2019.01.27 Inter FM「Daisy Holiday!」より

 情報量…

 

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H:こんばんは。細野晴臣です。きょうはですね…ずーっと、つきあいの長い先輩がいるんですけど(笑)麻田浩さんです。

麻田:麻田です、よろしく。

H:いらっしゃい。

麻田:どうも。

H:ひさしぶりですよね。

麻田:そうですね。ひさしぶりです。

H:なんかね、事あるごとにお世話になってるんだよね(笑)

麻田:いやー、そうでもないですよ。こちらこそお世話になってますよ。

 

H:いや、ね…最初は、ともかくね、学生時代のアイドルでしたからね。

麻田:いやいやいや…

H:モダン・フォーク・カルテット(Modern Folk Quartet)、ですよ。ホントにそうだよね。カッコよかったし。どうだったの?人気あったでしょ。

麻田:どうなんでしょうね。自分たちではあんまりよくわからないですね…でもまあ、いろんなところ出てましたから、それなりには。

H:ですよ。オシャレだったしね。

麻田:まあ、そうですね。あの頃ってアイヴィーのちょっと前ぐらいかな。ただ、僕らは…キングストン・トリオ(The Kingston Trio)のジャケットのね…七分袖くらいなのかな、あれは。ボタンダウンの…

H:ストライプでね。

麻田:そう、ストライプでボタンダウンのシャツを。

H:で、ポイントはね、襟首にTシャツが見えてるの。あれはヘインズ(Hanes)かな(笑)

麻田:そうそう。僕らはあの頃(既製品が)なくて、ヴァンヂャケット(VAN Jacket)にも売ってなかったから…

H:そう。

麻田:下北(下北沢)のね…あの頃まだ、下北ってさ、戦後のヤミ市みたいな感じ…

H:生地屋とか多かったからね。

麻田:そこ行ってストライプの生地買って。

H:あ、作ったんだ!(笑)

麻田:そうそう。ちょうどいまの外苑前の駅前くらいにあった「タジマヤ」さんっていうね…あそこら辺ってね、まだあの頃進駐軍がいたから外人がオーダーしに行って…

H:まだ進駐軍がいた時代なんだね(笑)

麻田:そうそう。だってあそこ、容易に入れなかったから、僕らは。で、そこ行ってキングストン・トリオのジャケット見せて、「これと同じように作ってくれ」って言って。

H:それは初耳だ。そうだよな、売ってないもんな。

麻田:まだVANでも七分袖でストライプ、ってのは無かったね。

H:無かったね。七分袖っていうところがね、ポイントなんですね。

麻田:はい。

 

H:そのメンバーが…「MFQ.」ってみんな呼んでたけど。まあ、アメリカにもいるんだけどね(笑)

麻田:そうなんですよね、これはもう、ホントに…

H:偶然なのね?

麻田:偶然なの。

H:あ、そうなんだ、やっぱり。

麻田:僕らも名前付けようと思って、いろんな名前が出たんだけれども。やっぱり、アメリカにモダン・ジャズ・カルテット(Modern Jazz Quartet)、「MJQ」っていうのがあるから、「じゃあMFQにするか」って名前付けて…

H:そうなんだね。

麻田:半年ぐらいしたら、アメリカにも同じ名前があるよって言うんで…あわててレコードを取り寄せたら、すごく上手いの(笑)

H:(笑)

麻田:名前変えようかっていう話になったんだけど…あの頃はほら、(バンド活動は)学生の時代で終わるから、もうあと1年とかそんなもんだから、もうそのままでいっちゃおうよ、っていう話になった。

H:なるほどね。クラブ活動っていうわけじゃないですよね、でも。

麻田:でも一応ね、大学の軽音楽部にも入ってた。

H:メンバーの人、それぞれ違う学校でしょ?でも。

麻田:最初は僕らの学校3人と、マイク眞木って…あの頃は眞木壮一郎。眞木壮一郎は日大だったから。

H:あ、そうだ。あとは重見(重見康一)さん…

麻田:重見、あとは吉田(吉田勝宣)っていうので…あとは、その吉田が病気になって、渡辺っていう…

H:そうだ、渡辺薫さん。ベースね。そうですよ。思い出すね…僕は高校生でステューデント・フェスティバル(STUDENTS' FESTIVAL)っていうね、学生のフォーク・コンサートに憧れてたんですよ。で…(笑)いろいろあって、そのオーディションを受けた時に、審査する側の人が麻田さんたちだった。

麻田:そうなんだよね。なんで俺たちがやったの?っていう。

H:いやいやいや…(笑)やっぱりね、カリスマですよ、当時。で、その前で僕が演奏したのがキングストン・トリオの"Ann"っていう曲なの。それをちょっと聴いてください。

 

 

Ann - The Kingston Trio

  

 

H:で、この歌、"Ann"を演奏して…僕たち4人のメンバーでやって。高校生で生意気な感じだったと思うんだけど(笑)

麻田:そう?あんまりそんな、生意気な感じはなかった。

H:あ、そう?よかった(笑)すごいなんか、印象深いんだよね、自分では。ギターを僕、やってて。生意気そうに弾いてたのをなんか言われるんじゃないかって思ったんだけど。大丈夫だった(笑)

麻田:シブい曲を選曲してましたね。

 

H:それで…STUDENTS' FESTIVALって僕の姉の友達が主催してたんですよね。短大生。

麻田:あ、そうなんだ。

H:そういう素人の人がみんなやってたんだね、当時ね。

麻田:お客も入ってたんだよね、けっこう。今みたいにネットもない…なんにもないのにさ。

H:みんな聴いてたね。

麻田:よくあんなに人が集まったと思って。それも大学生とかさ、高校生とかさ。

H:当時はやっぱり、大学生の主催する会だから、僕たち高校生はドヨドヨ、ってしたね。高3だったかな。次は大学生になる…手前で出ちゃって。で、姉もその友達も、やっぱり麻田さんファンだよ(笑)

麻田:いやいや…(笑)

H:いちばんカッコいいんだよ。ベース弾きながら歌うでしょ?時々。

麻田:そうですね。

H:そうするとみんなね、目がハートになってましたから。ホントに。

麻田:いやいや…

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H:で、それがきっかけで…まあ、親しい、わけじゃないけど、先輩だからね。

麻田:(笑)

H:先輩意識が強いんだよ、僕。いまだに…(笑)

麻田:めずらしいでしょ、この業界にも。先輩っていう人。

H:いないよ、他に。

麻田:ね。

H:審査された側だから…頭が上がんない(笑)でもその後、2000年代に狭山でやったハイドパークフェス(HYDE PARK MUSIC FESTIVAL)。これも主催が麻田さんでしたもんね。

麻田:そうですね。

H:思い出深いでしょ、あれは。

麻田:あれは思い出深い。で、すごい雨だったじゃないですか。

H:もう、すごいどころじゃない…

麻田:細野くんはさ、「麻田さん、もうこれは止めた方がいいんじゃない?」なんて言うわけ。

H:いや、みんなそう思ってたよ(笑)

麻田:うそ?(笑)

H:お酒飲んでるからわからない(笑)

麻田:でもね、なんだろうな、あれ…佐野くん(佐野元春)のあたりからだんだん雨が弱くなってきて、細野くんになったらホントに雨止んだもんね。驚いた。

H:止んだねー。ありがたいことにね。

麻田:で、最初は4000人くらいいたんだけど、たぶん、半分くらいは帰ってるんだけど…

H:そりゃ帰るよ、あれは。

麻田:もうホントに、膝下ぐらいまで水来てたから。

H:そう、洪水ですよ。

麻田:でもその、残ってた人がさ、細野くんが出てきたらウワーッってみんな立ち上がってさ。

H:あー、もうね、感動しました、僕も。

麻田:ね。僕も感動したよ、あれ。

H:いやー、あんなことはあんまり無いね。うん。すごい印象深いところに…

麻田:あれは印象深いですよ。

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H:それで、麻田さんとの関係っていうのはその前…フォークのフェスティバル、ハイドパークの前に。

麻田:はい。

H:ローリング・ココナツ・レビュー。

麻田:1977年、あれは。

H:ローリング・ココナツ・レビュー1977、っていう。これはクジラ…捕鯨反対、みたいなね。

麻田:そうですね。

H:なにもわからずに参加したんですけど(笑)

麻田:いや、でも僕らはね、そんな…クジラばっかり保護しちゃったら生態系変わっちゃうからということで。「Sea Must Live」っていうのかな。「海は生きなきゃいけない」みたいなことに…日本側はね、そういう意識だったんですよ。

H:あ、そうなんだ。でも、なんか、すごいいっぱい来ましたよね。

麻田:来ましたね。

H:だから、赤字っていうのはすごいんだろうけど…(笑)あんなにいっぱい来たのって他にないんじゃないかな。

麻田:ないかもわかんない。それこそスタッフ(Stuff)からジャクソン・ブラウンJackson Browne)から…

H:ジャクソン・ブラウン来た、ジョン・セバスチャン(John Sebastian)来た。

麻田:あとはブルーグラスの連中も来たし…

H:あと…もう忘れちゃったな。当時ヒットしてたシンガーも来ちゃったんだよね。忘れちゃった(笑)

麻田:あと、それこそデヴィッド・リンドレー(David Lindley)とか、バックのミュージシャンも来たし。

H:すごいね。

麻田:J.D.サウザー(J.D.Souther)も来てたし。

H:あれを呼ぶ交渉とかぜんぶ麻田さんがやったんですか?

麻田:向こうのスタッフといっしょにやりましたね。もっとホントはね…ジョニ・ミッチェルJoni Mitchell)が出れるとか出れないとか。それは彼らの、自分のコンサートのスケジュールが優先だから。

H:それはそうだね。みんなボランティアですもんね。

麻田:そうそうそう。

H:いやー、すごい印象深いね。混乱してる感じが(笑)

麻田:あー、そうそう…

H:んー。でも楽しかったけど。

麻田:そうですね。

H:僕はステージで久保田麻琴と…それからジョン・セバスチャンが入ってきてくれた。それがうれしかったんですよ。「♪Ain' got no home~」という曲を歌ったのを憶えていますね。

麻田:やりましたね。

 

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H:麻田さんの音楽の背景っていうのはどんな…?

麻田:僕はまあ、言ってみれば「FENおたく」みたいな。

H:じゃあおんなじだ(笑)

麻田:同じでしょ?(笑)で、僕は…その頃ってラジオは一家に一台っていう世界でしょ。そんなにたくさんないから、自分で(局を)選んでは聴けないから…僕は親戚の家が横浜の山手のほうにあって、そこ行くと手回しの蓄音器があって、レコードもいっぱいあって。その中で僕がすごく好きだったのは"Seven Lonely Days"という曲で。ジョージア・ギブス(Georgia Gibbs)。それを毎回かけて…

H:あー、なんか似たような経験してるなぁ…

麻田:あとはそれこそ、あの頃だからペレス・プラード(Pérez Prado)だとか、そういう音楽とか。あとね、"Sixteen Tons"もありました。

H:ありましたね。ヒットしてた…

麻田:そういうレコードがいっぱいあって、それを手回しので回して聴いた(笑)

H:僕と違うのは、僕はもう電気だった(笑)

麻田:あ、ホント?そうか。

H:ちょっとした時代の差なんだよね。

麻田:そうなんだよね、あの頃って。

H:そう。SP盤の時代が終わって、LPが出始めたりね。

麻田:そうですね。

H:で、みんな子どもたちはSPを放って、割ってたんだよね。

麻田:そうそう。投げたりしてね。

H:そうそう。で、聴いてた人たちは僕とか麻田さんとかね。音楽好きは聴いてた(笑)

麻田:そうですね。でもまあ、FENがいちばん、僕にとっては音楽の先生みたいな…

H:ですね。おんなじだね。うん。じゃあその、ジョージア・ギブスの"Seven Lonely Days"を聴きたいと思います。

 

 

Seven Lonely Days - Georigia Gibbs

 

 

H:なるほど。いいなぁ。こういう…同世代ですから、ほとんどね、麻田さんと僕はね。

麻田:そうですね。

H:そういう時代の音楽を語る人が最近いないでしょ、周りに。

麻田:あー、そうだね。

H:まあ、もちろんみんな知識として知ってるし、マニアもいるし。そういうのはあるけど、「当時聴いてた」っていう人はあんまりいないでしょ。

麻田:そうですね。だから、ラジオから流れてくる音楽?今って、けっこう情報が先っていう部分があるじゃないですか。あの頃はラジオを聴いて、必ずノートをとってたの。

H:それはおんなじです(笑)

麻田:おんなじでしょ?(笑)で、書けないところは日本語で書いて。そうするとひと月後ぐらいに、「ミュージック・ライフ」かな?ちゃんとしたビルボードのチャートが…見ると、あ、違うなこれは、とか。

H:あー(笑)

麻田:学校の英語の勉強とか一切しなかったけども、それだけは一生懸命やったな。

H:そう。FEN聴いてるし、英語には馴染んでるんだけどね。

麻田:そうなんだよね。だからホントに…アーニー・K・ドー(Ernie K-Doe)っていう人の"Mother In Law"っていうのがあってさ。

H:あったね。

麻田:あれ、どうしても"Mother In Law"っていうのが書けなくて、「マザインロー」とかカタカナで書いておくわけですよ。

H:水戸黄門になっちゃう(笑)

麻田:そうするとその何か月後かに(チャートが)出てきて、"Mother In Law"と。辞書を調べると「継母」みたいのが出てくる。

H:勉強になってるよね。

麻田:そうそう。それだけ、英語で勉強したのは。

H:おんなじだ(笑)"Mother In Law"なんて、ああいう曲、僕の周りでは大瀧詠一ぐらいだったね、聴いてたのは。で、彼もいなくなっちゃったんで。語る人がいないよ、うん。

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麻田:あと、僕はガールズバンドがすごく好きで。シュレルズ(The Shirells)だとかマーサとヴァンデラス(Martha Reeves & the Vandellas)とか。

H:あー、大好きだよ僕…なんだ…どうしよう(笑)

麻田:(笑)

H:そういう人とバンド組まないといけないね(笑)

麻田:ま、でも、カントリーも好きだったし。ほら、FENだと土曜日になると必ず…

H:Top 20?

麻田:それの前にね…いちばん最初に「グランド・オール・オプリー(Grand Ole Opry)」やって、あと「ハワイ・コールズ(Hawaii Calls)」っていうのがあって、それからTop 20かな。だから僕は土曜日は必ずうちに帰って聴いてた。

H:そうだね。なんか…おんなじようなことなんだろうな、自分と。早朝は6時か6時半からカントリーばっかりやってたよね。

麻田:そう。あれもだから、僕は…最初ね、うちに普通の大きいラジオしかなかったから、自分で聴くっていうことができなくて。トランジスタでもない、鉱石ラジオっていうのを使ってた。

H:鉱石ラジオ…音小っちゃい(笑) 

麻田:小っちゃいよ(笑)片耳のイヤフォンで…そう、それを布団の中で耳にしてノートをとるというね。

H:あのね、僕もトランジスタラジオ…父親が買ってくれて、それはもう普通の…SONYのね、新発売!みたいな。あの時代のお父さんたちってみんなそういうの買うんだよね。で、本人は野球とかそういうのしか聴かない(笑)

麻田:はいはい(笑)

H:で、夜中僕はそれをヘッドフォン…Monoだけど2つジャックがついてるから、2個右と左に差し込んで。

麻田:あ、そういうこともできたんだ。

H:できたの。音が良いんだ、これが。でもおんなじなのは、布団の中で聴いてた(笑)

麻田:(笑)

H:ちょっと時間がずれてるのかね。

麻田:昔は、トランジスタが出る前は鉱石ラジオの作るキットみたいのがあって。

H:あったあった。ブームだった。

麻田:それを、僕は小さかったから、いとこに作ってもらって。

H:へぇ。鉱石ラジオの時代か…いやいや。

 

 ちょっと、前に遡って…ローリング・ココナツ・レビューの話だけど。あれは音源が出たんだね。

麻田:出ました。

H:ええー、僕まだそれを聴いてない…(笑)

麻田:はい、言っときます。レコード会社に。

H:お願いします(笑)だから、ジョン・セバスチャンと僕たちのも入ってるんでしょ?

麻田:そうそうそう。入ってる。

H:すばらしい。ぜんぶ、ほとんど、レコーディングしてたんですか?

麻田:でもね、アサイラム(Asylum Records)というか、ウエストコースト系だけは「No」という。向こうから言われて。

H:厳しいね。

麻田:でも、あれは残念でね。ウォーレン・ツィヴォン(Warren Zevon)というすごくいいシンガー・ソングライターが来てて。彼も歌ってたんだけれども。

H:ああ、そう。録れてないんだね。

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H:その頃の話もそうだし、ずーっと麻田さんがトムス・キャビン(Tom's Cabin)で招聘してたり。いろんな…長い時間をかけてそういう活動をしてらっしゃって。その本が出ましたよね。

麻田:そうですね、はい。出ました。

H:ちょっと、あの、告知してください(笑)

麻田:はい。リットー・ミュージックというところから出たんですけども。『聴かずに死ねるか』というタイトルで。僕の人生の中で、上から下まで、いろんなことありましたから。それが書いてあります。それと同時に、(公演の)プログラムだとかTシャツのデザインなんかもWORKSHOP MU!!というところでやってもらった…

H:ムーだ、おんなじだな。我々と。

麻田:うん。そこでやってもらったTシャツとかプログラムも載ってますし。

H:貴重な体験の記録ですね。

麻田:そうですね。

H:いま僕、読んでる最中なんで…ちょっと持ってこなかったけど(笑)部屋に置きっぱなしだった。それはじゃあ、いつからいつまでの話が出てるんでしたっけね。

麻田:まあ基本的にはトムス・キャビンをやってるところが中心なんですけども、さっき話したような小さい頃の話もあって。まあその後…いま僕はサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)というアメリカのコンヴェンションの仕事を20何年やってて。その話まで出てますね。

H:なるほど。

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麻田:あとはあれですよ。最初…僕は独立した時にSMASHという会社をね、立ち上げて。

H:そうだ、SMASHだ。

麻田:で…ただ僕はその前に、ジョニー野村というね。ゴダイゴをやってたヘンなマネージャー…社長がいて(笑)彼に「麻田くん、呼び屋さんなんて儲からないからね、音楽ビジネスはね、権利を持たなきゃダメなんだよ」とさんざん言われたわけ。

H:なるほどね。

麻田:だから、そうかやっぱり…と思ってずっとアーティストを探して、自分でマネージングをするか、プロデュースをするか…それで、SIONというのを見つけて。その時に事務所がなかったんで、ミディアムに居候させてもらって。

H:そんなことがあったね!

麻田:あったよ!(笑)で、僕はその見返り…というとおかしいけども、ミハルちゃん(越美晴)のマネージングをやって、代官山。

H:そうだった…SION、いたなぁ…彼はどうしてるかな。

麻田:まだやってますよね。

 

H:でも、麻田さん自身、ミュージシャンじゃないですか。

麻田:元はね。

H:元っていうか、根っこがそうですよ。で、カントリー…ウェスタン・スウィングやろうよなんて、前ね。声かけてもらったりして。やりたいですよ。

麻田:やりましょう。今年は。

H:なんかやりましょう。

麻田:ね。なんかやりましょう。

H:うれしいね。じゃあ、ウェスタン・スウィングの曲、なんかかけようかな。なんかリクエストありますかね?

麻田:いや、なんでも。

H:前、麻田さんからね、テックス・ウィリアムス(Tex Williams)だったかな、の"Smoke Smoke Smoke"やったら?とか言われて、やりたいな、とは思うんだけど、難しいんだよね。

麻田:ホント?

H:あれって、タバコを賛成なの、反対なの、どっち?(笑)

麻田:賛成なんじゃないの?

H:賛成だよね(笑)そこら辺がちょっとよくわかんなくてね。じゃあそれ聴いてみたいと思います。テックス・ウィリアムスで"Smoke Smoke Smoke"。

 

 

Smoke Smoke Smoke - Tex Williams

 

 

H:えー、テックス・ウィリアムスで"Smoke Smoke Smoke"。ま、タバコをね、吸うんで、僕は。麻田さんは、やめちゃった?

麻田:僕は吸わないけども。

 

H:あれ、大学は…ここら辺だよね?

麻田:そうですね、明治学院ですから。

H:そうなんだよね。

麻田:だから、ここら辺はもうホントに…何年通ったのかな、15年ぐらい?

H:あ、そうなんだ。

麻田:目黒駅から。

H:15年も大学行ってたの?そんなことはないか(笑)

麻田:(笑)僕、中学からだから。中、高、大。

H:あ、じゃあもう、すごい近くにいたんだね。

麻田:そうそうそう。だから僕、ここら辺に友達何人もいましたよ。あそこの脇入った魚屋さんとかね。ヒラサワくんっていう友達がいたし。あと、もうちょっと先の花屋のオオツカとか。

H:あー、なんか、僕の知らない世界…(笑)

麻田:(笑)

H:いま、なんにも無いからね、商店は。

麻田:ね。ホントになくなったね。

H:残念ながらね。

麻田:都電がね、だって、通ってたんだから。

H:都電が良かったし。花電車とかね、あったし。

麻田:ここの都電はどこまで?中目黒まで行ってたのかな?

H:いやいや、目黒駅が終点で…

麻田:目黒駅終点…あそこに車庫があったか、じゃあ。

H:そうですそうです。で、もう、なにかっていうと都電乗って銀座行ったりね。日比谷行ったりしてましたけど。

 

 話は尽きませんが、この続きはまた来週に持っていきたいと思います。どうも、また来週お願いします。

麻田:はい、こちらこそ。