおもしろい話がいっぱいあると思うんですけどね。どんな話になるか…

 

(♪ピンポン)

 

H:あ、ちょうど玄関から…

 

(会場拍手)

 

川添:しばらくです!いやー…

H:どうぞどうぞ…川添さんは握手するときはこうなんですよね。上から目線なんですよね(笑)

川添:え?

H:上から目線。

川添:あ、そうなんですか。

H:そうなんですよ。自分でもそう仰ってましたよ。

川添:すいません!いっぱい人がいるんですね。

H:そうなんですよ?(笑)

川添:(笑)こわいですねぇ。

H:お茶が来ました、お茶が。

川添:ご苦労様です。

 

H:さぁ、なんの話をするかというとですね…時々、街でお会いしますよね。

川添:そうですね。あのー、食べ物屋さんかなんかでね。偶然出くわしたり。

H:そう。最近は「満天星」に…

川添:そうそう、満天星に行くと会う!なんであんなところ知ってるんですか?

H:いや、満天星は洋食の、ね…ハンバーグが美味しいんで。

川添:あー、なるほど!オーナーが僕のね、小学校の友達なの。旧友なんですよ。

H:あ、そうなんですか!

www.manten-boshi.com

 

川添:すいません、歯が無いもんでね!

H:(笑)

川添:「ハなしにならない」っていう…

 (会場拍手)

川添:ウケたよ!びっくりした!

H:よかった。歯はなんで入れないんですか?

川添:そうだよね。

H:直してくださいよ。

川添:あのね、入れると痛いんですよ。

H:痛いのは弱いんですか?

川添:いやいや、痛いのはイヤでしょう。

H:意外と…弱いんですね(笑)

川添:いや、絶対イヤですね。

 

H:それでね、キャンティCHIANTI)のご子息ですよね?

川添:そうなんです。キャンティって言ったって、みなさんご存知ないでしょう?

H:もう、「六本木族」の走りですからね。

川添:そういうことですか(笑)

H:ええ。芸術家がいっぱいたむろして…そこのオーナーのご子息ですよね。

川添:そんな偉いもんじゃないですけどね。あ、これイタリアン・レストランなんです。

H:そうなんです。美味しいですよ。

川添:ありがとうございます。よく来て頂けますもんね。

H:僕、しょっちゅう行ってますよ、いまだに。

川添:西麻布とか。

H:西麻布のほうに行って。

川添:多いですよね。

H:で、ずいぶん前…10年ぐらい前ですかね。西麻布のキャンティに行くと、だいたい川添さんがいらっしゃってね。

川添:そうですね。

H:で、なんかアタッシュケースを見せるんですよ。

川添:(笑)

H:開けると…

川添:物騒なものが入ってるんでしょ?

H:物騒なものが入ってる(笑)

川添:よく憶えてるね(笑)

H:GUNですよ。拳銃。

川添:ですよね。

H:本物じゃないですから(笑)

川添:モデルガンに凝りましてね、それでエラい目に遭いましたね。おまわりさんに見つかってね。

H:(笑)

川添:留置場に連れてかれちゃったことあるもんね。

H:いや、とにかくね、めちゃくちゃですから。川添さんは。

川添:いや、そんなことないですよ(笑)

H:あのね、それでアタッシュケースからモデルガンを出してきて、「これ、外で撃ちにいこう」って誘われてね。

川添:あ、ホント?

H:で、キャンティの看板めがけてね、撃つんですよ。

川添:当たるでしょ?

H:当たりましたよ。

川添:うん、当たりますよ、あれは。

H:あれ以来キャンティは出入り禁止なんですか?

川添:実はそうなんですよ(笑)

H:そうなんでしょ?(笑)

川添:自分の店なのにね、入れてくれないんですよ。

H:そうでしょうね。

川添:ひどいもんだね!

H:そうだと思って…最近、いないので。満天星のほうに行っちゃったっていう。

川添:あのー、自分の店から排除されまして。

H:もうねぇ、子どもなんですかね?そういうところは。

川添:それはわかります。まんまですから。

www.chianti-1960.com

 

H:川添さんのことを「ショウちゃん」って言ってる人たちがいますよね。ミッキー・カーチスさんとか。

川添:みんなそうですよ。あなたぐらいですよ、「川添さん」なんて言うのは。

H:いや、「ショウちゃん」とは呼べないですよ(笑)

川添:なんで?(笑)

H:先輩ですから…

川添:いや、若い女の子はみんな「ショウちゃん」ですよ?

H:あー、女の子はね。モテるんですよね。

川添:うん。いやー、うれしくなっちゃいますね、あれね。

H:はいはいはい…お父様(川添浩史)はすごいプロデューサーですよね。

川添:そうですね。

H:どんな方ですか?

川添:「エンプロサリオ」の走り。エンプロサリオって言ってもみなさん、あんまり馴染みが無いかもしれないけど。

H:聞いたことない。

川添:まぁ、簡単に言うとね、日本の文化を世界に紹介して、世界のおもしろいものを日本に持ってくるっていう。そういう仕事をしてたんですよ。

H:いちばん大きな仕事は…万博ですか?

川添:万博の富士パビリオンね。当時、40億円かけて作った展示場ですね。それで賞を獲ったりなんかしてますけど。

H:うんうん。

www.expo70-park.jp

 

川添:あとはね、日本の文化を世界に紹介するのが好きで、「あづま歌舞伎」っていう、まぁこれは踊りなんですけど。それを持ってって、世界中ですごいウケたりしてたんですよ。

H:あとは…外国のアーティストを招聘したりしてましたよね。

川添:『ウエスト・サイド物語』をね、オリジナルキャストで連れてきたり。

H:ええ。

川添:あとはイヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)とかピエール・カルダン(Pierre Cardin)っていう…

H:そうですね、ファッション系も多いですね。

川添:パリのファッション・デザイナーを日本に紹介したり。

www.lib.city.minato.tokyo.jp

 

H:あと、有名なカメラマン…えー、どなたでしたっけ?

川添:ロバート・キャパRobert Capa)。

H:そうです、キャパ。

川添:キャパ。

H:すごい人の…アシスタントをやってらしたんですか?

川添:私ですか?いや、キャパは僕が物心つく頃にはもう亡くなっちゃってたんですよ。

H:あ、そうなんだ。

川添:それで、キャパが作った「マグナム(Magnum Photos)」っていう写真家集団があるんですよ。これは世界一の報道写真の写真家集団なんだけど。

H:ええ。

川添:そのマグナムの人たちが日本に来ると必ずうちの親父を訪ねてきて。

H:うん。

川添:で、僕がこの道に入って…この道っていうのはなにかって言うと、文化系の仕事ですね。そのきっかけも最初は…写真家のアシスタントをやってたんです。

H:そうですよね。

川添:高校を卒業してすぐ。デニス・ストック(Dennis Stock)とかね。

H:それで、アメリカにいらっしゃったんですよね。

川添:そうです。シャーリー・マックレーン(Shirley MacLaine)ってご存知ですか?

H:あ、もちろん。

川添:シャーリー・マックレーンの旦那さん(Steve Parker)がプロデューサーで、ラスベガスでフィリッピン・フェスティバルっていう大きなショウをやることになって。

H:うん。

川添:僕が、ショウビズの仕事をしたい、って言ったら「じゃあ連れてってやる」って、シャーリー・マックレーンといっしょに連れていかれたんですよ。19歳のときに。

H:もう、ラスベガスでショウのアシスタントをやったんですか?

川添:舞台監督をやってたの。舞台監督「助手」から始まったんだけどね、もちろん。

H:あ、すごい…

川添:死にそうでしたよ。

H:そうでしょうね。生きててよかったですね。

川添:あー、ホント!ね。

H:そういうアメリカのショウビジネスの真っただ中にいたわけですよね。

川添:19歳で飛び込んじゃったんですよ。

H:19歳でね。

川添:で、それが終わって…それで貯めたお金を持って、今度はニュー・ヨークにひとりで行って。グリニッジ・ヴィレッジっていう…その頃は芸術家村だったんだけど、そこにアパートを借りて。暮らしながらフラメンコギターをやって。

H:そうなんですよ。川添さんはフラメンコギターの名手なんですね。実は。

川添:(笑)

H:すばらしいスパニッシュギターを持ってて。

川添:持ってて、あなたが…(笑)

H:欲しい(笑)

川添:知ってる知ってる(笑)あれね、いろんな話があって。細野さんがすごい気に入って、あのギターをよくレコーディングで使って…

H:『HoSoNoVa』のときにお借りして、あれでやってたんですよ。

川添:そうですよね。

 

 

ローズマリーティートゥリー - 細野晴臣

(from 『HoSoNoVa』)

 

 

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H:YMOのツアーは、川添さんがリーダーだったんですよね。大変でしたけどね。

川添:あー、大変だね、あれは。

H:外国人相手に交渉するわけですけど、さっきの握手。上から目線のね。

川添:抑えつけないとね、言うこと聞かないから。

H:そうなんでしょ?すごい、感心しましたよ、その話で。

川添:あの、マット・リーチ(Matt Leach)っていう舞台監督がいて。向こうでショウをやるとYMOはゲスト・ミュージシャンじゃないですか?

H:ええ。

川添:要するに、メインのアクトの前に出るじゃないですか。

H:そう。最初のツアーでアメリカ行ったときのグリーク・シアター(The Greek Thatre)…

川添:グリーク・シアターのとき、そうそう。

H:あのときが最初ですよ。で、前座ですね。

川添:僕らは「"Guest musicians fro Japan"って言え!」っていって、そういう紹介をしてもらいましたからね。

H:そのときの話がね。だいたい、ああいうのは…前座、って言っちゃあアレなんですけど、まぁウォーミング・アクトは。

川添:うん、プリ・アクトだね。

H:プリ・アクト。音のレベルを下げられちゃうんですよね。

川添:そうなんですよ。インストゥルメンタルのグループでしょ?音下げられちゃったらなにもならないもんね!

H:そうなんですよ(笑)で、僕たちはなんかぼーっとしてるんで、なんにも考えなかったんですけど、それをPA席で聴いてたんですよね、川添さんが。

川添:っていうかもう、だいたい様子を掴んでましたからね。

H:掴んでましたか。やっぱり、よくご存知なんですよね。そういうのは。

川添:まぁ、向こうでやってましたからね。

H:それで、なにをしたかというと…?

川添:なにをしたかというと、まず舞台監督をいてこますのがいちばん(笑)

H:いてこます…(笑)

(会場拍手)

川添:それで、舞台監督に賄賂を渡して…

H:賄賂!(笑)

川添:1,000ドルの賄賂を渡して。ついでに…A&Mレコードのジェリー・モス(Jerry Moss)っていうすごい偉い人がいるんですけど。

H:はいはい。

川添:その人の名前を出して、「この金をもらったからにはちゃんと音を出さないと、お前は二度とショウビジネスの仕事ができなくなる」、と脅かしましてね(笑)

H:おそろしい…(笑)こわいよね。

川添:ヒエーッ、ってびっくりして、言うこと聞いて音を出してくれたんですよ。

H:それであんなに大きな音になったっていうことですね。

川添:あれが、だから、成功の原因の一つではありますね。

H:そうでしょう?で、そんなことを知らないから、僕たちは。「あ、ウケた!」と思ったんですよ。

川添:いやー、バカウケですよ、もう。

 

 

BEHIND THE MASK - Yellow Magic Orchestra

(from 『LIVE AT GREAK THEATER 1979』)

 

 

H:その話を聞いて、ショウビジネスのバックグラウンドというか…そういう仕事って非常に大事なんだな、と。思いましたね。

川添:そうですね。あと、向こうでやる場合には向こうのそういう習慣だとかね。あり方みたいなものをちゃんと心得てないとひどい目に遭いますね。

H:そうですね。

川添:それだからさ、YMOが行ったときに、ロサンゼルスはヤバいから。で、あなたたちその頃は言葉をあんまりしゃべらなかったでしょ?英語は。

H:あんまりね。

川添:それで、リムジンをぜんぶ用意して。でっかいリムジン憶えてますか?

H:立派なリムジンでした。

川添:ハイヤーハイヤーですね。

H:ショーファー(chauffeur)っていう、運転手が付いてて。そういえばそうでしたよ。

川添:あれはね、身の安全を確保する重要な…

H:あ、そうなんですね。

川添:だって、ロサンゼルスって車が無いとどうしようもないでしょ?

H:そうですね。

川添:タクシーなんて走ってませんからね。

H:歩いてると…

川添:歩いてると延々歩いてるからね(笑)

H:そのショーファーとリムジンを用意したのも川添さんなんですか?

川添:そうですそうです。

H:すごいわ…やっぱりもう、川添さんなくしてはYMOの成功は無かった、と。これは言い切れますよ。

川添:いやー、そんなことはない…

(会場拍手)

川添:とんでもない。

H:本当にそうです。

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H:で、こういうプロデューサーって今、いないんですよ。

川添:あー、そうでしょうね。

H:音楽をすごく大事になさってるタイプってあんまりいないんですよね。音楽好きですもんね。

川添:音楽、大好きですから。

H:ミュージシャンですもんね。

川添:そうです!音楽が大好きなだけじゃなくて、エンターテイナーにね…気持ち良く仕事をしてもらわなくてはなにも始まらないですからね。

H:そうなんですよね。

川添:だから、みんな元気で仕事やってるのかなー、と思ってたらね、細野さんの顔を見るといっつもね、「くたびれた…くたびれた…」(笑)

H:(笑)

川添:ふた言目には「くたびれた」ってね(笑)

H:生まれたときから疲れてますんで…(笑)

川添:あー!なるほど。

H:まぁ…川添さんは元気ですね。

川添:いやー、そんなことないですよ。もう80歳ですから。

H:ははぁ…やっぱり、元気ですね。

川添:ありがとうございます(笑)

H:(笑)

川添:(笑)

H:あのー、村井さん(村井邦彦)とは仲良いですか?

川添:仲良いですよ。いや実はね、YMOの成功は村井邦彦というね、アルファ・レコードの社長…まぁ、当時社長で、すごい優秀な作曲家でもあるんですけど。

H:ええ。

川添:彼のね、勇断というか決断というかね。蛮勇というかね。それが無ければね、YMOの世界的成功は無かったですね。

H:そう。そう思いますね。

川添:だってあの頃ね…YMOのレコードが出来たときに、村井くんはね、ヘンな声出して電話してきたんですよ。

H:(笑)

川添:「ショウちゃんね、細野くんに任して出来たレコードがあるんだけど、ちょっと聴いてくれない?」って、あんまり元気そうじゃないのよ。

H:(笑)

川添:で、なんだなんだ、って聴きに行ったわけ。そうしたらね、最初に出てきた音がね、♪ピッ、ププッ、ブー…

H:1枚目です…(笑)

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川添:これはね、歌もないしね、誰も聴いたことのない音楽だしね、2人で頭抱えちゃったの。

H:(笑)

川添:そしたら案の定ね、リリースしても日本では3,000枚ぐらいがやっと売れたぐらいで、ぜんぜん売れなかったわけ。

H:ですよね。

川添:そのときに、新宿のフュージョン・フェスティバルでトミー・リピューマ(Tommy LiPuma)が来てた。

H:紀伊国屋ホールですね。

川添:はい、紀伊国屋ホール。実はトミー・リピューマっていうプロデューサーはアメリカの大プロデューサーで、マイケル・フランクスMichael Franks)とかジョージ・ベンソンGeorge Benson)とかご存知の方もいるかもしれないけど、それをプロデュースした大プロデューサーなんです。

H:ええ。フュージョン系が得意でしたね。

川添:そうそう。オシャレな音楽を作る人ですよね。

H:はい。

川添:で、彼が日本にバンドを連れて来てて。細野さんたちが出演している紀伊国屋ホールの…

H:フュージョン・フェスティバルですね。

川添:そう、それに出たの。そのときにね、YMOを見せようと思って…僕はトミー・リピューマがその頃泊まってたオークラホテルに行って、シャンパンをしこたま飲ませて酔っぱらわせてね。

H:またやってるわ(笑)

川添:それでね、連れてったの(笑)

H:すごいね、裏工作がね…(笑)

川添:そうしたらね、「これはなんだ!すごいいいじゃないか!」って…

H:酔っぱらってるんですね(笑)

川添:そうそうそう!YMOっていうのはね、あの頃、酔っぱらって聴くと良かったんです(笑)

H:あ、ホント?(笑)

川添:それでね、えらい興奮して「[YMOのレコードをアメリカで]出す出す」って。

H:あー、そっからですよね。

川添:そう。そこから村井邦彦にすぐ電話して、トミーがこう言ってるよ、って言ったら、「ホントかよ、じゃあアメリカで出すように工作してみるわ」ってアメリカに電話して。A&Mレコードのジェリー・モスに「トミーがこう言ってるから出してよ」って言ったら…

H:うんうん。

川添:まぁ、向こうでもね。けっこうその前にYMOの音源があって、若手のプロモーターたちが「これはなんだ、おもしろい」って言ってたらしいんですよ。

H:あー、その話は聞いてますね。ええ。

川添:それをうまく合体してね。向こうでレコードが出るということになりました。

H:いやー、奇跡的にね。ええ。

川添:で、出ることになったのはいいんだけど、ライヴをプロモーションでやらなくちゃいけない。

H:んー。

川添:それでトミー・リピューマも、「この音楽、おもしろいけどどうやって売ろうか」って頭抱えてたんですよ。

H:みんな頭抱えちゃうんですね(笑)

川添:そう(笑)最初はね、誰でも頭抱えますよあれは、細野さん!勘弁してくださいよ!(笑)

H:いやいや…(笑)

川添:ひどいもんだね!やりたい放題ですから。それで、トミー・リピューマも頭抱えながら、オフィスで流したわけよ。

H:うん。

川添:そしたらチューブス(The Tubes)っていう、向こうの売れっ子バンドのマネージャーがオフィスの前を通って、これなんだ?っていう話になって。

H:ははぁ。

川添:それで夏の、グリーク・シアターのチューブスの3日間のコンサートに、このバンドを出したらどうだ、っていう話になって。

H:そう、チューブスとはよく話してて、本当に彼らは気に入ってくれてたんです。

川添:そうそう。だってね、実は向こうのバンドの人たちっていうのはすごいように聞こえるけど、大して上手くないんですよね、楽器は。

H:(笑)

川添:それで細野さん率いるYMOはみんな熟練でしょ?だからシェーッ!ってびっくりして舞台の袖でね、YMOの演奏をみんな聴きまくってましたからね。

 

 

COSMIC SURFIN' - Yellow Magic Orchestra

(from 『LIVE AT GREAK THEATER 1979』)

 

 

H:ラッキーだったんですね、チューブスがいてくれて。

川添:もう、いろんな偶然が重なって…それでいちばん最初に[=チューブスの前に]YMOのライヴがあって、1曲目からウケちゃったんだよね。

H:…はい?

川添:1曲目からウケちゃったの!あなたたちの演奏が!気がついてないの?あなた。

H:あんまり実感ないんですよね(笑)

川添:いや、知ってますよ(笑)それでこいつはしめたと思って、2日目・3日目にビデオクルーを入れて、すぐにビデオで記録を録って、うちのプロモーターを日本に遣ったの。

H:うん。

川添:そしたら村井が、「これはおもしろいからすぐNHKに売り込もう」って言うんで、それをNHKに持ってったの。

H:そうだった。

川添:そしたらNHKって、ほら…9時のニュースとかってだいたい憂鬱な話ばっかりじゃないですか。

H:(笑)

川添:誰が死んだとかね、こういうことが起きたとかって。そこで明るい…日本のミュージシャンが[アメリカで]バカウケしてる、っていう…

H:ニュースになったんだね。

川添:そうそうそう。映像といっしょに来たもんだから、それに乗っかっちゃったっていう。当時、視聴率22%ですよ。

H:すごいですね。

川添:2,200万人が見たわけですよ、あなたたちがウケてるのを。

H:上手くいっちゃったわけですね。

川添:いっちゃったんですよ、あれ!

H:なかなかやりますね…(笑)

川添:いやいや…(笑)あなたたちは好き勝手作ってるだけだから、売る方は売ること考えなきゃなんない…大変なんだから!(笑)

H:ホントですね(笑)まったく、その当時はそういうこと知らなかったですから。

川添:あ、そうですか。でもまぁね、餅は餅屋だから。音楽を作る人、芸術をつくる人、それを広める人、と…分業しないとね。できないですからね。

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H:日本の芸能界の中でそういう動きっていうのは…特殊ですよね。「歌謡界」ですからね、当時。

川添:もう、ぜんぜん特殊ですね。

H:なんか、疎まれたりしたんでしょうね。

川添:あのねぇ…

H:(笑)

川添:これは僕らもね…村井邦彦さんも僕もそういうのにはあんまり頓着なかったでしょ?

H:ええ。

川添:2人ともミュージシャンだから。

H:そうですよね。

川添:それから…インディペンデントでレコード会社始めましたからね。

H:なんか、アメリカの会社みたいでしたもんね。

川添:そうそうそう。だから、なんでもかんでもやってみようじゃないかっていう精神が旺盛でしたね。

H:なるほど。若かったですね。

川添:やりたい放題でしたね。

H:自分たちこそやりたい放題ですね(笑)

川添:(笑)実は細野さんが率いるYMO、およびいろんなニュー・ミュージックのアーティストたちはすごい真面目に音楽作ってたんですよ。

H:もう、そのことしか考えてなかったですよ。音楽のことしか。

川添:あのー、ヘッド・アレンジって言う言葉をあなた、仰いましたよね?

H:ええ。ヘッド・アレンジ、うん。

[*予め譜面を用意するのではなく、スタジオの現場で編曲を決めていくこと。]

川添:すっかり信用してね、1時間40,000円のスタジオに行って。入って演奏するのかと思ったら、演奏しないで、ティンパン・アレーのメンバー4人で「さぁ、これからどうしよう」って話し合い始めて。

H:(笑)

川添:ちょっと待って、1時間40,000円だよ!(笑)

H:まぁそういうことにも無頓着で…(笑)

川添:知ってます。芸術家なんだからいいんだけどね(笑)

H:いやいや…1回、ひどい遅刻をしたんですよ。アルファ・スタジオにね。

川添:うん。じゃあ、80,000円から120,000円飛んでるね。

H:もう、飛んでますよ(笑)で、さすがにね、怒られましたよ。川添さんから。

川添:えー?ウソだよ!

H:ホント。で、反省したんですよ。だから。

川添:ウソだよ!僕そんなこと言わないよ!

H:いや、言いますよ!

川添:言いませんよ!

H:言ったんです。

川添:そうですかね?(笑)

H:かなり怒ってましたよ。

川添:ウソだね!それは…

H:ホントホント(笑)

川添:憶えてないと思っていい加減なこと言ってる…(笑)

H:いや、ホント…(笑)

川添:盛ってるよそれ!

H:え?

川添:盛ってます!

H:いやいや、だから…怒られたっていうか、注意されたんですけど、そのおかげで僕は「ああ、遅刻はいけないんだ」って…

川添:(笑)

H:幼稚園の感じで…(笑)いやいやホントに。おかげさまなんですよ。誰も言ってくれなかったんですよ。

川添:そうですか。

H:アルファ・スタジオはアルファのものだし、どうせ[お金が]グルグル回ってるんだろう、と思って高をくくってたんですけどね(笑)

川添:いやいや!1時間40,000円だっていうの(笑)

H:あー、そうですね(笑)高い!

川添:高いよ、当時は!

H:当時はスタジオで作るしかなかったんで、制作費っていうと、スタジオ代ですよね。

川添:そうですね。

H:東京でいちばん高いところは1時間60,000円ぐらいしましたからね。まぁ、そういう時代でした。今はもう、それが無くなりましたね。ほとんど。

 

(♪ピンポン)

 

H:お。次のお客さんが来た(笑)

川添:話が長ぇから出て行けっていう合図だな、これは(笑)

 

(♪ピンポン)

 

川添:なんか、おもしろかったですか?この話。

(会場拍手)

川添:あ、よかった!

H:川添象郎さんでした。

川添:ありがとうございました!

H:もう、はけていいですよ(笑)