2018.07.15 Inter FM「Daisy Holiday!」より

 

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 (以下すべてH:)

  こんばんは~。細野晴臣です。えー、自分的には非常に…久しぶりなんですけど。なんでかって言うと、6月末にロンドン、ブライトンっていうとこに行って演奏してきたんですね。まあ大体1週間ぐらいの旅でしたけど、帰ってきてからヒドい時差ボケで。治らないです。なんでだろう。こういうの初めて、ですね。でも、行った人はほとんどみんなそんな感じで。なんか、時間帯の所為なのかな。ただし、メンバーの伊藤大地くんと高田漣くんだけ、時差ボケが無い。どういう身体をしてるんだろう、と。そういう人もいるらしい。ただ、漣くんはワールド・カップボケしてて、なんか大変みたいですけどね(笑)
 それでですね…プレイリストってのを、どっかで僕は挙げてるんですよね。どこなの?Apple (Music)ね(⇒http://applemusic.com/haruomihosono50th)。じゃあね、そこら辺をなぞりながら音楽かけていきます。そのプレイリストの1曲目に挙げたのがね…『メッセージ(原題:Arrival)』という映画の"Kangaru"という曲ね。ヨハン・ヨハンソンJóhann Jóhannsson)という、惜しくも亡くなられた作曲家なんですけど、まずそれを聴いてください。
 
 
 
 
もう今や懐かしい、映画『メッセージ』から"Kangaru"という…これはエンドクレジットにかかってましたね。ヨハン・ヨハンソン作曲です。
 
 さて。ロンドンの気候ってのがね、いちばん良かったんですよ。とにかくあっち行って元気になっちゃって。一日何千歩も、多い時は16,000歩ぐらい歩いたりしてました。どんどん歩けちゃうという。もう、どんなに疲れてても足が前に出ていく、っていう。「ロンドンはどうだったのか」ってまだあんまり訊かれてないんですけど、おもしろかったですね。日本と変わらないです。演奏してる時のお客さんの反応がね。日本の方が多いかっていうと、そうでもないんですよね。もちろん、いらっしゃったんですけど。で、ブライトンに移って、そこがまた素晴らしい。とにかく連日、雲ひとつない快晴が続いてて、ここはロンドン、イギリスなのかと思うほどでしたけど。すっかり僕の名前がね、みんな「ハルオミ」じゃなくて「ハレオミ」と思ってるんじゃないか、と。なんか曇ったり雨が降ってると僕の顔を見るんですよね、スタッフが。
 (日本に)帰ってきて、これが暑くて。なんかニュースがね、いっぱいあったり。事件が多かったり。もちろん、西日本の豪雨が大変でしたけど。いろんなことが起こる国ですよね。まあ、それで誕生日を迎えちゃったんですよね、その頃。帰ってきてから。大体人間って誕生日前後が体調が悪いんですよ。なんかバイオリズムというかね、免疫が低下するのか。今もちょっと鼻声なんですけど。とにかく時差ボケがヒドい。ですから、夜寝らんない。まあ、昔から寝らんないんですけど(笑)最近はね、年とって、朝型になってきたと思ってたら…また夜型になっちゃいそうで。これは困ってるんですね、実は。
 で、寝らんないので何してるかっていうと、『ツイン・ピークス(Twin Peaks)』観てるんですよ。『リターン(The Return)』っていうやつ。やっと、DVDが出たんですね。それまでは謎だったんですよ。テレビ局でしか観られなかったという。ですからやっと観れて…なんともいえない気持ちで観てます。や、おもしろい、ですね。あのテンポというか。で、なんかいろいろカブるところがあったりね。例えば、パリス・シスターズ(The Paris Sisters)の"I Love How You Love Me"という曲。これ僕カヴァーしてるんですけど。随分前ですけど、アルバムに入れたんです(⇒『Heavenly Music』,2013年)。そのオリジナルというか、パリス・シスターズ版、聴いてください。それが『ツイン・ピークス』で突然かかったんです。
 
 
I Love How You Love Me - The Paris Sisters
 
 
短いね。2分ちょっとしかないですけど。えー、パリス・シスターズ。ホントに画期的な3人女性グループでした。フィル・スペクターPhil Spector)系、ジャック・ニッチェ(Jack Nitzsche)がプロデュースしてます。1960年代なんですけど。まあ、今現存してたら、たぶん、デヴィッド・リンチDavid Lynch)の映画に出てもおかしくない存在ですよね。
 で、『ツイン・ピークス』って23年ぶりだったのかな。展開(に頭)が追いつかないですね。先が読めなくて。なんという世界だろう、と。突然アートの世界が入ってきたり。まあ、思うまま作ってるんで、素晴らしいですよね。今のテレビ界には有り得ないような展開なんですけど。それで思い出すのが23年前のオリジナル、本編ですよね。あの頃もかなり没頭してましたね。ビデオ(VHS)の時代でしたから、それを借りて全部観てて。重要な場面を全部つなげたりしてね。その時のテーマ(曲)というのが、「ローラ・パーマーのテーマ("Laura Palmer's Theme")」これがね、残るんですよね。染み込んでくるんですよね。それを聴いてください。アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti)の作曲です。
 
 
Laura Palmer's Theme - Angelo Badalamenti
 
 
 えー、アンジェロ・バダラメンティという作曲家ですね。この前、『ツイン・ピークス』の前に、『タフガイは踊らない(Tough Guys Don't Dance)』という映画の音楽やってたんですけど。これはね、ビデオで僕は観てて…DVDになってるかどうかは知らないんですよね。ほんっとに知られてない映画なんですけど、なんと、ノーマン・メイラー(Norman Mailer)という活動家が作った映画なんですけど、雰囲気はまるで『ツイン・ピークス』みたいで。デヴィッド・リンチはおそらく、それにすごく影響されている、とは思うんですね。で、そのバダラメンティの音楽も、こういう世界に近いんですよ。ちょっと今聴くことができないのが残念なんですけど。もうひとつのルーツというのかな。それはですね、『ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary's Baby)』という映画。ミア・ファーロウ(Mia Farrow)主演、(監督は)ロマン・ポランスキーRoman Polanski)ですね。ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes)も出てます。これの音楽を聴いてください。共通点があるんじゃないかな、と思います。
 
 
Rosemary's Baby Main Theme - Krzysztof Komeda & Mia Farrow 
 
 
"Rosemary's Baby Main Theme"、です。歌は…声はミア・ファーロウで、作曲が…コメダ、と。コメダ珈琲じゃないんですけどね。クリストフ・コメダ(Krzysztof Komeda)、なのかな、うん。これはやっぱり、かなり影響を与えていると思いますね。映画自体がね。
 
 さてと。ちょっとここで告知をしたい、と思いますが。今日来れなかったんですよね、忙しくて。コシミハルの公演があるんで、今追い込みの真っただ中なんでしょうね。えー、公演日時、2018年7月18、水曜日。開演19時。そして19日、木曜日。これはマチネーですね。開演が15時と19時、2回あります。公演名『フォリー・バレリーヌ「秘密の旅」』。場所はですね、渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールです。芸術監督・音楽監督・特別出演でコシミハルがやりますね。それで、共同振付に森本京子、林かおりという、かつての仲間がやってくれてます。で、若手のバレリーナが何人か…随分出ますね。照明は関根(聡)さんですね。これは僕も観に行きたいと思います。いろんな曲が、非常に豊かにかかる感じですね。ぜひ皆さんも観に行ってあげてください。
 
 
 
 で、話は変わって。誕生日の前の日にCAYという青山のクラブで、なんかイベントがあったんですけど。昔、神社でよくやってたモンゴロイド・ユニット(⇒環太平洋モンゴロイドユニット)というのがあるんですけど、その仲間である鎌田東二さん。法螺貝と笛なんですよね。それから三上敏視さんは太鼓と唄です。そういう人たちとやったんですけど。そういう時でも僕は生ギターを持ってって"Radio Activity"、そして"バナナ追分"をやったり。最近ね、そういう楽曲…歌ものが多いんで、それ以外のことがあまりできなくなってるんですけど。そしたら、会場にいた外国人2人がね、舞台の方にやってきて。段ボールがハッピーバースデーのカードになってて、でっかい段ボールに書いてるんですよね。名前忘れちゃったな…えー、カイルちゃんと、なんとかちゃん。ちゃん、自分で「ちゃん」付けてるんですよね、ローマ字で書いてあるんだけど。まあ仲のいい男の人…30代なのかな。仲良すぎる感じもあるっていう、2人がね。やさしい気持ちで書いてくれて。楽しいカードなんですよ。あまりにもそれが楽しいんで、写真撮ったりしてたんですけど。まあ、この最中に写真、アップしちゃったんですよね。この最中っていうのはつまり、いろいろな事件が起こるという最中にですね。まあ、しょうがないですよね。誕生日は来ちゃうんで。
 

 

  

 で、決して…なんていうの、楽しくないですよ、誕生日は。何にもやんないです。そんなことがあったぐらいで。発表しますと、71歳ですから。もうおじいちゃんですね。完全に。100%おじいちゃんですよ。爪を見ればわかる。足の爪。汚ったないんだよね(笑)しかも遠いじゃない、自分から足の爪って。届かないんだよ(笑)昔は近かったんですよね、地面も。足も。だから転んでも痛くなかったでしょ、そんなにね。今転ぶと大変ですよ。
 
 えー、それで…そんなことがありつつ。ロンドン、ブライトンの話は今度、バンドのメンバーを呼んで話したいと思います。きょうはこの続きで、もうちょいかけられますかね。えー、次の曲…「いつか夢で」という曲。これは『マレフィセント(Maleficent)』という、映画がありましたよね。それの最後にかかるディズニー定番の歌なんですけど、すごい暗くやってます。ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)の歌です。"Once Upon A Dream"という原題です。 
 
 
Once Upon A Dream - Lana Del Rey
 
 
 えー、じゃあきょうの最後の曲が、先ほどもかけた『ローズマリーの赤ちゃん』の主演だったミア・ファーロウのもうひとつの傑作ですね、『フォロー・ミー(Follow Me!)』。この映画はですね、キャロル・リード(Carol Reed)監督の遺作ですね。1972年です。まあ時間が無いので、曲をかけましょう。"Follow Me"、ジョン・バリー(John Barry)の作曲です。
 
 
Follow, Follow - Lana Del Rey
 
 

2018.07.08 Inter FM「Daisy Holiday!」より

世代的に完全に後追いな上に大遅刻かましてる引用者にとって大変意義深い3週間でした…


※願わくば'90~'00年代初頭辺りまで総括してほしい。はやく生まれたい…(?)

 

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H:こんばんは。細野晴臣です。さあて、これはね…
 
惣:あー、いっぱい話しちゃったね。
 
H:思わぬ、展開でね。長くなっちゃって。(放送が)3週(分)になっちゃうんでしょ?
 
惣:しょうがないんだな、これね。
 
H:で、一応そこに…
 
O:あ、岡田です。居ますよ、聴いてます。
 
惣:ボー・ハンクスが出たんだよね。
 
O:ボー・ハンクスのレイモンド・スコットカヴァー集、発売中です。きょうは聴いてます。
 
 
H:はい。じゃあ鈴木惣一朗くん。
 
惣:はい。じゃあノンスタンダード(NON-STANDARD)レーベルの時系列に沿って話をしてみようと思います。
 
H:オッケー。
 
惣:それでですね…(細野さんは)もう全然憶えてないから、何が行われてたのかを僕が言いますんで、何となく印象に残ってることがあれば…
 
H:いやー、教えて欲しいね。
 
惣:とにかく…『S・F・X』のレコーディングは1984年の11月ぐらいの時点でだいたい終わるんですよ。
 
H:うんうん。
 
惣:最後は"Dark Side Of The Star"というアンビエントで…
 
H:うん。
 
惣:現代音楽には「騒音音楽」という言い方もありますけれども、かなりtoo muchな…その後細野さんは「O.T.T.(Over The Top)」というコンセプトも仰ってますが、みんなを静める意味で…
 
H:チルアウト(chill out)だね。
 
惣:チルアウトですね。それを作るんですよ。それが1984年の11月11日と記録が残っていて…
 
H:具体的だね。
 
惣:そこで、まあ納めた、というか。
 
H:はい。
 
惣:でも実はそこから…レコーディングは終わりましたが、細野さんはスタートしていくんですね。つまり、レーベルとしてスタートしていく。
 
H:うんうん。 
 
惣:その翌月、12月に「細野晴臣エキゾチック・ナイト・ショー」という…
 
H:全然憶えてない(笑)
 
惣:僕は憶えています。なぜなら出てるから(笑)これは六本木の…前回も話がありましたが、WAVEの下のシネ・ヴィヴァンで。
 
H:あッ。そう言われると思い出す。
 
惣:夜中に…なんて言うんだろう、コンベンション?ライブ?みたいなものを。
 
H:なんか…どうだったんだろう、あれ。
 
惣:細野さんは"Body Snatchers"をこの時やってます。西村(麻聡)さんと一緒に。
 
H:あ、そうだ。西村くん、ベーシスト、居たねぇ。
 
惣:そう、西村さんとやっていて、僕それは見ているんですが。
 
H:見たんだ。
 
惣:だって出てるから(笑)中沢新一さんもいらっしゃいました。
 
H:あ、そうだ。
 
惣:で、ちょうど「観光音楽」なんて言い方をしている時期で。
 
H:そうだ、そうだ。
 
惣:僕は中沢さんに「ワールドスタンダードは観光音楽だ」って言われて、うまいことを言う人だな、と。その時は何も知らなかったんで、思いましたけど。"Body Snatchers"は僕、その時初めて聴いたんで、ビックリしました。
 
H:リリースする前だったのかね。
 
惣:そうです。で、翌年に入っていきます。こういう感じで流していっていいですか?
  
H:もちろん。
 
惣:で、憶えていることだけ言ってもらえればいいので。
 
H:時間無くなっちゃうけどね。
 
 
 
惣:そう。これ、締めないとダメになっちゃうんですけど…で、1985年。これをノンスタンダードの創成期と僕は思っていますけど。
 
H:はい。
 
惣:1月にMIKADOのアルバムが。
 
 
Un Naufrage En Hiver (冬のノフリージュ) - MIKADO
 
 
H:MIKADOか…
 
惣:MIKADOは細野さん…というか、YMOMIKADOをとっても好きだった。
 
H:好きだったね。
 
惣:それは、誰が見つけてきたんですか?
 
H:確か(高橋)幸宏と同時期に…ロンドンからカセットをいっぱい送ってくれる人がいて…
 
惣:へー。トシ矢嶋さんとか?
 
H:そう、トシ矢嶋。
 
惣:よく知ってるでしょ。
 
H:んー、よく知ってるね。その中に(MIKADOが)入ってたんだよ。
 
惣:あ、偶然?
 
H:うん。それがもうピカイチだったっていうか、音が良かったのね。それがきっかけで、ノンスタンダードで呼んだ時に2人が来たわけ、男女。フランスからね。
 
惣:はい。
 
H:で、録り直したんだけど、音が良くなかった(笑)そのことがすごく心残りというか。
 
惣:その「音が良くなかった」というのは、ちょっと僕も他人事ではなくて。
 
H:うん。
 
惣:細野さんはデモテープとか、カセットの音とか、そういう音が好きだった。
 
H:好きだね。
 
惣:たぶん今の耳で聴くと、最初のMIKADOは、細野さんが初めて聴いた時のものはローファイで、音があまりハイファイではなくて。
 
H:そうね。
 
惣:で、日本に来たらハイファイになっちゃった、という流れかな、と思うんですけど。
 
H:そうそうそう。
 
惣:この「音質と音楽性」って、音質が失われると音楽性もさらわれていく部分があるという…
 
H:その通り!!
 
惣:(笑)ということが、近年になってやっとわかってきました。
 
H:その通りなんだよ。これは大事な…誰も指摘しないんだよ。
 
惣:誰も指摘しないんですか?音響と音楽性のこと。
 
H:気がついてないんだよ。例えばね、1950年代に流行った歌謡曲、好きなんだよ。♪潮来花嫁さんは~、とかね。音が全部良いの。
 
惣:はい。
 
H:まあ"潮来花嫁さん"はどうか知らないけど、他の良い曲もリ・レコードが1970年代に流行るんだよね。
 
惣:リ・レコーディング、はい。
 
H:ステレオになって、ハイファイになって。それ聴くと、あんなに好きだった曲が(もう)好きじゃないワケだ。それはなぜかって言うと音質が違うからだよ。
 
惣:ね。
 
H:だからそれは大事なことなんだ、と、その時思ったわけ。
 
惣:今はIMAXハイレゾ、みたいな。くっきりハッキリ、4K8K!どうですか!みたいな感じでしょ。そんなに見えてどうするの、って、ちょっと古いですけど。
 
H:いや、本当にそう思うよ。
 
惣:そんなに聞こえてどうするの、って耳鳴りになると余計そう思うんですけど(笑)そんなに聞こえなくてもいいんじゃないかっていうのは…
 
H:谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』、これを読んでほしい。
 
惣:あ、言おうと思った…
 
H:「見えないことの美」っていうのはね。
 
惣:あります。繰り返しになりますけど、震災。2011年のころに細野さんとどっか繁華街にいて。『陰翳礼讃』の話をしたのをよく憶えています。それは渋谷の交差点の街が暗かった。電車も暗かった。
 
H:そうなんだよね、うん。
 
惣:で、(細野さんは)「気持ちいいね」、つって、暗いの気持ちいいねって、わかるわ~って(思って)。
 
H:うん。
 
惣:「(普段は)明る過ぎなんじゃない?」、みたいなことを細野さんは言っていて。それは音楽も同じなんじゃないか、って、あの辺りから疑り始めるというか。
 
H:なるほど。たとえばスリー・サンズ(The Three Suns)が好きなのは…素晴らしい陰影感があるでしょ。ロウソクの中で聴いているような音楽だ(笑)強弱とかね。
 
惣:うん。
 
H:今の音楽に無いのは強弱だから。陰影と強弱が無くなっちゃった。
 
惣:今朝、松本隆さんが「なぜ神戸にいるのか」っていうインタビューを受けてたんですよ。それは「風が吹いているからだ」って…
 
H:風男だね。
 
惣:その中で陰の話をしていたんですよ。で、結局『陰翳礼讃』の話をしていたんですけども。
 
H:ほうほう。
 
惣:光と陰…詩を書くときに陰の部分をまず描く、と。
 
H:なるほど。
 
惣:だけど、まあ阿久悠さんも生前に仰っていましたが、光の部分をみんな描くわけですよね。曲でも詩でもサウンドでも。で、陰の部分を描くことで立体的に見える、と。松本さんはいいこと仰りますね、と思いました。
 
H:まあそういう…クリエイティブな世界に欠かせない要素なんだろうね、うん。
 
惣:そうですね。この「光と陰があるから立体的に見える」。光だけだったらペタッとして、二次元的に見えるというか。
 
H:日本人は戦後、蛍光灯で暮らすようになったから。陰影が無くなっちゃった。
 
惣:ここ(=収録スタジオ)蛍光灯無いですね、やっぱり。
 
H:蛍光灯廃止。うん。
 
惣:蛍光灯、疲れるんですよね。僕は浴室を真っ暗にして寝て…入ってるんですよね。
 
H:寝てんの?
 
惣:寝てる時もあるけど。そんなに浴室が明るい理由があんのかな、って思って。洗う時に。
 
H:そうだよね。
 
惣:だから電気点けないで入ってたり。
 
H:まあわかるわ、それは。
 
惣:それが気持ちいいんで。…ちょっと脱線しましたが、戻ります。
 
H:はい。
 
 
惣:『S・F・X』を出した後、というか、直後になってくるんですけども、細野さんはそのまんま…何をやっていくかというと、ジェノヴァ、イタリア。その仕事が来るんですよ。1985年の春に。
 
H:はい。
 
惣:この時はイタリアに行かれてますよね?
 
H:行ってるよ、ジェノヴァに。インスタレーションを、メンフィス(Memphis)っていうデザイナーグループのね。コラボレーションをして、彼らがデザインをしたインスタレーションに音を…エンドレステープを仕込んで。公園に。ジェノヴァの公園にね。
 
惣:キヨッソーネ(Chiossone)公園というところだったそうです。
 
H:ああ、そうなんだ。
 
惣:で、そのエンドレステープが『エンドレス・トーキング』というアルバムに。
 
H:そうそう、まとめたんだ。
 
惣:それをやって、日本に帰ってきて。1985年の春、5月、当時NHKで『大黄河』という…
 
H:ん?
 
惣:『大黄河』っていう映画…ドラマがあったんです。
 
H:そうだっけ?
 
惣:それの(音楽の)コンペティションに細野さんと僕と宗次郎さんが入って、宗次郎さんが勝つんです。
 
H:あ、そうなの?知らなかった(笑)
 ※引用者註:『大黄河』はドラマ・映画ではなくドキュメンタリーとのこと。

NHK特集 大黄河 | NHK名作選(動画他)

 
惣:それを作った後に、YEN(レーベル)の卒業記念アルバムっていうのが出るんですよね。
 
H:ああ、まだYENがあったんだね。
 
惣:そう。♪又会う日まで~、っていうやつ。
 
H:なるほど。
 
惣:あれを僕(当時既に)ノンスタに入ってるんだけど、買いましたからね、普通に(笑)
 
H:ああそう(笑)
 
惣:あれ、終わってないんじゃない?みたいな。なのに始めちゃってていいの?みたいなことをビックリしてる時にですね、『観光』っていう本が出るんです。すごいでしょ?で、『観光』って本を僕は読んでる間に…
 
H:うん。
 
惣:「はっぴいえんどっていうのが再結成するからニッポン放送に来い」って言われたのが1985年6月です。
 
H・O:(笑)
 
H:ついてけないわ…
 
惣:「ALL TOGETHER NOW」という、国際青年記念、っていうね。
 
H:唐突に来たね、あれは。
 
惣:細野さん、よく受けましたね、これ(笑)
 
H:いやー、半信半疑だったね。なんか。困ったことは確かだよ。そんな時期じゃないな、っていう。
 
惣:まあ、みんなで相談したんだと思いますけれども…「ALL TOGETHER NOW」というコンサートが1985年6月15日に国立競技場で行われ。
 
H:んー。
 
惣:ノンスタンダードのメンバーはバックコーラスで、"さよならアメリカ、さよならニッポン"を合唱するっていう。
 
H:小西(康陽)くんがいたね(笑)
 
惣:小西くんも僕もみんな、ピチカートも(コシ)ミハルちゃんも、みんないました。で、まあそれがありました。
 
H:うんうん。
 
惣:で、細野さんは『コインシデンタル・ミュージック』っていう…当時CMをね、いっぱい…年がら年中やってて。
 
H:働き盛りだね。
 
惣:それのレコーディングに入っていくんですよ。
 
H:そうだね。
 
惣:で、ちょっとオーバーワークしてたのは事実で。かなりヘビースモーカーだったし、すごいイライラしてたし。
 
H:うん。
 
惣:で、今の平野ノラさんじゃないですけど、すごいでっかい携帯(電話)持ってて。
 
H・O:(笑)
 
惣:すごい憶えてるんですよ、僕。生まれて初めて携帯を見たのが細野さんだったんで…あの、平野ノラ調のヤツですよ。わかりますよね?
 
H:知ってるよ(笑)重いヤツね。
 
惣:トランシーバーみたいなヤツ。「はい、もしもし?!」っつって。なんかこう、この人大丈夫かな、みたいな(笑)
 
H:(笑)
 
惣:打ち合わせがね、まあ今も多いと思いますけど、非常に多く。
 
H:打ち合わせね…
 
惣:毎日打ち合わせしてましたよ。なんか。2、3人と。
 
H:やだやだ…
 
惣:もうボロボロっていうか。打ち合わせが終わったらそのままグリーン・バード(杉並)っていう、テイチクの、高円寺の方にあったスタジオに行って、朝までレコーディングするという。
 
H:そうだっけ。
 
惣:で、朝焼肉を食べて終わるという。体に非常に悪い生活を繰り返しながら、1985年は夏、7月に『銀河鉄道の夜』(発売)という…
 
H:その流れで作ってたわけ?「銀河鉄道」は。
 
惣:この流れです。春に作って、7月にはもう上映です。朝日ホールでトークイベントなんか…やった後に、もう今度、『ボーイ・ソプラノ』。ミハルちゃんのアルバムのレコーディングの手伝いに入っていくわけですよ。
 
H:すごいね。
 
惣:これはフリーダムっていう、代々木にね、今もありますけど。あそこに僕は見学しに行ったのを憶えてるんです。細野さんはもう、ヒゲで真っ黒けで。
 
H:(笑)
 
惣:カツ丼を出前で取りながら…
 
H:そんなことも憶えてんだ(笑)
 
惣:こういうことはよく憶えてるんです、人はね。でも、そのスピーカーから出てる音楽は、"野ばら"だったかどうかちょっとわかりませんけど、まあ素敵な音楽なわけ。
 
H:カツ丼じゃなかったね。
 
惣:その素敵な音楽とカツ丼とヒゲというのが、僕の『ボーイ・ソプラノ』の思い出…
 
一同:(笑)
 
 
野ばら - コシミハル
  (from『ボーイ・ソプラノ』)
 
 
 
 
惣:まあだから、現場というのはこういう厳しい世界なんだと。
 
H:そりゃそうだ…
 
惣:そんなに生易しい世界じゃないんだな、ということを知りながらですね、それが出て、先ほどのはっぴいえんどのライヴ盤(『THE HAPPY END』)がソニーで、すったもんだしながら出てるんですよ。
 
H:うんうん。
 
惣:これが1985年の9月ですよ。で、出まして。出たと思って、少し休めばいいものを、「F.O.E.」プロジェクトスタート。
 
H:休めばいいのに…(笑)
 
惣:休まないの。観音崎行ったんですよ、マリンスタジオって。
 
H:知ってるよ。
 
惣:いいとこだけどちょっと煮詰まるところで…
 
H:そうね。
 
惣:あ、「F.O.E.」はフレンズ・オブ・アース(Friends Of Earth)の略。
 
H:そう。「foe」ってそのまま訳すと「敵」になる。ヘンなの。
 
惣:そうわかっていたのに、そのままつけちゃったんですよね。
 
 
 
惣:えー、1985年。1985年の話をしています。さっき言ってた『ボーイ・ソプラノ』は11月21日に発売されます。F.O.E.始まってますよ。
 
H:んー。
 
惣:出たなと思ってたら、1985年の12月、師走に渡米します。
 
 
Sex Machine - F.O.E With James Brown
 
 
H:あれー…?
 
惣:例の取材です。
 
 
惣:まず最初に会ったのはビル・ラズウェルBill Laswell)。
 
 
惣:ニューヨークで会います。その後、アフリカ・バンバータAfrika Bambaataa)。
 
H:あー!
 
惣:憶えてますか。来日もしましたよね。
 
H:あのね、バンバータのいる事務所に行って"Body Snatchers"かけたの。聴かせたの。そしたら「クレイジー」って言われた。
 
惣:褒められたの?
 
H:いや、なんか…恐かったのかな。
 
惣:細野さんが?
 
H:じゃなくて…
 
惣:サウンドが?
 
H:うん。褒めた感じはしなかったんだよね。
 
惣:かなり、こう…強めの音楽ですからね。
 
H:うん。
 
惣:それで…まあアフリカ・バンバータに会い、それが12月10日なんですよ。で、12月11日にドクター・ジョンDr.John)に会うんですよ。
 
H:そうだっけ…?
 
惣:憶えてる?ニューヨークです。
 
H:あれ…全然憶えてないな。
 
惣:これすごいっすよ、この辺。取材ばっかりしてる。で、12月12日に、問題の日、ジェームス・ブラウンニューオーリンズで会うんです。
 
H:…アトランタだよ。
 
惣:アトランタなの?じゃあこれ間違ってるのかな…
 
H:なんか、野球場みたいな有名なところで、スーパーボウルみたいなところでライヴがあって。
 
惣:楽屋に?
 
H:うん、楽屋でインタビューした。それはたぶん前だったか後だったか、ライヴのね。もうね、(JBは)普通じゃないんだよ。なんかね一人で興奮して、人の話なんか聞いてる状態じゃないの。「Sex Machine!!」って連呼してるんだよ(笑)
 
惣:ホントに?それ。ものの本にはそう書いてありますけど。
 
H:ホントなんだよ。だからこっちも常軌を逸したことを言ってるんだよ。
 
惣:「Body Snatchers!!」とか。
 
H:うん…そうなの?(笑)
 
惣:細野さんが「Body Snatchers!!」って言ってたら会話になってないじゃないですか(笑)
 
H:全然なってなかった。まあ無理もないな、と思ってね。ライヴの時だから。
 
惣:この様子っていうのはその後、FMでオンエアーされたり、雑誌に載ったりして僕はその後知るんですけど。
 
H:そうだね。
 
惣:で、ジェームス・ブラウンに会った後、ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)に会ってるんですよね。
 
H:僕?
 
惣:12月13日。
 
H:どこで?
 
惣:ニューヨーク。ローリー・アンダーソンに会ってるんですよ。いいことしてますね、これね。
 
H:全然憶えてない(笑)
 
惣:この1週間、野中(英紀)くんが附いていったんですけど、通訳的に。で、1986年で発展期というか、ノンスタンダードが終わる年になっていくんですが。
 
H:うん。
 
惣:今の取材の様子は週刊FM、月刊プレイボーイとかいろんなところで掲載されたり、FM東京では「サウンド・マーケット」という形でずっと放送していて、僕もそれを聴きました。
 
H:そっかそっか。
 
惣:で、それがあった後に、JB来日するんですよね。
 
H:そうなんですよ。
 
惣:1986年で…青山CAYで、JBを呼んで、記者会見するんですよ。そんなことあります?
 
H:全っ然憶えてないよ(笑)
 
惣:そんなことあったら絶対見に行ったんだけど、これ行ってないんですよ。知らないんです。
 
H:夢なんじゃないの?
 
惣:調べた方がいらっしゃって、そういう風に書かれています。
 
H:へえ…
 
惣:で、これが2月3日なんです。1986年2月3日。それで翌日、2月4日に大阪城ホールでやるんですね。
 
H:ライヴね。
 
惣:F.O.E.とジェームス・ブラウンのジョイントライヴです。
 
H:そこだ、もう…それはね、忘れられない。
 
惣:この辺ちょっとツラい時期ですね、細野さん。で、僕はちょっと、ノンスタンダードそんなに続かないかなって、思い始めてた時期ですが…
 
H:(笑)
 
惣:いや、続いてほしかったんですよ?続いてほしかったんですが、続かないんじゃないかな、と、しっかり思ったのが2月8日、日本武道館で。
 
H:うん。
 
惣:東京でフレンズ・オブ・アースのジェームス・ブラウンとの…
 
H:あ、そっちを憶えてるんだ、僕は。
 
惣:大阪城ホールの後が武道館だった。
 
H:そうだったんだ。それはツラい思い出だ。
 
惣:細野さんはツラい思い出だったんで、今は訊きませんが…
 
H:いや、ジェームス・ブラウンを呼ぶっていうんで出てくれっていうんで、最初はこっち(F.O.E.)がトリだったわけ。そんなバカな、って言って前座にしてもらったわけ。
 
惣:うん
 
H:そしたらやっぱり、予想以上にブーイングがすごくて。ジェームス・ブラウンのファンっていうのはすごいコアだから。
 
惣:原理主義なんですよね、ソウルの。
 
 
惣:細野さんのソウルがわかっていないというか…
 
H:いや、わかるわけないっていうか、全然お呼びでない…
 
惣:まあ、そこでやってた音楽、スパーズ・アタックさんとか出てましたけど、ちょっとtoo muchな音楽だったので…
 
H:うん。
 
惣:細野さんが逃げるようにステージを降りられたのが印象的でした。
 
H:逃げたんだよ。座布団飛んできたから。
 
惣:座布団、ホントは無かったんですけどね。「座布団飛んだ」ってことに僕が言ったらなっちゃったっていう…すみません(笑)でも、この時にノンスタンダードの終焉を強く感じ始めた。
 
H:いちばん感じてたのは僕だよ。
 
惣:2番目は僕です。
 
H:そっか(笑)
 
惣:でね、それを感じさせた音楽が、その後に来るんですよ。
 
H:なんだい?
 
惣:それは、吉田喜重監督の『人間の約束』という(映画の)音楽を…
 
H:あー、その後なんだ。
 
惣:よくこれね、スタジオでも聴いてました。それがねえ、(細野さんは)「音楽要らない、いらない」って言って。
 
H:ちょうどね、僕の父親が倒れた時期なんだよ。
 
惣:そうそう、お父さんね。
 
H:で、映画の内容とシンクロしちゃうの。すごい気持ちが暗くなって、できない、ってつい言っちゃったんだ。今はそれを反省してるんだけどね。
 
惣:それが1986年の2月24日です。
 
H:いろんな事があったな。
 
 
 
惣:で、その翌月、3月20日。フレンズ・オブ・アース自体の『Sex Energy & Star』、最後のアルバムなんですけど、そのレコーディングが終わります。
 
H:なるほど?
 
惣:つまり、この間もレコーディングやってるんです。F.O.E.の。
 
H:うんうん。
 
惣:で、3月23日。レコーディングが終わったのは3月20日ね。その3日後にトラックダウンが終わった後、骨折します。
 
H:そこなんだよ。
 
惣:これ。この日の夜中。よく憶えてるんで。
 
H:世の中はね、ハレー彗星がやってきたの。
 
惣:えー、ハレー彗星が来たのは翌月なんです。
 
H:そっか。
 
惣:細野さんは見に行くんです。
 
H:見に行くね、翌月。うん。
 
惣:だから、まあシンクロしてるといえば、ハレー彗星の動きと細野さんの骨がシンクロしてたかもしれないですけど。
 
H:(笑)いやいや、そうやって憶えてるんだけなんだよ。ハレー彗星の年に足の骨折ったっていう。
 
惣:ココス島に行くんですね。細野さんは。
 
H:大雪が降ったんだよ。足の骨折った日はね。
 
惣:左足…
 
H:そうです。くるぶしを折っちゃって。
 
惣:パーカッションの浜口茂外也さんに発見され。
 
H:助けられ。「おじいちゃんが倒れてるよ」って誰かに言われて。見たら僕だったっていう。
 
惣:浜口さんが見つける辺り不思議ですよね。
 
H:不思議だね。おんぶしてくれて。
 
惣:で、僕が自分のを載せるわけじゃないですけど、1986年3月24日、翌日。
 
H:うん。
 
惣:僕とピチカート・ファイヴの小西くんが細野さんにインタビューする仕事があって。
 
H:そうね。
 
惣:それで僕は、(細野さんが)前日に足の骨を折ったって聞いたんで、流れたと思ってたら「いいよ」なんて言っちゃって。
 
H:んー。
 
惣:まあ、今とあんまり変わらないんですけど。「いいよ」ってなんでいいんだろう、みたいな感じなんですが。細野さんのお家に行きまして。
 
H:ああ、来たんだね。
 
惣:朝まで話を聞かせてもらいました。でも、その時の細野さんの様子は、まあ嬉しそうで。
 
H:解放されたからね。
 
惣:それまでの非常にツラそうな様子を見ていたんで、あー、これはホントになんか、終わりだ終わりだ!みたいな感じになっていって。
 
H:うん。
 
惣:ハレー彗星を見に行ってしまうんで。
 
H:そうそうそう。
 
惣:完全に、僕はね、終わったっていう…
 
H:そう、終わったんだよ(笑)
 
惣:でね、その月末が契約更新の月だったんですよ、テイチクとの。ちょうど。
 
H:あー、そう。
 
惣:それを更新しなかったんですよ。細野さんは。これは離脱です。ノンスタンダードレーベルのオーナーが、いち早く離脱されました。
 
H:(笑)
 
惣:で、残された所属バンド、アーティストはプロデューサー不在のままレコーディングを続行します。
 
H:ああ、そう。
 
惣:当時僕は知りませんでした。細野さんが契約更新しなかったことを。で、細野さんがちょっと休むんですよね、やっぱり。
 
H:んー。
 
惣:で、僕たちは、ワールドスタンダードとかSHI-SHONEN、ピチカートやアーバンダンスとかはレコーディングしてました。ずっと。
 
H:やってたんだ。
 
惣:でも細野さんはもうやんないわけですよ。居なくなっちゃったな、なんて思っていたら1986年の7月にミハルちゃんの『エコー・ド・ミハル』のレコーディングに入るんですよね。たぶん骨が治った。
 
H・O:(笑)
 
惣:それはSixtyレコードというところから、今は亡き。メルダックにありました。
 
H:ありましたね。
 
惣:Sixtyレコードと細野さんがね、急接近するという時期がこの先ちょっとあるんですけれども。
 
H:向こうの人が急接近してきたんだけどね。
 
惣:あ、細野さんがじゃないですよ、向こうのレーベル側が。近田春夫さんを筆頭に、細野さんのノンスタンダードとの契約が終わったというのを聞き付けて…
 
H:あー、そうだそうだ。
 
惣:それのレコーディングに、また入っていくんですよ。要するに、『エコー・ド・ミハル』が出たりしてくるんですが、"COME★BACK"という。
 
H:ラップだ。
 
惣:細野の『COME★BACK』というのが1987年の春、4月25日にリリースされます。この時点で完全に細野さんはノンスタじゃないんですよ。
 
H:(笑)
 
惣:僕は寝耳に水で、ショックっていうか。
 
H:そうだったんだ(笑)
 
惣:あっという間に2年が終わり、Sixtyレコードで『COME★BACK』してると。
 
H:(笑)
 
惣:聞いてないよ!って僕はよっぽど思ったらしくて、その翌月1987年の5月8日に「キーボードスペシャル」という本が当時あったんですけど、細野さんと対談するんですよね。これ憶えてなかった。
 
H:うん。
 
惣:細野さんに鈴木惣一朗が訊く、と。その時のタイトルが「歴史は早く次に行ってほしい」って書いてある。
 
H:あ、そう(笑)
 
惣:えー!みたいな(笑)その時の自分の気持ちを今思い返しますけど、たぶん愕然としたんじゃないかな、みたいな。
 
H:(笑)
 
惣:でも音楽業界は厳しい世界だな、と。この時に知ったという。
 
H:全然そんなこと考えてなかったけどね。
 
惣:これでノンスタンダードの2年にもわたる歴史はおしまいです。
 
H:お疲れ様です。話聞いてるだけで疲れちゃった。
 
惣:お疲れ様でした。
 
H:いやいや、本当に大変だった…
 
惣:ラジオではこの一部を流すと思いますが、ボックスにはすべて入れますから。
 
H:ああ、そうなんですか。
 
惣:1文字も漏らさず。みんな知りたいと思うので。…ということで岡田くん、大丈夫?
 
O:…何がですか(笑)
 
惣:はい。じゃあおしまい。お疲れさまでした。
 
H:またね、うん。
 
 
 
Pasio - World Standard
 (from『Double Happiness』)
 
 
 
 

2018.07.01 Inter FM「Daisy Holiday!」より

細野さんの返しがだんだん雑になっていくのウケますね。

 

daisy-holiday.sblo.jp

 

H:こんばんは。細野晴臣です。今回も…先週に引き続きですね。
 
O:こんばんは、岡田崇です。
 
惣:あ、こんばんは、鈴木惣一朗です。
 
H:取材、取材ね。
 
惣:いっぱいしゃべり過ぎましたね、先週は。僕が。
 
H:うーん、ひとりでしゃべってたね(笑)
 
惣:もう諦めてください。しょうがないんで。
 
H:いいよ。聴くの得意だから。
 
惣:この前木久扇さん(林家木久扇)の落語を観に行っちゃったんで…
 
H:あー、いいな。
 
惣:ちょっと落語っぽくなってるんですよ。
 
H:そんなにおもしろくはないよね。
 
一同:(笑)
 
惣:いやいや。そんなに面白くはないですよ、僕は。落語には「枕」っていうものがありますよね。
 
H:枕大好き。木久扇さんっていうのは枕だけでしょ?
 
惣:枕が素晴らしい…林家三平さんもそう。だから僕も枕かな、みたいな感じで話してますが。
 
H:なるほど。
 
惣:いっぱい話さなきゃいけないことがあって、どんどん訊きます。
 
H:どうぞ。じゃあ早口でどうぞ。
 
O:(笑)
 
惣:細野さんはあんまり早口…じゃないですよね。
 
H:僕はゆっ…
 
惣:ゆっくり目じゃないですか?
 
H:…く~り~なん~だよね~。早~い話…
 
惣:やめよう、やめよう(笑)
 
H:人見明。知らないか。
 
惣:古いしね、それ。
 
H:うん。
 
 
 
惣:この前は『銀河鉄道の夜』の制作時期の話をしていたんですけれども。細野さんはクラシックの音楽をよく聴いて…
 
H:そうです。その影響が出てます、あれ。
 
惣:それで、昨日聴き直していてちょっと思ったんですけど。
 
H:うん。
 
惣:細野さんってピアノはね、小さい時に…たとえばバイエル(Ferdinand Beyer)であるとか、そういうのって一回通られてるんですか?
 
H:強制的に…母親がピアノ好きだったんで。やらされてた。
 
惣:そうですか。ブルクミュラー(Johann Burgmüller)という人がいますけど。
 
H:ブルクミュラー、うん。
 
惣:『25の練習曲』という…
 
H:名曲が揃っていますよね。
 
惣:そうですよね。それでね、ブルクミュラーを昨日聴いてたんですけど、すごい細野さんの…
 
H:あー…バレたか(笑)
 
惣:お、ほら。ちょっと鋭くないですか(笑)スクエアーなクラシック・ピアノの練習曲ですが、『銀河鉄道の夜』を聴いているとブルクミュラーを思い出すんですよね。
  
H:なるほどね。
 
惣:で、聴き直したら、なんかこう…近い、というか
 
H:意識したことはなかったけど、いま言われて影響はあるかもしれないな、と。
 
惣:よかったぁ、訊いて。
 
H:もう一つね、教則本にフランスのがあるんですよ。『メトード・ローズ(Méthode Rose)』。
 
惣:知らないです。
 
H:これはね、元がフランス民謡だったり、なかなか個性的な教則本で。これが大好きだった。
 
惣:聴いてみます。
 
H:ブルクミュラーというのはもう一段階上の…
 
惣:難しい?
 
H:難しい。
 
惣:じゃあ、バイエルと[ブルクミュラーとの]真ん中ぐらいがメトード・ローズですか?
 
H:バイエルはね、やってないんだよね。
 
惣:あ、やってないんですか。
 
H:メトード・ローズから始めた。
 
惣:やっぱり違いますね。フランスから始まるんですね。
 
H:バイエルが全然おもしろくなくて…
 
惣:そうなんですよね。弾いてても苦しいだけっていうか…
 
H:まあ教則本っていうのはそういう[ものですよ]。まあ、そこら辺の影響っていうのはあるよね。子供のころに刷り込まれて。
 
惣:だから先週「holy」だのなんだのって僕言ってましたけど。
 
H:はい。
 
惣:細野さんが『銀河鉄道の夜』の仕事をするときに…「innocent」という簡単な言い方もありますけども、子供時代の頃の「戻った」感じが細野さんが奏でる曲に匂うんですよね。
 
H:そうですか。
 
惣:それは[「銀河鉄道」は]宮沢賢治さんが子供のために作ったお話でもあるから、そこに呼応したのかなとも思うんですけれども。
 
H:んー…あんまりそういうことは考えないでやったけどね。だから、思うまんま。
 
惣:うん。
 
H:結構ね、鍵盤に向かって即興的に作ってたんだよね。"プリオシーヌ"(="プリオシン海岸")なんてワンテイクだったんだよね。
 
惣:そうですか。
 
H:もうほとんど同時にミックスしちゃったみたいなところがあるんですけど。あのテーマ曲は…あれは、いつできたんだろうね?
 
惣:訊かれてもね(笑)
 
H:憶えてないんだけど…
 
惣:あれ、いいじゃないですか。
 
H:あれは好きだよ、自分でも。んー。
 
惣:あれを称して「リリカル」と言いますけどね。
 
H:そうなんですか。
 
惣:「リリカル」とはあの曲のことだ、と言ってもいいですね。いまでも好きです。
 
H:あ、そうなんですか。
 
 
 
メイン・タイトル(『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
 
H:どこから出て来たんだかね、わからないんですよ僕もね。あれは。
 
惣:不思議、ですね。あの辺の音楽詳しいつもりでいますが、出てこない。引き出しがわからない。
 
H:僕もわかんないんですけど、小学校の時に…さっき言ったピアノの教則本もあるけど、映画もあるんだよね。
 
惣:あ、そうそう。そのことを聞きたかった。
 
H:でも、[その映画の]音楽を憶えてるわけじゃないんだよね。イメージなんだよ。たとえば、不思議なアニメーションがあるの。
 
惣:なんだろう。
 
H:『悪魔の発明(Vynález zkázy)』っていう。
 
惣:あっ、あっ。それで「悪魔の発明」…これは後で訊きます。そこから?
 
H:これはいま観たい作品の一つなんだけどね。アニメーション。これの音楽がどうだったか憶えてないんだけど、その世界観が大好きだった。
 
惣:なるほどね。
 
H:同時に…チェコとかロシアのアニメーションも好きだった。ゆったりとしたね。
 
惣:うん。
 
H:だから、アニメーションというと僕の中では原点が、それがあって、一方ではディズニーのアニメがあったけどね。あるいはワーナーとかね。『トムとジェリー』とか、そういうのもあったけど。自分にいちばん近いのは『悪魔の発明』だったりする。うん。
 
惣:細野さんというと、一般的には「アメリカ音楽にとっても詳しい人」という風な、ざっくりした…
 
H:だろうな。アメリカ音楽研究会。
 
惣:アメリカ音楽伝承家。
 
H:はい。
 
惣:ところがですね、この『銀河鉄道の夜』…[細野さんのキャリアの中の]ある時期において急に東欧的な…
 
H:全然アメリカは無いね、この「銀河鉄道」の中に。
 
惣:まあ、ガーシュインGeorge Gershwin)とかはちょっとあるかもしれないけど。非常にヨーロッパ的な音楽に寄る時期があるんですよ。
 
H:たしかにそうですね。
 
惣:たとえばですね…あ、おめでとうございました。最近賞を獲られた…
 
H:僕は[賞に]関係無い。
 
惣:『万引き家族』の音楽を僕もちょっと聴かせて頂いたんですが…
 
H:そうだ、宣伝。サントラの配信…
 
惣:あ、急に宣伝の時間ですか、また。宣伝の時間が…岡田くん。
 
H:岡田くん、きょうも一つ。ね。
 
O:『万引き家族』のサントラ配信が…
 
H:それはいいんだよ、それはもう言ったから(笑)
 
O:で、ですね…ボー・ハンクスの…(笑)
 
H:いいよ、毎週言わなきゃ。ちゃんと言って、ちゃんと。
 
O:レイモンド・スコットカヴァー集が2タイトル同時に発売になっておりますので、皆さん…
 
H:…「皆さん」どうしたんだよ(笑)
 
O:買ってほしいなぁ!(笑)
 
惣:心の叫びだ!
 
O:そこんとこぜひ、よろしくお願いします。
  
H:オッケー。じゃあそれはもうそれで、次。
 
惣:また戻っていいんですか?
 
H:いいですよ。
 
O:突然だった…(笑)
 
 
 
惣:そう、映画音楽になると、今年の『万引き家族』でもそうですが。
 
H:うん。
 
惣:まあ、ブラジルっぽい曲もありますが、細野さんの中の…さっき話してました「東欧・ヨーロッパ主義」みたいなものがまた一瞬にして戻ってくる辺りにですね…
 
H:出てくるね。
 
惣:そんな音楽家いないですよ、なかなか。アメリカ音楽やってるんだったらアメリカ音楽やっててくださいよ。
 
H:(笑)
 
惣:この引き出しが…階層になってるんですかね?どうなってるのかなぁ、と思って。
 
H:あのね、なんかの取材で答えたんだけど、やっぱりね「音楽的統合失調症」なんですよ。
 
惣:「音楽的統合失調症」って実際にあるんですか?
 
H:いや、僕の中ではあるんだと思うよ。
 
惣:統合が失調しちゃってるんですね。
 
H:統合できてないんだよね。
 
惣:どうなってんですか?
 
H:子どもの頃…戦後生まれだから、それこそホントにGHQの「洗脳」を受けてるんだよね。ブギなんかそうだよ。スウィング、ブギ…でもそれらが素晴らしいからいいワケだよ。
 
惣:うん。
 
H:つまんないものに洗脳されたわけじゃないから。いいものにすごく影響されて、それはもう自分からは拭い去れないっていうか、自分の核に入っちゃってるからね。
 
惣:はい。
 
H:で、ヨーロッパ的なものっていうのはもっと…アメリカ的なものがフィジカルなものだとすれば、ヨーロッパのものはメンタルにすごく入りこんできてるんで。
 
惣:うん。
 
H:そこら辺がやっぱり、統一できてないっていうかね。でも、自分の中では全部平等に影響されているものなんで、出しちゃってるけどね、時と場合によって。あんまり使い分けてはいないっていうか。受けた仕事の中でそれが活かされればそれを使うとか、そんなところですね。
 
惣:僕も1959年の生まれですが、1960年代に繁華街とかラジオでは普通に…いまでも記憶がありますが、ヨーロッパがね、ニーノ・ロータ(Nino Rota)とか有名ですけど。
 
H:そう。わりと世界的にヒットチャートに上がってきたりしてた時代があったんだよね。
 
惣:普通にかかってて…まあ僕が10歳の時にビートルズを聴く前の刷り込みというのがあって、つまりイギリスやアメリカのロックに触れる前に、ヨーロッパの軽音楽に触れてしまっている。
 
H:そうなんだよ。
 
惣:自分の意識とは関係なく。で、いまの細野さんのお話を聞いていると、GHQのアレがあるのかもしれないですけども…
 
H:だから、アメリカだけじゃなかった時代、っていうのがあるんだね。たしかにそれ、言われてみると、そうだよ。サンレモ(Sanremo)の音楽とかね。
 
惣:サンレモ音楽祭、ありましたね。
 
H:カンツォーネが流行ったり。いい曲がいっぱいあるじゃない。やっぱりそれはヒットパレードに出てくるんだよ。ラジオでかかってるから、いっぱい。
 
惣:ユーロヴィジョン・コンテストというものがありまして。
 
H:へぇ、それは知らなかったな。
 
惣:毎年々々、ヨーロッパの人が…日本でテレビでやってたり。"ナオミの夢(אני חולם על נעמי)"とか、有名ですけど。ミッシェル・ポルナレフMichel Polnareff)とか、ヘドバとダビデ(חדוה ודוד)。
 
H:あー。なるほどね。
 
惣:ああいうものが普通に流行って。で、日本語ヴァージョンとフランス語ヴァージョンが[出たり]。シルヴィ・バルタン(Sylvie Vartan)とか。
 
H:僕はもっとその前だね。カテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente)とか。
 
H:"情熱の花(Tout L'Amour)"日本語ヴァージョン、とかね。
 
惣:"日曜はダメよ"(Ποτέ Την Κυριακή / Never on Sunday)とか、そうした細野さんが大好きなものもやっぱり普通に…あれギリシャ[映画]ですからね。ああいうのはなかなかいま無いですよ、ギリシャ映画なんて。
 
H:そうですね。
 
惣:でも普通に流行ってたし…
 
H:映画音楽のテーマもヒットパレードに入ってきたんだよね。"ベン・ハーのテーマ"とかね(笑)映画音楽もいっぱいあったんで。
 
惣:うん。
 
H:そういう意味では、子供の頃っていうのは…小学校入る前の時代に僕はブギとか聴いてたから、小学校の時からはもっと開かれた、アメリカだけじゃない音楽をいっぱい聴いてたね。たしかにそうだ。
 
惣:まあそれが時期とか、仕事に内容によっていろいろ変わる、という風な感じもしますが。いまちょっと話しながら思い出しましたけど、細野さんが『銀河鉄道の夜』をやられる前に…
 
H:うん。
 
惣:いろいろね、YMOの時期とクロスしますけれども、「こんな映画音楽が好きだよ」っていうのを新聞で時々コメントを寄せていたことがあって。
 
H:そうでしたっけ。
 
惣:よくそれを見てみました。で、あれ、こんなのも言ってくるんだと思ったのは、さっき(先週)「揺れる」っていうことを言ってましたけど、『銀河鉄道の夜』を作る時に。
 
H:うん。
 
惣:『ブリキの太鼓(Die Blechtrommel)』。
 
H:大好きだ。
 
惣:細野さん好きでしょ?モーリス…
 
H:ジャール(Maurice Jarre)。
 
惣:[音楽を担当したモーリス・ジャールという人のことをものすごく強めに書いている。
 
H:すごい好き。
 
惣:その後『銀河鉄道の夜』になるんですが。まあ直接的に…あれは太鼓の音が印象的ですが。細野さんはその後、ミハルちゃん(コシミハル)とスウィング・スロウとかをやられる時に。
 
H:はい。
 
惣:なんか、なんとなくスネアのロールが無意味に入ってきたり。
 
H:無意味か…(笑)
 
惣:すみません、無意味って言っちゃいましたね(笑)まあ、音楽に意味はないですから、ほとんど。
 
H:はい。
 
惣:『ブリキの太鼓』っぽい感じがちょこちょこっと出てくるんですよね、
 
H:スウィング・スロウにそれが出てるかなぁ…
 
惣:それはいま勢いで言いました。
 
H:まあでも、『ブリキの太鼓』は世界中のミュージシャンに影響を与えたんですよ、実は。
 
惣:あ、そうなんですか?
 
H:はい。イギリスにジャパン(Japan)がいたでしょ。
 
惣:ジャパン、はい、デヴィッド・シルヴィアンDavid Sylvian)。
 
H:彼らが『Tin Drum』っていうアルバムを作ってるんですよ。
 
惣:『Tin Drum』、いいアルバムでしたね。
 
H:それはもうまさに『ブリキの太鼓』の影響ですよ。あの映画で初めて触れた音っていうのがあるんですよね。葦笛なのか、ブルブル言う笛の音。あれがよかったんだよね。
 
惣:細野さんはあれをProphet-5で再現してますよね。
 
H:もう、真似しようと思ってね。
 
惣:で、再現できてるんですよね、恐いことに。
 
H:出来てた?ほんと?(笑)
 
惣:そういうことを知らずに聴いても、なんか繋がってるんじゃないのかなって思ってましたから。
 
H:意識的に、集中して作った曲っていうのは憶えてるけどね。んー。
 
惣:だからまあ、映画音楽をやられる時に、さっきの東欧のこともそうですけども、好きな映画音楽の作家とか映画のイメージが…細野さんは「映画を聴きましょう」の方ですから、いっぱい出てくるというか。
 
H:うんうん。
 
惣:『銀河鉄道の夜』も…分析なんかできませんけど、いろんなテクスチャーが入ってるような気がするんですよね。
 
H:まあ…いま思えば自分的はまだ若い、若すぎたな。
 
惣:細野さんあの頃いくつですか?40前ですか?
 
H:40前ですよ。
 
惣:若い…年下だ。肌ツルツルしてましたもんね。
 
H:いやいや(笑)いま膝っ小僧ツルツルだからね。
 
O:(笑)
 
惣:それ、どうしちゃったんですか?
 
H:健康のバロメーターなんだよ。
 
惣:膝っ小僧のツルツル度が?
 
H:うん。
 
惣:あれ、僕黒ずんでますけどね。疲れてんですかね。
 
H:疲れてんじゃないの?
 
惣:あっれぇ…クリーム塗ればいいの?
 
H:僕は何もしない。で、膝小僧ピカピカなんだよ。それがくすむとやっぱりダメなんだよ。
 
惣:あ、ホント?そうなの岡田くん?
 
O:いや、どうですかね(笑)
 
惣:あっそう、気にしてみます。
 
H:まあ誰でもそうってワケじゃないからね。
 
惣:まあ元気そうですよね。
 
H:友達の野上眞宏くん、こないだここに来たりして。「あと10年だね」なんて話はしてますけどね。
 
惣:あと10年だねっていうのは81歳ですか?
 
H:そうです。平均寿命に届いちゃうとね、もう後10年くらいですよ。まあしょうがないよね。
 
惣:うーん、まあ僕ももう言えないですからね。
 
H:みんなおんなじだよ。誰だって。
 
惣:ねえ。順繰り順繰りに。
 
H:なんの話?
 
惣:いや「銀河鉄道」の話をして、『ブリキの太鼓』だの言ってましたが。「銀河鉄道」の話をもう、終えようかな、と。
 
H:いいねえ!
 
惣:急に…(笑)さて細野さん、完全版を…細野さんにもアウトテイクを渡してあって。
 
H:はいはい、聴いた。うん。
 
惣:聴いて頂いたと思うんですけど、3曲ボツということで。
 
H:はい。
 
惣:だけど[それを除いても]30分以上ありますよね、いろいろ。
 
H:結構あるね。
 
惣:だから2枚組になるんで。皆さんお楽しみに、ということで…
 
H:特に、なんかでも…「これは!」っていうのが無かった、自分的にはね。
 
惣・O:シーッ!
 
H:…まあ、興味深いけどね。
 
惣:まあ、僕はそんなことはないと思いますけども。
 
H:そうだ、讃美歌が入ってるんだね。
 
惣:讃美歌が入ってます。
 
H:これは本編に入れてないCDだよね。
 
惣:入れてないヴァージョンが見つかったり、デモテープが見つかったり。
 
H:デモテープっぽいよね。
 
惣:貴重なものが見つかったんで収録して、今年の末には出ると思うんで、皆さんお楽しみに。
 
H:そうですね。僕も楽しみにしています。
 
 
 
ジョバンニの幻想(『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
 
惣:という感じで、『銀河鉄道の夜』の話は終わりまして。
 
H:はい。
 
惣:さて、本編に入りますけど…
 
H:あれ、これから本編なの?(笑)
 
惣:ノン・スタンダード(NON-STANDARAD)レーベルが1984年の春から1986年の春まで。
 
H:2年間ね。
 
惣:わずか2年間の中で毎月、毎月アルバムがたくさん。
 
H:毎月出してたんだ。
 
惣:しかも月に1枚じゃないんですよね。月に4,5枚出てたんですよね。
 
H:すごい。
 
惣:ええ、そういう時期で…3つの季節に僕は分けたんですけど…黎明期、まず。1984年。
 
H:うん。
 
惣:南口さん(南口重治, 当時テイチク社長)と、テイチクの会見をした…前回そういう話もしましたが、『S・F・X』に入っていく辺り。
 
H:うんうん。
 
惣:で、アウトテイクが2曲発見されて。
 
H:そうなんだよね。
 
惣:それを収録してもいいというめでたいご意見を頂いたので、その2曲のことを今日は特別に…皆さんこういうことに興味があると思うんで。
 
H:うん。
 
惣:僕は以前「録音術」という本をやってた時、いろんな細野さんのマスターテープを見ている中に2 Mixのテープがあって。岡田くんと撮影をしにテイチクに行って、その中に"悪魔の発明"と書いてある曲と…
 
H:さっき話が出てたやつだ。
 
惣:"北極"という風に書いてある曲…
 
H:んー。
 
惣:"Medium Composition; #2"のアウトテイクというのもあるんですけど、それは今回は対象にしませんでしたが。
 
H:それは聞いてないね。
 
惣:『S・F・X』のアウトはこの"北極"と呼ばれる曲と"悪魔の発明"。
 
H:うん。
 
惣:"悪魔の発明"はカレル・デーマン…
 
H:ゼーマン(Karel Zeman)。
 
惣:ゼーマンですか、という[監督の]アニメーションから曲名をインスパイアされて付けられているもの。
 
H:うん。
 
惣:で、僕は聴いてみました。が、"Body Snatchers"だった。
 
H:そうだね。
 
惣:"Body Snatchers"のサビ抜きですね。大サビって言えばいいかな。ベーシックはほとんどできていて、なぜこれをボツにするのかわからない…
 
H:ボツっていうか、それを下敷きにして[Body Snatchersとして]作りなおしたんじゃないかな。
 
惣:で、もう一つ。ま、もう一つが結構謎で、"北極"。
 
H:これどういう曲だっけな…ちょっと憶えてない(笑)
 
惣:YMOの『BGM』に入っていた"CUE"に似てるとか…
 
H:そうだ、"CUE"に似てるっていうんでボツにしたっていうことね。
 
惣:で、マルチテープに…細野さんの文字は僕は見るとわかるんで、「YMO CUE?」って書いてあるんですよ。で、もうボツにする気満々で。
 
H:あ、そっか。 
 
惣:つまり、でも、『S・F・X』のレコーディングの最初の段階でやってるはずなんですよね。
 
H:まだYMOの余韻のまんまやってるんだよね。
 
惣:リズムの感じとかコード感とかちょっと似ていて。クリシェが、循環コード。
 
H:おんなじ。
 
惣:それがたぶん気に入らなくて。
 
H:そうね。でもいま聴くと、別に悪くはない。
 
惣:あれ歌のっければね…
 
H:まあ、歌をいつか入れてもいいけどね。
 
惣:つまり、『S・F・X』のアウトテイクに僕が固執した理由が一つあって、発売した時から、なぜ6曲入りなんだ、ということが…
 
H:(笑)
 
惣:素朴な疑問だったんですよ。
 
H:そんな少ないの?(笑)
 
惣:6曲しか入ってない。
 
H:コンパクトディスクだよね。
 
惣:コンパクトすぎるコンパクトディスクだったんですけど…1985年の時点でもかなりコンパクトで。まあレーベルが始まるぞ、という旗揚げみたいな時期に6曲入りってちょっとないんじゃないかなぁ、みたいな
 
H:ねえ。
 
惣:もうちょっと入れてくださいよ、って思ってたら、細野さんはちゃんと仕事してたんですね、ということを今年になって分かりました。失礼致しました。
 
H:ちゃんと仕事してた、ってどういうこと?
 
惣:ちゃんと録音してたってことですよ。いっぱいね。10曲くらいだいたいやるじゃないですか。この時もやられてたんですよね。
 
H:全部カットしちゃったんだね。
 
惣:だけど、当時の担当エンジニアの寺田康彦さんが「細野さんは完璧を目指した」と、『S・F・X』で。この2曲は外す理由があったんじゃないかと。
 
H:んー。
 
惣:で、ああそうですか、みたいな感じだったんですけど、いま聴いてみるとおもしろいなあ、と。
 
H:おそらく、当時って1曲が長い時代だよね。
 
惣:そう、リミックスもしたりするから。
 
H:だから6曲といってもそんなに短くはないんだよね。
 
惣:それで、なんで"北極"ってタイトルなんですか?
 
H:いや、憶えてないね(笑)
 
惣:憶えてないでしょう。"北極"ですよ。"北極"といえばもう熊ぐらいしか思えませんけど、僕は。
 
H:あのね、逆さまにすると意味が出てきちゃうね。「極北」。
 
惣:「極北の音楽家」といえば、細野晴臣
 
H:「辺境の音楽」とか言われてたね(笑)
 
惣:辺境の音楽は僕でさえ言われてましたね(笑)
 
H:あ、そうなの?(笑)仲間だ。
 
惣:ね、寂しい思いをしたりもしますが。あ、「極北」ですか。
 
H:としか考えられないね、いま思えばね。
 
惣:細野さん言葉をひっくり返すの好きですよね。タイトル。
 
H:んー、そうだっけ。
 
惣:そうですよ(笑)
 
 
惣:(笑)
 
H:えー、じゃあ、話は尽きないんで…この話の続きはまた来週ってことだよ。
 
惣:はい、また来週。
 
H:また来週。岡田くん、いい?
 
O:はい。
 
 
Body Snatchers (Special Mix) - 細野晴臣
 (from『S・F・X』)
 
 
 
 

2018.06.24 Inter FM「Daisy Holiday!」より

NON-STANDARD&MONADボックス、めちゃくちゃ楽しみです。

 

daisy-holiday.sblo.jp

 

H:こんばんは。細野晴臣です。えー、今日はですね…まずは。
 
O:こんばんは、岡田崇です。
 
H:はい。そして?
 
惣:あ、こんばんは。ご無沙汰してます、鈴木惣一朗です。
 
H:鈴木くん、久しぶりだね。
 
惣:いや細野さん、あのね、今朝起きたら、警官がやって来たんですけど…そんなことはいいんだけど(笑)
 
H:いやいや、おもしろいな、なんだそりゃ。
 
惣:隣の家に不法入国者の女の人がいたらしく…これ言っていいのかな、ラジオで。まあいいや…見かけましたか、って。そういう人って多いんですかね、世の中に。
 
H:最近多いんじゃない?んー。
 
惣:細野さんは不法…ではないですね(笑)
 
H:いやー、不法に生まれちゃったのかな。
 
惣:無国籍っぽい…(笑)
 
H:でもパリで…パリだか知らないけど、フランスで5,6Fのベランダから子どもが落ちそうになったところに、登っていって助けたアフリカ系の男の人がいるじゃん。
 
惣:ええ?!
 
H:その人は不法移民だったの。
 
惣:ああ、いい人なんだ。
 
H:でも、それでヒーローになっちゃったんで、大統領と対談して、不法移民を解除して、おまけに消防署員の職を与えてあげたっていう。
 
惣:あ…じゃあ「不法」と言いますが悪い人ばかりではない、と。
 
H:悪い人が不法っていうことじゃないからね。
 
惣:あ、それは偏見ですね。いや、言葉をパッと聞くと、アッ、と思っちゃう。
 
H:ね、「不法」。うん。
 
惣:そんな話をね、しに来たんじゃないんですよ。
 
H:何?(笑)
 
惣:いや、きょうは大事なね…発表します、発表しますよ、ここで。
 
H:どうぞ。
 
惣:細野さんの力作、『銀河鉄道の夜』という。かつて…憶えてますか?
 
H:なんとなくね。
 
惣:それの完全版をですね、年内に出そうと。
 
H:知ってるよ、それ。
 
惣:と、同時に。
 
H:はい。
 
惣:僕が所属していたノン・スタンダード(NON-STANDARD)レーベル、モナドMONAD)レーベル…
 
H:テイチクでやっていた…
 
惣:テイチクでやっていたものを僕がボックスセットでまとめる、という偉業に…
 
H:ありがたいことです。
 
惣:まさに手を掛けようとしている時にですね、このラジオに呼ばれたので、お忙しい…ロンドンに行く前の細野さんに…
 
H:取材ね、この番組は。
 
惣:取材も兼ねて…(笑)ラジオに出るという。なんか以前もそういうパターンがあったような気がするんですけど。
 
H:どうぞ?
 
惣:ちょっとまあ、忙しいから…訊かなきゃいけないんですけど。
 
H:いいよ。
 
惣:いいですか?
 
H:岡田くんもいいの?
 
O:はい、あの、聞いてます。
 
H・惣:(笑)
 
惣:なんか、細野さんが眠くなりそうだったらハァッとか言ってね。
 
O:ハァッって言うんですか(笑)
 
H:なんかギャグかまして、ギャグ。
 
惣:ちょっと、一時間ぐらいは話しますよ?
 
H:この番組30分だけどね。あ、2回に分けるのね。
 
惣:ああ、そうなの?
 
H:オッケー。
 
 
 
メイン・タイトル(『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
 
 
 
惣:いいですか?
 
H:どうぞ。
 
惣:まず最初に、『銀河鉄道の夜』。1985年の4月…もう何年前ですか、33年前ですか。
 
H:もうね、数えられないんだよ。
 
惣:僕は音響ハウスにおりまして、その頃。WORLD STANDARDのミックスダウンというのをやっていたんですが。
 
H:築地にある音響ハウス(ONKIO HAUS)ね。
 
惣:で、プロデューサーが細野晴臣という人で。
 
H:そうだったんだね。
 
惣:僕が作業をしていると、細野さんが裸足に短パンでやって来る、という日々を…
 
H:裸足じゃないでしょ(笑)
 
惣:いやいや、裸足でした。あ、スタジオに来たら裸足になってた。
 
H:あー、当時そうだったかもね。
 
惣:靴下がにおうって、言ってました。
 
H:におわないよ(笑)
 
惣:失礼しました。それでね、『銀河鉄道の夜』をちょうど細野さんは制作している時期で、サウンドトラックを。
 
H:あー。
 
惣:すごいいっぱいアルバムを作られている時だったので。
 
H:そうね、よく働いてたよな、あの頃。
 
惣:それを、スタジオに来てかけてくれたの。
 
H:あ、ホント?
 
惣:すごいよく憶えてます。
 
H:へぇ、そうか。
 
惣:「鈴木くん、聴いて聴いて」みたいな。すごい機嫌が良かった。
 
H:(笑)
 
惣:まあ当時元気でしたから、細野さん。今も元気だけど。
 
H:いやー、元気ないっすね。
 
惣:声も大きくて。「聴いてよ!」みたいな。
 
H:ホント!?
 
O:(笑)
 
惣:無理やり言ってくれっていうんじゃ…(笑)それで「銀河鉄道」のテーマを聴かされて…ブッ飛んじゃったっていうか、落ち込んじゃった。
 
H:落ち込んだ?
 
惣:いやいや、だって自分が作ってる慎ましやかな音楽に比べると、ものすごいダイナミックに聞こえました。
 
H:そうだっけね…んー。
 
惣:ビックリしちゃって。僕(当時は)知らなくて、あんまり様子を。細野さんこれ、「銀河鉄道の夜」っていうのは何なんですか、まあ「映画の音楽です」と。
 
H:うんうん。
 
惣:で、「いっぱいトラックを作ったんで、2枚組になっちゃうと思うよ、鈴木くん」って言われたのをすんごい憶えてる。
 
H:ああ、そうだったっけ。
 
惣:30年経っても憶えてたの。
 
H:おー。執念深いっていうかね。
 
惣:大事なことは憶えてる、と。
 
H:そうか。ぜんぜん忘れてるわ、それ。
 
惣:それで、テイチクのテープ倉庫で調べたところ…
 
H:調べちゃったんだね。
 
惣:(未発音源が)いっぱいあった、という流れがありまして…で、それのインタビューというか、ブックレットにも使用されるものを訊くんですが…前置きが長くなりました。
 
H:いいよ。
 
惣:そもそもですね、細野さんが宮沢賢治さんと、小っちゃい頃かもしれませんが、「出会った」というか、「銀河鉄道の夜」の(原作)本を(初めて)読んだのはいつ頃ですかね。
 
H:「銀河鉄道」はね、はっぴいえんどの頃だね。
 
惣:あ、ホント?
 
H:うん。その前のは…「風の又三郎」とかね、映画にもなってるし、いろんな形で知ってはいる。
 
惣:それは小さい頃に?
 
H:そうそうそう。子どもとして、子ども向けの物語として捉えてたけどね。
 
惣:たとえば稲垣足穂さんとか、中原中也さんであるとかも、はっぴいえんどの時に…?
 
H:それ以降だね。ああいうのは大人になんないとわかんないから。
 
惣:そうですか。そのはっぴいえんどの時の「銀河鉄道の夜」は、松本(隆)さんとかに教えられたものですか?
 
H:まあ教えられたというか、有名な本だから…松本隆がそういうのをすごく読んでたのは知ってるけど。ま、自分もこの際だから、ということでね、読んでみたけどね。うん。
 
惣:その時の印象は?不思議なお話なんで。
 
H:んー、そうだね…長かったな。
 
惣:(笑)長かったね。でも読み切った。
 
H:たぶんね…たぶん。よく憶えてないんだよね(笑)
 
惣:いいです、憶えてることだけ言ってくれれば、いいです。
 
H:はい。
 
惣:で、その中にインサートされていたお話の中に…タイタニック号のお話がインサートされているんですが。
 
H:そうなんだよね。
 
惣:その有名な(細野さんの)おじいさんとの因果関係について、わかってましたか?その頃。
 
H:因果鉄道の夜だ。
 
惣:因果鉄道の夜じゃないです。
 
H:いやあ…なんとなくね、おんなじ時代だったのか、ということだよね。
 
惣:あ、ちょっとボワンとしてるけど、知ってはいたんですね。
 
H:うん。殊更そこを掘り下げたりはしなかったけど。
 
惣:その中で"主よ 御許に近づかん(Nearer, my God, to thee)"という讃美歌が、タイタニック号が沈んでいく時に楽団が演奏していて。
 
 
H:有名な話としてね。
 
惣:もう、童話のようなお話ですが、そのことは細野さんは…その後に知りましたか?
 
H:その後だよね。ギャヴィン・ブライヤーズ(Gavin Bryars)の『タイタニック号の沈没』というアルバムがあるんですけど。
 
惣:はい。『The Sinking of the Titanic』。
 
H:そうです。それをよく聴いてたんですよ、すごく好きでね。
 
惣:Obscureという、ブライアン・イーノ(Brian Eno)のレーベル。みんなよかったですね。
 
H:で、(そのアルバムでは)その時の…楽団が演奏していたのは実はこっちなんじゃないか、っていう曲を取り上げてた。
 
惣:うん。
 
H:それが讃美歌の何番かはちょっと憶えてないんですよ(笑)
 
惣:そう、3つくらい候補があって。"主よ 御許に近づかん"ではないんじゃないか。"エアー"っていうものじゃないかとか、いろいろあったんですけども。
 
H:通説でね。
 
 
惣:まあ、そういうストーリーが重なっていくというか。おじいさんのことやブライアン・イーノのObsureで聴いていたもの…で、テイチクで、ノン・スタンダードレーベルというものをやることになり。
 
H:うん。
 
惣:細野さんはね、かなり早い段階でこの映画のオファーを受けています。
 
H:いつだろう。
 
惣:1984年の暮れ。だから、YMOで、アルファのYENレーベルはまだ継続されてはいるんですが、テイチクと契約を結びます。
 
H:はい。
 
惣:つまりアルファとノン・スタンダードはちょっとクロスしているんですよね。
 
H:そっかそっか。
 
惣:なかなか不思議な…
 
H:二重契約?(笑)
 
惣:二重契約じゃないんですけど、まあいろんな、大人の事情だとは思うんですが…その「銀河鉄道の夜」のオファーが来た時のことって、なにか憶えてることはありますか?
 
H:…ぜんぜん無い。テイチクとの契約のことはよく憶えてますよ。南口(重治)社長さんっていう、名物社長さん。奈良の人ですよ。
 
惣:はい。
 
H:で、(南口社長が)「細野さんの夢を見た」っていうんで、これは仕方ないな、って思って契約しましたよね(笑)
 
惣:アレでも本当だったみたいですよ。
 
H:ホントなんだね。ウソはつかないだろうね(笑)
 
惣:まあ細野さんは僕の枕元にも立つことはあるんですけれども。
 
H:まだ生きてるよ(笑)
 
惣:枕元に立つっていうのはちょっと言葉を間違えましたが…(笑)夢に出てくることもあるんですが、大体ふざけてる、と。
 
H:ああそう(笑)
 
惣:まあ僕の印象なんですよ。大体細野さんはふざけて夢に出てくる。
 
H:そうか。
 
惣:ただ、南口さんの夢の中では神懸かった感じで出てきたみたいですよ。
 
H:なんでだろうね…詳しいことはよくわからないんだけど。
 
惣:で、テイチクで契約を結んだ後に…最初の『Making of NON-STANDARD MUSIC』っていうアルバムのレコーディングに入るんですが、これが1984年の春なんです。南口さんと会ってるのは。
 
H:うん。
 
惣:で、7月には記者会見をやるんですよね、細野さん。
 
H:そうでしたっけね。
 
惣:こんなことやってる時に、もう銀河鉄道のオファーは来てるんですが…
 
H:来てるんだね。
 
惣:来てるんですが、まー細野さんは忙しくて、いきなり『パラダイスビュー』に出ろ、と。
 
H:そっちに行っちゃったんだね。
 
惣:たぶんその話を聞きながら沖縄に行っちゃってんですよね。小林薫さんや戸川純さんと。
 
H:なるほどね…忙しいなあ、かわいそうに…(笑)
 
O:(笑)
 
惣:まあ今もちょっとかわいそうな気もするんですけど。
 
H:僕?
 
惣:ええ。まあそういう宿命だと。諦めてください。
 
 
The Paradise View(『PARADISE VIEW』より) - 細野晴臣
 
 
H:あのね、『パラダイスビュー』のことは憶えてるよ。『パラダイスビュー』のアイディアを持って来たのは高嶺(剛)さんという監督ね、石垣の人なの。
 
惣:あ、そうなんですか。
 
H:でも大阪に住んでたんだけど。で、僕を主役にしたいって言うんだよ、最初。映画の。
 
惣:あ、小林薫さんじゃなくて?
 
H:じゃなくて。最初の時。それ、お断りしたの。
 
惣:え、主役やればよかったのに…
 
H:主役の器じゃない、って言って。
 
惣:でも『居酒屋兆治』でも以前、目立ってましたよね。
 
H:「主役」だったからね、あれは(笑)
 
惣:(笑)じゃあ「脇役」は高倉健っていう…すごい状況ですね。でもすごい印象的でしたね、ランニング着てね。
 
H:よく言われるんだよね…
 
惣:あれ名作ですよ。映画が素晴らしい。って言うと細野さんはどうなんだってことになるけど…(笑)
 
H:いやいや。自分が出た映画ってなかなか観ないんだよ。自分をあんまり見たくないんで。
 
惣:そういうもんなんですか。
 
H:でも、ついこないだ観たんだよね。4、5年前かな。
 
惣:よかったでしょ?
 
H:よかった!いい映画だ。
 
惣:そう、いい映画なんですよ、『居酒屋兆治』って。高倉健さんの映画ってどれもいいんですけれども…戻ります
、『パラダイスビュー』。
 
H:はい。
 
惣:10日間くらい沖縄に行っちゃうんですよね。
 
H:それは憶えてる、よく。うん。
 
惣:で、さあそれやって戻ってきました、って言って"Non-Standard Mixture"。
 
H:あ、それやったんだね。
 
惣:もうそれをレコーディング…セディック(SEDIC)に入っていきなり『S・F・X』のレコーディングに、入っていくんですが。
 
H:あ、そうだっけ。セディックって六本木のWAVEがあったとこで、やってたのを憶えてます。よく。
 
惣:何階建てでしたっけ。6F建てでしたっけね。
 
H:WAVEっていうビルは西武系のね。
 
惣:バブリーな、いいレコード屋さん。
 
H:いやー、いい音楽がいっぱい集まってて、何度も行ってましたよ週に。うん。
 
惣:だから、上で細野さんがレコーディングしてて。
 
H:スタジオがあったんだよね。
 
惣:下は、もうウジャウジャいいレコードがあるレコード屋で。1Fは喫茶店だったんですよね、おしゃれな。で、地下はシネ・ヴィヴァン。
 
H:そうそうそう、映画館もあって。
 
惣:いい映画館もあって。あそこに行けば一日過ごせる感じで。僕もよく行ってましたけれど。
 
H:うん。
 
惣:細野さん、大体セディックで、当時は。
 
H:よく使ってましたよ。
 
惣:ええ。レコーディングをしていくんですが…ちょっとまた戻しまして。「銀河鉄道」に戻します。
 
H:うん。
 
 
 
 
惣:で、「銀河鉄道」のオファーが来たときに細野さんはどう思いました?「やっぱり来たか」っていう感じでしたか?
 
H:やっぱり、とか、そういうことは思わないけど(笑)
 
惣:やりたかった?
 
H:いや、(オファーが)来てから、これはやりがいがあるな、って思ったね。
 
惣:やりがい、ね。
 
H:というのはやっぱり、真っ先にタイタニックの因縁というのかね、因果というか。これは宮沢賢治と向き合わないとできないな、と。そう思いながら作っていった。
 
惣:そこが訊きたいんだわ…どう向き合ったんですか?
 
H:そう「思った」だけなの(笑)
 
惣:いや、それは「向き合った」ということにしときましょう(笑)
 
H:要するに、ミディアム(medium)っていうか、その…
 
惣:ここはミディアムです。
 
H:まあそうね、(細野さんの所属する)事務所の名前ですけど。
 
惣:はい。伝承、伝達…
 
H:「霊媒」って言っちゃうとちょっとニュアンスが違うけど、宮沢賢治の気持ちね。平たく言えば、どんな気持ちで過ごした人か、っていうことに自分を合わせようとしたわけ。
 
惣:うん。
 
H:なんかこう…それまでは遠い人だったからね。岩手だしね。行ったこと無いし。仲間の一人がイーハトーヴだったけど。
 
惣:またちょっと脱線しますけど。僕は花巻に…宮沢賢治さんのトリビュートアルバムっていうのをその後、僕が監修で、ソニーで作って。
 
H:そうだっけね。
 
惣:で、細野さんにもレコーディングに参加してもらったんですが、憶えてますか?裕木奈江さんと…
※引用者註:細野さんは『宮沢賢治 メンタル・サウンド・スケッチ~星めぐりの歌』(1993年)において"星めぐりの歌"(歌:祐木奈江)のアレンジを担当。
 
H:ははあ、あれがそうか。あれいいアルバムだったね。
 
惣:いいアルバムでしょ?それ僕が作ったんですよ。
 
H:あれ、そうなんだ(笑)
 
惣:なかなかいやらしい言い方になっちゃいましたけど、しょうがないですよね。一つの才能っていうのがそこに結実してしまったっていうのは…
 
H:(笑)
 
惣:でも、まあこういうおもしろい言い方になっちゃうけど…おべんちゃらは言いませんけど、『銀河鉄道の夜』の感動は30年間、僕を包んでいる。
 
H:へぇ!
 
惣:うわマジメなこと言っちゃった。でもホントだから。
 
H:ホントなんだ。
 
惣:だから『銀河鉄道の夜』のトラックを聴いた時に、まあ浴びるように聴きました、当時。
 
H:うんうん。
 
惣:宮沢賢治さんのトリビュートアルバムを作る時にも、そのいわゆるholyな響き、僕の言い方になりますけれども。
 
H:うん。
 
惣:細野さんの音楽にholyな感じが…嗅ぐってきた、におってきた。
 
H:靴下じゃなくてね。
 
惣:靴下じゃなくて。随分いいにおいがしてきたのが、ちょうどですね、YMOが終わって…そしたらちょっと段々ね、細野さんが作る音楽に、してくるワケですよ。
 
H:なるほど。
 
惣:それがね、なぜなんだろう、と。で、そこが宮沢賢治さんが持っている世界観とクロスしていくんですけれども。
 
H:うん。
 
惣:たとえば、松田聖子さんのシングル、安田成美さんのシングルを聴いても、僕はholyだと思ってました。
 
H:ヒエー。
 
惣:たとえば"プリオシーヌ"という曲。あれは『銀河鉄道の夜』の時に作ったものですが、その後『Omni Sight Seeing』に収録される。
 
H:作り直した。歌にした。
 
 
プリオシン海岸(『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
惣:この"プリオシーヌ"を見つけているのは結構この時期、「香りがしてくる」辺り。それから『花に水』というカセットブック、無印良品の…西武系ですけど。
 
H:店内用のBGMだったんだよね。
 
惣:ホントにかかってましたね。聴きに行きましたよ僕。あれで購買意欲がわくんだろうか、とすら思いましたけど(笑)
 
H:寝ちゃうよね(笑)
 
惣:あんまり売れてませんでしたよね、最初の頃の無印良品って…でもその『花に水』を聴いた時にも同じようなものを感じたんですよね。
 
H:うん。
 
惣:つまり『フィルハーモニー』辺りからちょっとなんか、まあ"ホタル"ひとつとってもそうですけど、いわゆる今日的には「スピ系」と言いますけど、スピリチュアルね。
 
H:うんうん。
 
惣:なんか細野さんの中で変化が…まあそれがノン・スタンダードの他にもう一つあるモナドというレーベルにも結実していくと思うんですけれども。宮沢賢治さんと触れ合って行く辺りに…
 
H:まあ、きっかけにはなってるよ。確かに。
 
惣:なってますか。
 
H:やっぱり宮沢賢治の宗教観っていうのはすごく…仏教的な世界観だったり。でも、仏教に留まらないというかさ。エスペラント語を使ったりね。
 
惣:世界万物の共通語…
 
H:そうそう。そういう、世界に向けた精神世界があるわけでしょ。そこにすごく共鳴したのは確かだよね。うん。
 
惣:僕はWORLD STANDARDで通っていますが。
 
H:世界だね。
 
惣:あとはNON-STANDARD。あと無国籍な音楽をやる、『Omni Sight Seeing』もそうだし『泰安洋行』もそうだと思うんです。
 
H:はいはい。
 
惣:「無国籍」というのは、まあヴァン・ダイク・パークスVan Dyke Parks)の音楽も近いかもしれませんけれども、やっぱり細野さんが最初に提示してきた。
 
H:んー。
 
惣:たとえばマーティン・デニー(Martin Denny)とて、無国籍かなぁ、みたいな。今聴くとわりと普通のラウンジかぁ、みたいな感じもしますし。
 
H:うん(笑)
 
惣:だけども『銀河鉄道の夜』の音楽を聴いた時に、この音楽はなんだろう、というのが僕の素朴な疑問です。それは今も変わらなくて、よくわかんない、この音楽。なんで成り立ってるのか。
 
H:なんであんなのが出て来たのかね。
 
惣:なんでできたのかわかんないから、何度も聴こう、と。
 
H:あのね、杉井ギサブローさんっていう(「銀河鉄道」の)監督さん。最初に、「ゆれる音楽を」って言ったんだよ。
 
惣:「ゆれる」ってなんですかね。
 
 
幻想四次のテーマ(『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
 
H:だからね、冒頭のシーンにそれを使ったわけ。揺れてんの。画面も揺れてるしね。
 
惣:細野さんも揺れてる。
 
H:揺れてる。最初に作ったのがあれなのね。
 
惣:あ、そうですか。いいことを聞いた。
 
H:ブルブルブルっていうような。
 
惣:わかります。
 
H:実はあれがいちばん好きなんだ(笑)
 
惣:あー。
 
H:だから、「ゆれる音楽」っていうキーワードを頼りに作り始めて…あとはね、その当時聴いてた音楽っていうのを言わなきゃいけないんだけど。
 
惣:はい。
 
H:なんて言ったらいいんだろう。ドヴォルザーク(Antonín Dvořák)とかね。
 
惣:"ユーモレスク"の。
 
H:"ユーモレスク"の人だけど。あと、ロシアの…
 
惣:スメタナ(Bedřich Smetana)ですか?
 
H:スメタナじゃなくて…スメタナはロシアじゃない。えー…出てこないんだよ最近(笑)
 
惣:まあでも、ボヘミアの作曲家の方をよく細野さんは聴いていて。
 
H:それの影響が強いかもしれないね。
 
惣:チャイコフスキー(Пётр Чайковский / Peter Tchaikovsky)も聴いていた。
 
H:"アンダンテ・カンタービレAndante cantabile)"っていう曲が好きなんだよ。
 
惣:"アンダンテ・カンタービレ"は事務所でよくかけていました、細野さんが。
 
H:うん。
 
惣:それからフランク(César Franck)という。なかなか渋い人を。
 
H:フランクの"バイオリンソナタ"をずっと聴いてて、それをどっかで発表したら…
 
惣:フランクが売れたんですか?
 
H:いやいや。「レーリッヒ協会」という人たちが訪ねて来たんだよ。
 
惣:ありゃあ…
 
H:神秘主義だね。だから、そういう時代だったのかな。ニコライ・レーリヒ(Николай Рёрих / Nicholas Roerich)というロシアの退役将校が一人で、あるいは息子と二人で馬に乗ってシャンバラを訪ねていく。
 
惣:"シャンバラ通信"ですね。
 
H:そうそう。そういう憧れというか、ロマンがあったワケさ。でもビックリしたけどね、そのレーリッヒ協会が来た時は。
 
惣:今思い出しましたけど、細野さんは当時グルージェフ(Гео́ргий Гурджи́ев / George Gurdjieff)という作曲家の人がいて…
 
H:作曲、というか、まあ、神秘主義者だよ。
 
惣:でもいっぱいピアノのアルバムを出していて。
 
H:グルティエフ・ダンスっていうのがあってね、日本でも時々やってて。なんてことはないんだよね。あんまりおもしろくない(笑)
 
 
 
惣:でもね、おもしろい言い方をされていて。今も細野さんが言ったように「すごいロマンティックだ」って言ってたの。
 
H:あ、そうだっけ?
 
惣:つまり、僕からするとちょっと恐い音楽を(細野さんは)「ロマンティックだ」って。
 
H:そうか、その当時はそう思って聴いてたんだけど今はぜんぜん、憶えてないんだよな。聴いてないから、最近。
 
惣:でも、たとえばデヴィッド・リンチDavid Lynch)、その後にね。
 
H:いいねえリンチ。
 
惣:恐いでしょ?恐いこわいっていうわけ、みんな。
 
H:何が?リンチが?
 
惣:『ツイン・ピークス(Twin Peaks)』という映画。
 
H:ああ、作品がね。
 
惣:でも、去年…
 
H:WOWOWでやってたやつね。
 
惣:あれをこの歳になって観ると、ぜんぜん恐くないですよ。
 
H:ぜんぶ観たの?
 
惣:観ました。
 
H:僕は2話しか観てないんだよ。
 
惣:その時メールしましたよね(笑)「2話観たよ!」っつって、止まってましたね。忙しくなっちゃったからか…
 
H:いや、その後に観るチャンスが無いんだよ。
 
惣:だから6話がおもしろいのに…あの爆発するところが。
 
H:それなんか持ってる?貸して。
 
惣:送ってもいいですけど(笑)
 
H:DVDになったら買おうと思ってんだけど、なんないんだよ。
 
惣:いや、なってます(笑)
 
H:なってんの?!なんで知らないんだろう。
 
惣:「なってんの?!」って言われても、まあ…(笑)細野さんの財力だとすぐ買えますよ。明日買えますよ。
 
H:ぜんぜん知らなかった。
 
惣:なんで知らないのそんなこと(笑)
 
H:宣伝してくれないから。
 
惣:知ってると思ってるんですよ。
 
H:だから岡田くん。
 
O:はい。
 
惣:あれ?
 
H:宣伝しないとダメだよ。
 
O:あ…
 
惣:そうだそうだ、宣伝するものがあるでしょ?
 
H:どうぞ!
 
惣:急に…宣伝っていうところでつながったのかな。
 
O:急にですね…
 
H:うん。
 
O:あの…Li'l Daisyからボー・ハンクスのですね…突然、なんなんでしょう、これ。
 
惣:ヘンな流れ…(笑)
 
O:レイモンド・スコットのカヴァー集というのが、2作品。
 
H:貴重ですよ、これは。
 
O:出しましたが…
 
H:ボー・ハンクスは廃盤になってて、本国オランダの…イディオットじゃなくて、BASTAレーベルでは廃盤になってますから、それを日本で出したのが…
 
O:アタシです(笑)
 
H:そうですよね。宣伝になってるかな?
 
惣:なったんじゃないですか、今。急に。
 
H:ぜんぜん話題になってないからね。
 
O:ぜんぜん話題になってないですね(笑)
 
惣:細野さんは聴かれたんですか?
 
H:聴いたよ。だって、もトもと聴いてるし。声がひっくり返っちゃった(笑)
 
O:あの…こう、手元に持っておいてもらいたい感じのですね、美麗なブックレットになっておりますので。
 
惣:美麗ね!
 
H:そうだ、ブックレットがなかなかいいんだよね。
 
O:ご家庭に一つ、二つ、三つと…
 
惣:必死だね岡田くん。がんばってんの?
 
H:家庭が無いよ、みんな。家庭が無い。
 
O:あの、話題がブレブレなんですけど(笑)まあいいんですけど。
 
H:じゃあもう、これで一つ、宣伝は締めといて。どうぞ。
 
惣:宣伝から戻っていいですか?(笑)
 
H:そうだよ、音楽かけなきゃね。じゃあ1週目の最後に音楽を。
 
O:じゃあそのボー・ハンクスのアルバムから…有名なところで"Powerhouse"を。
 
H:あ、"Powerhouse"。オッケー。では、またこの続きは来週ね。お願いします。
  
 
Powerhouse - The Beau Hunks Sextette
(from『Celebration on the Planet Mars』)
 
 

2018.06.17 Inter FM「Daisy Holiday!」より

 私的永久保存版回、ふたたび…圧倒的情報量でした。

※細野さんの「プロデューサー」発音に熊本訛りを感じる…

 

daisy-holiday.sblo.jp

 
 
H:こんばんは。細野晴臣です。えー、きょうはですね…久しぶりというかな。この番組になって初めてだったかな。s-kenさん、いらっしゃい。
 
S:こんばんは。
 
H:マイク近いね(笑) 「s-ken」という名前になって30年以上でしょ?もっとか。
 
S:そうだね、1981年に…s-kenって最初はバンドでスタートしたんだけど。まあその辺は今度出る回想録でも書いたんだけど。
 
H:うん。
 
S:高円寺に住んでた時に、友達の友達みたいなのが街角で「おう、エスケン!」って俺を呼んだことがありまして、それ以来ずっと、一生の付き合いなんですけど。
 
H:ああそう。
 
S:それでおもしろいことに…当時さ、東京ロッカーズ界隈の人はみんな、(Frictionの)レックだとかラピスだとか、なんか変わった名前のヤツがいっぱいいたんだよ。(Mr.Kiteの)ジーンだとか。
 
H:いたいた。
 
S:みんな本名はよくわかんない、みたいな。
 
H:そうだよね(笑)
 
S:で、その僕をs-kenって呼んだヤツが立ち飲み屋かなんかで俺のことをエスケン、エスケンって言うから立ち飲み屋に来てるヤツらがみんなエスケン、エスケンって言い出しちゃって。
 
H:そうなんだ。自然にs-kenなんだね。
 
S:で、いろいろあって、すったもんだして…1981年にレコーディングの話が来たときに「じゃあもう個人名にしちゃおう」って。
 
H:あ、そうなんだ。s-kenを個人名に。
 
S:そう、バンドの名前だったものが…まあ、よくあるパターンなんですけどね。
 
 
 
H:僕が『TROPICAL DANDY』っていうアルバムを1970年代に作る時に初めて会ったんですよね。
 
S:そうだね、1974年とか?
 
H:そう、そのくらい。
 
S:お互い、だから…26とか27歳ぐらいかな?
 
H:若かったね。
 
S:40年以上前か(笑)
 
H:なんで(会いに)行ったのか…相談しに行ったのかな、僕が。
 
S:回想録にも書いたんで読んでほしいんですけど、それはね、ちょっと長くなるけど。
 
H:うん。
 
S:そういう趣向があって、そういう趣向のもとにいろいろやってたことを…ライトミュージックで働いてた時に、傍でいる人間で通じそうな人、細野さんぐらいしかいなかった(笑)
 
H:ああ、そうか(笑)
 
S:ひとりで考えてるのもね。大体考え自体がさ、流行のことと関係ないわけ。
 
H:関係ないよね(笑)
 
S:やっぱりひとりで考えてるのも寂しいワケですよ。だから細野さんに声を掛けたっていうワケですね。
 
H:あ、僕からじゃなかったんだっけ?
 
S:いや、僕から声を掛けましたね。
 
H:ああ、そうなんだ。まあとにかくね、興奮したんですよ。当時はマーティン・デニー(Martin Denny)が突然僕の中から…記憶がね。子供の頃聴いてたから。
 
S:うん。
 
H:アルバムとか、レコード持ってないからさ。誰か持ってないか、と思ってね、探してたんですよ。で、相談しに行って…河村要助さんが持ってるって言うんで(笑)イラストレーターのね。そんでカセットをもらったんだよ。そっからですよ、だから。
 
S:それのいきさつはね、ちゃんと書きました。
 
H:はい。その回想録が出ます。えーっと…『S-KEN 回想録』、1971年から1991年までのお話が…僕も冒頭読んだんですけどね。ちょっと忙しくて全部は読んでないんですけど。
 
S:意外とね、そのことに関しては色んな人が色んなことを言ってるんで。
 
H:ああ、そう。
 
S:最近になって、いろいろインタビューを受けたり。どうしてこうなったかっていうのを僕の記憶の範囲で、書いたんですよ。河村要助さんは僕がレコードを貸し借りする仲間で、それでかなり経って…僕が貸したレコードがありましてね、ラテンのレコードを貸してくれ、って言うのね。で、30枚ぐらい貸してるうちに、その中にウィリー・コロン(Willie Colon)っていう人のアルバムがありまして。
 
H:ウィリー・コロン、うん。
 
S:で、それが彼はすごい気に入ったみたいで。で、その中で、リコス・クレオール・バンド(Rico's Creole Band)っていうのがあったんですよ、僕が貸した中で。
 
H:うん。
 
S:こういうのがおもしろいんだよね、って言ったら僕に貸してくれたのが、マーティン・デニーも含めて、エキゾチック・サウンドだったんですよね。
 
H:そうだったんだね。
 
S:それはやっぱり…僕はちょっと知らなかったんですよ。もういろいろ、ランディー・ニューマン(Randy Newman)の"Yellow Man"とか、(カール・ダグラス(Carl Douglas)の)"Kung Fu Fighting"とか。
 
H:ちょっとエキゾチック系、ね。
 
S:R&Bの中のエキゾチック・サウンド、チャイニーズ・エレガンスみたいな。
 
H:あったね当時、いっぱい。
 
S:そういうものを集めてたんですね。
 
H:うんうん。
 
S:だから(河村さんは)「元々こういうものがあるんだよ」って(マーティン・デニー等を)教えてくれた。
 
H:そうだね、同時進行っていうか。僕の中でも個人的にそうだったから。まあ、たまたま出会ったワケだ。
 
 
Happy Talk - Martin Denny
 
 
S:さっきの話の中で一つ言えるのは、細野さんのところに僕がカセットテープを貸した、ってくだりがあるじゃないですか。
 
H:はい。
 
S:あの辺はね、色んな人が色んなことを言ってて、それで僕は黙ってたんですけど。コレクターズマガジン、ですか?そこから「実際はどうだったんですか?」っていう話が来たんですよ。
 
H:あー。
 
S:で、マーティン・デニーと実際に会った時の対談とかもその時に載せて。細野さんのシリーズをずっとやってる…ありますよね?それで来たんですよね。
 
H:ありますね、泰安洋行の。
※引用者註:『レコード・コレクターズ』誌上で連載されている「追憶の泰安洋行」(by 長谷川博一)のこと。ここで言及されているのは2017年8月号の回か?(未確認)
 
S:だからさっき細野さんが言ってた話だと、ちょっと違うんですよ。
 
H:違った(笑)
 
S:だから、そこがなんかズレちゃうなあ、とは思ってるんですよ。だからさっき言ったように、僕と河村要助の…僕の回想録の中に「感性が共鳴した人 2人」、当時、河村要助と細野さんっていうね。そういうコーナーがあって。
 
H:うんうん。
 
S:まず、細野さんと会うかなり前から彼(河村)と交流があって、レコードの貸し借りがあって。で、僕は僕でそのエキゾチック・サウンドっていうのは独自に色んな音源を集めてたワケですよ。そしたら彼が「こういう音源が好きだったらこういうのあるよ」って聴かせてくれたのが…
 
 
S:だから「エキゾチック・サウンド」に対する僕の思いっていうのは、当時の原稿にも載せましたけど、いわゆるその…マーティン・デニーだけじゃないんですよね。いろいろあって。
 
H:あったね。
 
S:で、その中の…驚いたのはマーティン・デニーからアーサー・ライマン(Arthur Lyman)から、いっぱいあるワケですよね。で、そういう一群があったというのは僕はちょっと知らなかったんですよ。
 
H:うんうん。
 
S:で、違うものを集めてて、(河村氏が)「こんなのが好きなんだったらこういうのがあるよ」って言うんで知ったのね。で、それに夢中になってる時に…僕もちょうどヤマハで編集やっていると同時にレコーディングしてたんですよ、自分のアルバムをね。
 
H:それは知らなかったね。
 
S:で、そのアルバムの録音をやってて、僕は僕で音を作ってたんですけど…
 
H:ちょっと待って。その音源はどうなってんの?
 
S:その音源は…あの、えーと…それも書いてあります(笑)
 
H:そうか、読むけど(笑)
 
S:で、その(細野さんにカセットテープを貸したくだりの)ことはみんな、色んな人に質問されて。この間もハイロウズの。彼に会ったときに話してたら急にいきなり…
 
H:うん。
 
S:「細野さんのエキゾチック・サウンドのきっかけもs-kenさんですよね」って言われたのね。
 
H:僕もそう思うよ。
 
S:彼みたいな人も知ってるワケね。
 
H:知ってるんだね(笑)
 ※引用者註:2017年、s-kenのソロアルバム『Tequila the Ripper』リリースに伴って行われた甲本ヒロト(元ザ・ハイロウズ、現ザ・クロマニヨンズ)との対談記事。
 
S:だから、この問題はかなり重要なことみたいで。
 
H:そうなんだね(笑)
 
S:僕も色んな人に色んなこと言われちゃうんですよ。だから今回、ちゃんと書こうと思ってちゃんと書いた。
 
H:そうか。読もう!
 
S:僕はその中で最初にインスピレーションしたのはマーティン・デニーじゃなくて、『旗本退屈男』なんですよ。
 
H:(笑)
 
S:そのことが書いてあります。あとはやっぱり、僕らの近くにあるのはチャイナタウンくらいしかなかったんですよね。異人都市みたいなものが。
 
H:そうそうそう。で、最後に僕にひと言くれたんですよ、s-kenが。僕がそういうのを集めてるの知って「チャイニーズ・エレガンスですね」って言ったんだよね。まあ、それがいまの話だよ、つまり。
 
S:その「チャイニーズ・エレガンスだよ」って言ったというのが…細野さんの影響力っていうのはすごいじゃないですか。だから僕がちょっとアドバイスしたっていうだけでも、僕のところにはかなりの質問がね、来てて…
 
H:(笑)
 
S:僕はなにも、25年間言われてもあー、あーって聞いてたらみんな勝手なこと言ってたんで。
 
H:尾を引く話だよ。
 
S:こういうこともちゃんと書いとかなきゃいけないなと思って、今回は書いたんです。
 
 
 
H:えー、絶賛発売中の『S-KEN 回想録』。これはじっくりね、僕も読みたいなと思って。冒頭見てたら、色んな人と繋がりがあるでしょ?s-kenは。
 
S:やっぱり…アタマ(冒頭)に世界旅行をして帰ってくるっていう場面があって、それで帰ってきたら編集をやらされたっていうことで…編集やってると色んな人に出会うじゃないですか。
 
H:うんうん。
 
S:で、いま考えるとその人たちが、細野さんも含めて、みんなすごい人になっているっていうことですね。
 
H:なるほど。まあ、自分(s-ken自身)もそうだよ(笑)
 
S:まあ…(笑)
 
H:いや、こうなるとは思わなかったもん。当時、会った時はね。なんかこう、文学的な人なんだなって思ってたら、パンクになって来たから(笑)
 
S:いや、僕だって(NYから)帰ってきたら(細野さんが)テクノカットになってて驚きましたよ(笑)
 
H:ああ、そうか(笑)
 
S:僕はサングラスで短髪になって帰ってきたら、同世代の人であんまりいないんだけど…少し経ってから近田(春夫)さんとか、遠藤賢司とか、そういう人がニュー・ウェーヴに影響されたりしたんだけど。
 
H:そうだね。
 
S:(細野さんは)いきなり、帰ってきたらもう短髪のテクノカットになってて、こっちはパンクカットになってて…だから、細野さんも驚いたかもしれないけど、僕も驚きました。
 
H:そっか、お互いに驚いてんだね(笑)
 
S:うん。
 
H:あのね、回想録のコメントっていうのかね、いとうせいこうが書いてる。
 
  「エスケンさんがいなければ日本の音楽シーンはこんなに豊饒じゃなかった。あらゆる若い才能をボスはフックアップした。ありがたいことに俺もそのひとりだ。」って書いてますね。いや、そんな人が多いんじゃないかなって思って。鋤田(正義)さんも書いてるしね。んー。
 
  なんかあの、その当時の人脈というか、やってることとか考えると、メジャーの中で大きくなってプロデューサーになったりする可能性もあったでしょ?(結果としては)なんなかった、というか、インディーズに深く入っていったでしょ?
 
S:そういう意識はあんまりないんですけど、いわゆるその…根源的に自分の好きな音楽っていうのがね、やっぱりアメリカに行ってわかったんだけど。いわゆる例えばジャズにしても、R&Bにしても、出どころっていうのはどっちかって言うとスラムとか、そういうところから出てきてるわけですね。
 
H:うんうん。
 
S:僕が行ったニューヨークでかなり影響を受けたパンクにしても、バワリー(Bowery)っていう所は当時は20時くらいに女の子がそこを歩いてたら首を絞められるような所だったんですよ。
 
H:おー、そっか。
 
S:それから、ちょうど同時期の1977年、サウス・ブロンクス(South Bronx)ではヒップホップが興ったけど、クール・ハーク(Kool Herc)にしろ、アフリカ・バンバータAfrika Bambaataa)にしろ、みんな20歳くらいでしょ?
 
H:そうね。
 
S:で、やっぱり恐くて行けなかった所だった。いまのシリアみたいな感じで。放火ばっかりされてて。
 
H:恐いよね。
 
S:それでソーホー(SoHo)ではちょうど、いまのダンス・ミュージックの走りみたいな、ラリー・レヴァンLarry Levan)とかが、パラダイス・ガレージ(Paradise Garage)とか、やっぱり1977年に出てきてる。それはもうゲイ。ゲイしか入れない、みたいなね。
 
H:んー。
 
S:そういうような、日本だと新しいものが出てくるのは青山とかさ、原宿みたいな感じじゃないですか。
 
H:そうだね(笑)
 
S:どっちかっていうと山谷みたいな所から出てきてるワケですよね。
 
H:ぜんぜん、シチュエーションが違うワケだね。
 
S:そうなんですよ。だからそういう意味で…やっぱりそういう所の、特にパンクのシーンで、何人かが頑張ればそういうことが出来てるのを見たから、あの東京ロッカーズだけは、そういう所で、僕が(NYのシーンを)知ってる人間として、まあ天命かもしれないから、ちょっと踏ん張った、っていうとこですね。
 
H:なるほどね。
 
S:僕(個人として)以外にも、いわゆるそのネットワーク(を構築して、支えていく)みたいな部分で。
 
H:それはわかるわ。あのー、本っ当に音楽好きなんだね。
 
S:自分の音楽の好きなものを追求していくと、結局そこかなっていう風になってきちゃうんだよね。
 
H:なるほど。まあ、そこら辺はおんなじだけどね、僕もね。
 
S:あ、そうですか。
 
H:決して、自分をメジャーだとは思わないし、インディーズとメジャーの間でなんかやってる、みたいなね(笑)
 
S:メジャーだとかインディーズだとか、別にこだわっているワケじゃなく、自分がやりたいことをやってる、それが続くまでやろう、と。
 
H:じゃあ、それもおんなじ。んー。
 
S:続いたら…ニューヨークからパワーをもらった、というのは、「あ、そうか。食えなくなったらやめりゃあいいんだ」と。それまで悩むことはねえな、と。で、まあ、この歳までなんか運がよかったのか、やり逃げというか、続いちゃったってことですよ。
 
 
 
H:で、前、アルバムを僕がベースで手伝いましたよね。あのアルバムが素晴らしかったんで。
 
S:あ、よかったですか。
 
H:なんていうの、歳とるとよくなるんだな、と思ってね(笑)
 
S:(笑)コメント書いて頂いてありがとうございました。
 
H:そうですね。
 
S:あのコメントがちょっとシビれましたね。
 
H:なんて書いたっけ?(笑)
 
S:なんかね、「東京の音楽だ」と。でなんか、べらんめえがカッコいい、みたいなことを言われて、それがすごく本質的なことだと思いますよ。
 ※引用者註:細野さんのコメントは次の通り。
 

 「エスケン!人柄も音楽もべらんめえでカッコイイ。

 年を重ねると音楽に渋みが出てきてこの土地柄にフィットする。

 そうだな、日本じゃなくて東京の音楽だ。

Comment - s-ken official site private eye

 

H:はい。
 
S:なんか、気分はアフロ・ビートみたいなものですけど、心の中は。でも(それが外に)出てくると訛りが出るじゃないですか。
 
H:そうだね、東京なんだよね(笑)
 
S:それでいいんじゃないかな、って。訛りが出ないとマズいんじゃないかって。
 
H:そりゃそうだね。それじゃあ、ただの写し、コピーになっちゃうとおもしろくないしね、うん。まあそこら辺も世代が似てるし東京生まれっていうのも似てる、っていうのはあるなあ。
 
S:ありますね。特に…細野さんはぜんぜんその、いつも会って相談しているワケでもない。
 
H:ほとんど会わない(笑)
 
S:ね。でもそれが、なんとなく、どんなスタイルでやろうが、聴いてるうちに奥底で感じてるところがすごく共鳴する、っていうか。
 
H:なるほどね。
 
S:言葉じゃなくて。
 
H:同じですよ。
 
  音楽かけないとね(笑)(s-kenは)プロデューサーとしてもすごい量なんで…で、最近、というかここ数年前なんですけど、いいなあ、と思って聴いてたのが、中山うりさん。素晴らしい女の子。ビックリしましたよ。サンバやってたりね。
 
S:この前レコーディングしてる時に言われてすごい驚きました。
 
H:そうですか。いやー、最初は知らなかったの、s-kenがプロデュースしてるって知らなかった。これ、誰がやってるんだろう、って思ってね。
 
S:(笑)
 
H:そしたらs-kenか、やるなあ、と思ってね。ビックリしましたよ。
 
S:ありがたいことです。
 
H:じゃあその…同時にね、コンピレーションが出るんですよね。6/27に。自叙伝本とコンピレーションの…抱き合わせじゃないですけど(笑)CDが出るんで、これはやっぱり聴きものですね。そのCDの中から、2枚組のDisc1のほうに入ってます。中山うりさんの"マドロス横丁"。聴いてください。
 
 
(from『s-ken presents Apart.Records collection 1999-2017』)
 
 
H:いいね。あの…ベルヴィルを思い出すね(笑)
 
S:なんていうかな、港…生まれ育ちも近くに魚町があり、桟橋があり、小学校の裏も岸壁だったんで、どうしてもなんかこう、港っていうか、それに関してすごく…
 
H:どこら辺の地域なの、それ?
 
S:僕は大森ですね。
 
H:大森か、いいところだ。
 
S:代々うちは品川なんですよ。
 
H:んー。港町か。
 
S:だからやっぱり海と関係あるっていうか。今度のソロアルバムも最後は港から旅立つ、みたいな感じなんですよね。
 
H:僕もそうだよ、港区だからね(笑)
 
S:『TROPICAL DANDY』にもそういう曲がありましたよね。
 
H:海辺っぽいんだよね。まあ、共通点はいっぱいあるな。でもいまの曲も、共通点っていえば、さっき言ったけど『ベルヴィル・ランデブー(Les Triplettes de Belleville)』に影響されてますよね。
 
S:そうですね。その『ベルヴィル・ランデブー』そのものがジャック・タチ(Jacques Tati)だとか、ジャンゴ・ラインハルトDjango Reinhardt)のオマージュみたいのやってるじゃないですか。
 
H:はい。
 
S:その元々のものが案外好きなんで。
 
H:そりゃそうだよね(笑)マヌーシュ(Manoush Swing)、んー…いいよね…
 
S:いわゆるその、そういうブガルー(Boogaloo)にしてもそうなんだけど、ジャンゴ・ラインハルトをポップスとして完成させたものが(日本には)なかったから。
 
H:あー、そうね。
 
S:日本の場合は(マヌーシュジャズを)民族音楽としてやってる人が多いんだけど、それを、その良さを取り入れた日本の音楽にしていくっていう作業で…過去の人はかなりやってたじゃないですか。
 
H:そうね、んー。なんか研究会みたいだね(笑)
 
S:だからそれ(最近は誰も)やってなかったんじゃないかなと思って、とやってみようかな、と。
 
H:そうね、そういうのを表現できる人がいるっていうのもまた素晴らしいよね。
 
S:そうですね、(中山)うりちゃんが現れた時に…持ってるものが…あの声と、ピッチ感があって、どうするか考えてたんですよ。
 
H:うん。
 
S:で、やっぱり高校生のときにはトランペット吹いてたっていう。で、普門館とかでやってたったいうね。その楽器を弾くキャリアをどう活かすかっていうところで、「アコーディオンいいんじゃない?」って言ったら、なんと次の日に買って来たんですよね。
 
H:アコーディオンのセンスいいよね。なかなかいないですよね。
 
S:いないですよ。
 
H:まあでも、そういうs-kenのエッセンスをつぎ込んだんだね、うりさんにもね。
 
S:なかなか珍しい…プロデュースする人ってほとんど自分が片想いっていうかね、そういう人ばっかりをプロデュースできたっていうことはラッキーだと思うけど。
 
H:うん。
 
S:うりちゃんの場合は特に…随分歳が離れてるのに、なんか近いんですよね、センスみたいなものが。じゃあこれは自分のセンス出していいな、っていう。
 
H:なるほど。なかなかね、いないんだよね。
 
S:いないでしょ?(笑)
 
H:僕もやりたいけどいないんだよ(笑)うらやましいよね。
 
S:25年間もプロデュースの世界にどんどん入ってっちゃって…
 
H:そうだよ。プロデューサーとしては、やっぱりプロだよね、それは。
 
S:入ってっちゃったから、だからもう…色んな人に出会うワケですよ。そういう意味ではその中でも…これ(コンピレーション)は近年の、ここ18年間の…
 
H:近年のを集めて2枚組に。
 
S:それで、これからメジャーになっちゃった音源っていうのは入ってません。あの、入れられない。一つのアルバムの中に。
 
H:そうかそうか、バランスがね。
 
S:ここに根っこがあるんで。ここで鍛えたものがメジャーに出て、花開いたっていう。
 
H:メジャーで花開いた人って誰?
 
S:PE'Zだとか、中山うりもそうだし、コーヒーカラーもそうだし。
 
H:そうだね。
 
S:その根っこみたいなものが、1999年に根っこを作ることができた。一つの夢だったんです、自分のスタジオがあって、みたいのが。
 
H:いいよね。
 
S:随分歳を取ってからそういうことができるようになったのは、ラッキーかな、と。
 
H:いやー、なんか、恵まれてるなと思いますよ、ホント。んー。
 
S:運がいいねって言ってくれる人は多いんですよ(笑)
 
H:たしかに(笑)
 
  そういうワケで…えー、1曲しかかからなかったけど(笑)話はホントにキリが無いので。また来てもらうしかないね。
 
S:キリが無いですよ、うーん。
 
H:また来て。お願いします。えー、s-kenさんでした。
 
S:はい。どうもありがとうございました。
 
  

2018.06.10 Inter FM「Daisy Holiday!」より

万引き家族』特集 その2 後編(収録は2018.04.18) 

 

daisy-holiday.sblo.jp


 
H:こんばんは、細野晴臣です。さあ、今日もですね、先週に引き続いて、是枝監督と、まあ通訳…通訳っつっちゃうとアレだけど(笑)司会、司会なのかな?
 
門間:なんなんでしょうか(笑)
 
H:門間さん。よろしく。
 
是枝・門間:よろしくお願いします。
 
H:まあ引き続き映画の話など、いろいろしながら進めていきたいと思いますけど。え-と…是枝監督はどういう音楽が好きなのか。
 
是枝:あ、困った…
 
H:困った?(笑)
 
是枝:そんなに造詣が深くないもんですから、音楽…
 
H:では、映画に限って言うと、どんな…?
 
是枝:映画に限って言うとですね……風のように、吹いてくる音楽が好きです。
 
H:おお(笑)
 
是枝:そのシーンに風のように吹いてきて、気がついたら消えてる、みたいなのが本当はすごく好きです。
 
H:なるほど。ああ、そう言われるとそういう風に使われてますね。風のように鳴ってる。
 
是枝:もちろん、音楽がシーンを引っ張っていく、みたいな場面がある映画も、観る分には好きなんですけど。
 
H:ええ。
 
是枝:そこが先行する形を自分の映画の中ではあんまりやってこなかった。
 
H:それは僕とおんなじ趣味です。
 
門間:細野さんもそういう音楽の使われ方をした映画がお好きだということですか?
 
H:まあ、いまの映画ではそうですよね。でも、昔の映画とか観るとやっぱりいいなと思うんですよ。イタリア映画とか。メロディーが立ち上がってくるようなね。泣くような音楽とか。そういうのが好きだったんで。でも、いまの映画には合わないですよね。最近の映画音楽でいちばんメロディアスだったのはエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)だったかな。『ニュー・シネマ・パラダイス』辺りだったかな。あれ以来やっぱり、そういうのは無いですよ。あと『バグダッド・カフェ』とか。「音楽」的な使い方をしてるのはそのぐらいかな。まあほとんど、あとはハリウッドの劇伴ってのはちょっと…もうね、あれはもう手が出ないですよ、ああいうのは。ストリングスで聴かしてくっていうようなね。ただ、まったく音楽の無い映画も大好きなんです。風の音だけの映画、よかったですね。なんだっけ、あれ。馬の映画…
 
門間:『ニーチェの馬』ですか?
 
H:『ニーチェの馬』。そうそうそう…
 
門間:ビューって音が吹いて、馬が映ってて…
 
H:そうです(笑)
 
門間:是枝さんはたとえば、そういう「風のように吹く音楽」っていう大きな、自分の好きな方向性があって、いざ音楽を作ってもらう時にそれをその音楽家の人と共有していくわけですよね。そういう音楽が欲しいんだ、ってこととか。もちろん作品ごとによって、より具体性があるんでしょうけど。
 
是枝:はい。
 
門間:一回々々、そのオーダーの仕方みたいなものは当然異なるわけですよね。
 
是枝:そうですけど…大体いつもはまず楽器を決めて。
 
H:最初に仰ってましたね。
 
是枝:自分では「今回ピアノなのかな」とか、「今回ギターかな」っていうのをなんとなくイメージしながら曲を聴き始めて…
 
門間:それでイメージを…
 
是枝:まあ楽器なんですよ。ギターが響く映画なのかピアノが響く映画なのかって結構大きく分かれる…
 
H:そっか…困ったな、両方使っちゃった(笑)
 
是枝:今回は、でも、今回はとても…
 
H:大丈夫?
 
是枝:今回はもう、楽器というよりも「細野さんの音を」っていうことだったので。作品によっては…岸田くん(岸田繁)に頼んだ時とかは「今回子供が走るのにエレキの音が、ロックで入りたい」みたいな。で、誰にしようかなとなって、ああ岸田さん、って思ったり。そういうことは今までもあります。頼み方としては。
 
H:僕は最初に作り始めたのが冒頭のシーンなんですけど、スーパーでの万引きシーンというか。
 
是枝:はい。
 
H:勝手に作ってたんですよね、最初。思うまんま。で、リリーさん(リリー・フランキー)を観てるとなんかね、気落ちが陽気になっちゃうんですよ。それでね、かなりハジけた音楽つけちゃったの。で、それを[監督に]聴いて頂いたら、首かしげられた(笑)
 
是枝:いやいや(笑)首はかしげてないです。
 
H:いや、「だろうな」と思ってひっこめたんですよね。
 
門間:僕は完成したものを観て、聴いたんですけど…
 
H:それが正しいわけですよ。完成品が正しいんです(笑)
 
門間:万引きのシーンに、ちょっと緊張感もあるような音楽ですよね。
 
 
 
Shoplifters(映画『万引き家族』より) - 細野晴臣
 
 
門間:是枝さんは「このシーンとこのシーンとこのシーンに音楽が必要なんです」っていう頼み方をされてるんですか?
 
H:そうですよね。
 
是枝:基本、最近は「この辺に音が欲しいです」っていうのをお伝えする方が…たぶん作って頂くのにやりやすいのかなって思って、そういうやり方をしてますけど。そうじゃないお願いの仕方をする時もあって。その時は「それぞれの登場人物のテーマ曲だけ作ってください」みたいな。「この人のテーマとこの人のテーマ、この人のテーマと3つください」みたいな…
 
H:それいいなあ、それやりやすいな(笑)
 
是枝:でも、結局それの楽器変えたアレンジみたいなものは、また追加でお願いしていくんですけど。
 
H:そういうの好きですね。
 
是枝:人でテーマを決めてお願いする、というのもあります。
 
門間:『海街diary』とかは?
 
是枝:『海街diary』は、最初実は「4姉妹で季節が春・夏・秋・冬なので弦楽四重奏をあてよう」と思って。
 
H:ヴィヴァルディだ(笑)
 
是枝:色んな弦楽四重奏を聴きながら脚本を書いてて…で、4人にそれぞれの楽器を決めて、とか、最初はそこまで考えてた。
 
H:んー。
 
是枝:ただ、そこまでやるとね…ちょっとやり過ぎかな、と思って、一遍その弦楽四重奏をひっこめて…お願いしました。
 
H:なるほどね。なんかこう、「やり過ぎないように」っていう感じはよくわかりますね。それは僕にもあるんで。
 
門間:じゃあ今回は冒頭のシーンだったり、このシーン、このシーン…みたいな。
 
H:で、エンドロールがね…ちょっとショックだった(笑)
 
是枝:すいません(笑)
 
H:いや、いいんですよ(笑)結果的には、素晴らしいと思いましたよ、今回。
 
是枝:あ、よかったです…
 
H:でもあの、作ってる時は「これはいいだろう!」と。3分半という枠の中でちょっとコラージュ風に作って。うん…まあでも「是枝さんだからこれはダメかな?」とか、ちょっと思いながらも「これはいいんじゃないか」って。複雑な気持ちでね、聴いてもらったんですよ。やっぱり「あ、ダメだった…」というのがあったんで…
 
是枝:(笑)
 
H:まあそれもね、よくわかるんですよね。監督の気持ちが。んー。
 
門間:映画監督と音楽家の関係性の、不思議な…
 
是枝:細野さんにダメ出しした、って言われた時がちょっとアレで…ダメ出しとは違うんです。
 
門間:ダメ出しじゃないんですね(笑)
 
H:いや、映画はね、監督のものなんで…監督がダメと…ダメっていうか、気に入らなかったらもうダメですよ。
 
門間:(笑)
 
H:あのね、かつて有名な話は黒澤監督(黒澤明)が武満さん(武満徹)に音楽を依頼した時に、マーラーかなんかが入ってたのかな、既に。それで武満さんが降りちゃったっていう話は有名ですけど。まあでもね、すごいですよ。ミュージシャンとしては僕、ソロ作ったりする時は何度も編集してね、とことんやるんですよ。それとおんなじことをね、是枝さんやってらしたんですよ、編集で。何十回って、ギリギリまでやられたんでしょ?
 
是枝:ギリギリを超えてやっちゃってたんで(笑)
 
H:超えたの?(笑)
 
是枝:申し訳ない感じなんですけど…でもやりますね、それは。
 
H:やっぱりやるんだね、とことん。で、満足されたんですね?
 
是枝:しました!
 
H:よかった(笑)
 
是枝:とことん満足しました。
 
H:それを聴いて、いちばん嬉しいです。
 
門間:完成に至るまで、是枝さんは、編集の段階で何度も何度もその試行錯誤を繰り返して…細野さんも完成に至るまで…
 
H:何度も何度もやりますね。だから、編集まで自分でやられる監督っていうのはめずらしいのかしら、日本で。
 
是枝:いま…まあ何人かいますね。
 
門間:最近増えてきてますかね、若い人に。でも是枝さんはずっと…もう、すべての作品の編集をやってらっしゃるんですよね。
 
是枝:そうですね。
 
門間:それは、是枝さんがデビューした時代にはあんまりいなかった気がしますし。
 
是枝:そうですね。僕と岩井さん(岩井俊二)ぐらいじゃないですかね。
 
H:やっぱりその、楽しいんですか、苦しいんですか。両方だと思うけど。
 
是枝:あー、両方なんですけど。ただ、もう本当にわかんなくなって、「あ、ここ、こういう映画だった」って一本の道が見えるのはやっぱり編集[の時]なんですよ。
 
H:やっぱりそうでしょうね。
 
是枝:その時の快感は、[撮影の]現場とか脚本が書き上がったとか、むしろ映画が完成するよりも快感度が高いんですよね。
 
H:わかるなあ…それ、ひとりの楽しみですよね。
 
是枝:周りにはもちろんスタッフがいるんだけど、その瞬間の、こう…「見えた!」っていう感覚は完全に自分の中だけのものですね。
 
H:そうなんだよ。
 
門間:あー。
 
是枝:でもそれが見えた時に、なんで今まで見えなかったんだろうって、もう信じらんないくらいなんだけど。でもその瞬間の快感はね、やっぱり忘れらないんですよ。
 
H:それはすごい…味わってみたいね。
 
是枝:でもそれが、後になった時に「や、もしかして違ったかも」って時も結構あるんですけど…それが訪れるまでの苦しみの1ヶ月なんですよね。1ヶ月、2ヶ月…
 
門間:ずっと苦しいんですね、最後のその段階までは。
 
是枝:苦しい。
 
H:まあ時間との戦いだからね
 
是枝:あとわからなくなっちゃって、途中で。自分が何してたか(笑)
 
門間:細野さんも途中でそういう風に、自分はどこへ向かっているんだろうってわからなくなる、みたいな経験もあるんですか?
 
H:僕の場合はね、わかんないまま始めますね。最後までわかんない(笑)最後にミックスして並べて編集しだすと、やっと見えてくるんですよ。だから、そこはちょっと似てるかもしれない。音楽と映画はやっぱり、ちょっと違いますけどね。1曲ずつの問題なんだよね。映画は2時間の中のお話なんで。だから僕には映画は、憧れるけどできないですね。いろんな人に関わってもらわなきゃいけないでしょ。大変ですよね、責任が。
 
是枝:そうですね。でも、周りが動いてくれるので…(笑)
 
H:ああそっか、ある意味では楽なんだ(笑)
 
是枝:ある意味では楽なんです。困ってるとみんな助けてくれるから。
 
 
H:今回カンヌに出られるんですよね?
 
是枝:はい、行ってきます。 
 
H:毎回っていうか、結構受賞なされてますよね、いろいろ。日本のアカデミーもそうですし。
 
是枝:でも日本のアカデミーは呼ばれるようになってまだ、5年ぐらい…それまでずっと、自分が呼ばれる場所だと思ってなかったので。でも、呼ばれ始めても「やっぱり自分が呼ばれる場所じゃないな」と…相変わらず思ってますけど(笑)
 
H:わかりますよ。僕もレコード大賞出たことあるけど。呼ばれる場所じゃないんですよ(笑)
 
門間:細野さんレコード大賞行かれたことあったんですね。
 
H:過去に一度、作曲のアレでもらったりして…つい数年前はドあたまに演奏を頼まれて、あの"Smile"って曲を歌いましたけどね。なんでそういうことをやりたかったのかね、彼らは。よくわからないです(笑)言われるまま…
 
 
 
Smile - 細野晴臣
(from『HoSoNoVa』)
 
 
 
 
 
門間:もうちょっと今回の『万引き家族』の音楽に関して伺いたいなと思うんですけど。
 
H:うん。
 
門間:いつもはギターだとかピアノだとか、まず楽器があるけど、今回の作品に関しては、とにかく「細野さんのつくる音楽」ということを期待して、それを求めてお願いされて。結果として、ギターもピアノも両方あるような音楽にはなってますよね。それは…結果は僕は耳にしてるんですけど、映画を観て。その過程のやりとりに関してもうちょっと伺いたいなと思って。
 
H:最初にお話しした時は小編成…まあギターが結構出てくるだろうと自分では思ってましたから。で、ピアノもよく使うんで。すごいスモールな編成ですけど。自分で思ったのは、今回冒頭のシーンを除いて全部ベースが入ってないんです。低音が無いんですよ。それは自分の中では発見なんですよ。「あ、ベース僕、要らないんだ」って思って。ベーシストなのに(笑)
 
門間:そうですね…(笑)気づいたらそういう作り方だったんですか?
 
H:そうなんですよ、ええ。で、なんかブラジルの作曲家のような気持ちになってたりね、してたんですよ。ブラジルの音楽もベースがあんまり入ってなかったりするんで。
 
門間:あの映像を観た時に何かブラジルにつながるものがあった、っていうこともあるんですか?
 
H:んー、なんだろう…そうですね、今までにないタイプの映画なんだろうって思ってね、ドキュメンタリーっていう印象が強かったのもその所為だし。音楽が無くても成立する、と思ってたりね。でも観る前はね、いろいろ考えてたんですよ。久しぶりの映画音楽だしね。ちょっと張り切っちゃったりしてね。僕はすごい尊敬してるのが黒澤作品に書いてる佐藤勝っていう。本当に好きなんですよ。で、外国ではイタリアのピエトロ・ジェルミに曲を書いてるカルロ・ルスティケッリっていう。「その2つを合わせたい!」って思ったんですよ(笑)で、それがやっぱりね、行き過ぎの原因なんですよ(笑)
 
是枝:最初に観て頂いた時に、「リリーさんを見ているとイタリア映画のピエトロ・ジェルミが…」って仰られて。で、子供の歩くシーンにギターがスッと入った時に、「あ、これだ」と思ったんだよね僕は、聴いて。この映画の基本の音はこれだ、と。
 
H:そう仰ってましたね。それを聴いてちょっと安心して。まあ後は作り過ぎちゃったりするのはダメだった、とか、そんなような、大した話じゃないですよ(笑)
 
是枝:(笑)
 
H:結果[=完成品]がいいんですよ。やっぱり、ああいう風に控え目に扱ってくれるのが僕は本当に…皮肉でもなんでもないですよ、これは。本当に好きなんです。
 
門間:細野さんが前からよく仰ってるのが、映画音楽のお仕事をされる時も、細野さんの方から「もっと音楽少なくていいんじゃない?」って、言われたことあるんですよね?
 
H:あの、巨匠に言っちゃったんですよ。吉田喜重さん。『人間の約束』の時に。余計なこと言っちゃったなあ、とか思うね。ずっと残ってますよ。「言わなきゃよかった」と…だから、なるべくしゃしゃり出ないようにしたいなと思いますね…まあ、それだけ僕は映画が好きだからね。映画音楽が好きっていうよりも、映画が好きなんで。いい映画を観たい、って、いつも思ってますからね。大体いい映画の時に「音楽どういうのだっけ?」とかね。あんまり印象になかったりすることも多いわけですから、それでいいんです。それが僕の理想ですから。
 
門間:でも、すごく印象に残ってます、観て(笑)
 
H:そっか、残っちゃったかぁ…今だに自信が無いんですね、僕は、うん。
 
門間:そう仰ってるから、「印象に残りました」って言うと、あんまり映画音楽のことを今回良く言ってないみたいに聞こえちゃったらどうしよう、みたいな…
 
H:いいんです、いいんです。
 
門間:でもよかったし、印象に残ってて。
 
H:適度に印象に残ってくれれば…(笑)
 
門間:そうですよね。
 
H:だからシチュエーションとか、非常に貧しい、下町のね。風景と家族と。あの音楽がホントに合ってるんだろうかって今だにちょっと自信が無いんです。僕は。まあでも、もうできちゃったんで(笑)いいなあと思います。
 
門間:でも是枝さんも、これ言っていいんですかね、試写に伺ったとき、観る前に是枝さんが「納得いきました」と仰ってましたもんね。是枝さんがそういう風に仰ってるのそんなに聞かない気がするんで。
 
是枝:あんまり言わないね。
 
H:だってこれ、構想15年ぐらい温めてたんですよね?
 
是枝:作品自体はそんなこともないんですけど、でもたぶん、この10年ぐらいいろんなことを考えてきたことを…「答え」ではないですけど、一つの形として出したという感じが今回はすごくあるので。あんまり集大成とか言われちゃうと、集大成するほどのキャリアも年齢もまだ重ねてないのでアレなんですけど…でもなんとなく、ここで一つ「。」が打てたかな、という気はしている作品ですね。
 
H:まあこれからは、また楽しみですね。
 
是枝:はい。
 
H:また、お願いしますね。あの、控え目な音楽やりますんで…(笑)
 
是枝:(笑)
 
 
 
門間:ちなみに、CDを3枚持っていらっしゃってるようですが。
 
是枝:「メゾン・ド・ヒミコ」と「銀河鉄道」と…細野さんのばっかり持ってくると媚びてるみたいでイヤだなと思って、で、別のヤツを持って来たんですけど。
 
H:お、なんだろうそれは。
 
 
H:おお!
 
是枝:映画の中で聞こえてきた歌とか音で何か、と思って持ってきて…これ、全然よく知らないんですけど、何曲目かにね"By This River"っていうね、ナンニ・モレッティ(Nanni Moretti)の『息子の部屋』(La stanza del figlio)っていう映画で、すごい印象的に、ラスト近くに1曲かかるんですけど、それが大好きで。なかなか歌詞付きの曲が映画の中で…さっきのお話にもつながるんですけど、でしゃばり過ぎずに印象的に残るってすごく難しくて、なかなか自分でもできないんですけど。これはすごくいいタイミングで、いい音が入るんです。それでちょっと持ってきました。
 
H:じゃあそれを聴きながら、締めましょうか。長い間どうもありがとうございました。
 
是枝:とんでもない、楽しかったです。
 
H:こちらこそ。
 
 
 
 By This River - Brian Eno
(from 『Before And After Science』)
 

2018.06.03 Inter FM「Daisy Holiday!」より

万引き家族』特集 その2 前編(収録は2018.04.18とのこと)

 

※『メゾン・ド・ヒミコ』のサントラ、めちゃくちゃいいですね…

 

daisy-holiday.sblo.jp


 
H:こんばんは、細野晴臣です。えー、いつもはなんか…ざっくりやってますけど、時々…はりつめたゲストが来ます(笑)時々ね。今回は、誰か、と…めずらしい方がいらっしゃってます。映画監督の是枝裕和さん。いらっしゃい。
 
是枝:どうも、おじゃまします。
 
H:はじめまして…というか、ラジオでははじめまして、ですね。
 
是枝:はい、よろしくお願いします。
 
H:で、通訳の…門間…下の名前がわからなくなっちゃった(笑)
 
門間:門間雄介と申します。
 
H:雄介さん、そうだ。通訳お願いしますね。
 
門間:ええ(笑)僕もおじゃまします。
 
H:それで、なんでこういう形になってるかというと、BRUTUSの取材を兼ねてますから、時々シャッター音が聞こえるかもしれないですね。はい。
 
門間:じゃあ…僕の方でちょっとお二人に伺いたいことをいろいろ、伺っていこうと思うんですけど…きょうお二人がお話しして頂くっていうのは是枝監督の新作『万引き家族』が間もなく公開されるということで。
 
H:そうね。
 
門間:で、細野さんが今回音楽を、担当されているということですけど。
 
是枝:はい。
 
門間:なんで是枝さんが、細野さんに音楽を…
 
H:それは僕も聴きたいんだよ(笑)
 
門間:気になりますよね、やっぱり。
 
是枝:そうですね…そうですか。不思議な組み合わせでした?
 
門間:細野さんは、その話を頂いた時っていうのは、ちょっと不思議な感じありました?
 
H:いや、不思議ではないですけどね。以前から周りの…僕の周囲のね、くるりの岸田くんとか、ハナレグミとかね。音楽的な人がやってるんだなと思ってね。そういう情報知ってましたから。別に不思議ではなかったですね。
 
門間:僕も…いや、むしろ、すごくいい組み合わせになるんじゃないのかなっていう風に、話だけ最初に伺った時には思ったんですけど。是枝さんはどういう理由で(細野さんに)お願いされたのかな、と。
 
是枝:あのね、何度か…「あ、細野さんにこれ頼めるといいかな」って思ったことは今までも何度かある。何度かあるんだけど何となく…そこまで辿りつかなかった、ですね、いろんな事情で、きっと。
 
H:うんうん。
 
是枝:それで、今回の話は…すごい、貧乏くさいって言うとアレですけど、貧しい街で暮らしている家族の話なんですけど。そこに映画が留まるのではなくて、何となくその先に少し…詩のようなものというか、寓話のようなものが立ち上がってきてほしいなという思いがあって。
 
H:うーん。
 
是枝:単純にリアリズムの中に沈んでいく話ではなくて…というのがあったもんですから。じゃあ、どういう色とどういう音を、いま自分が書いている脚本に加えていったら、それがより鮮明な形で生まれるだろうかと考えて。初めて組むカメラマン、近藤さんに頼んで…
 
門間:新しい、近藤龍人さんという方が。
 
H:うんうん。
 
是枝:で、細野さんの音の力をちょっと、お借りしたいという…そんな感じです。
 
門間:じゃあ、前々からどこかのタイミングでと、長年思われてたその念願がようやく叶ったということですかね。
 
是枝:あのね…そう。で、もう別の方で出来上がってるからあんまり言いにくいんだけどね、でも作って頂いたものも素晴らしかったから、別にそれに何の不満もないんだけどね。『空気人形』っていう映画を…
 
H:それだ。すごい好きだったんだよ、その映画。
 
是枝:こないだちょっとおじゃました時に細野さんからその映画のタイトルが出て、うわあ、と思ったんだけど。あの映画をやろうと思った時に最初に思い浮かんだのが細野さんだったの。
 
H:あ~、やりたかった…(笑)
 
是枝:そんなことがありまして。
 
門間:意外、でした。
 
H:あの『空気人形』っていうのはすごい思い入れがあるんですよ。なぜかって言うと、あのロケ現場の辺りに住んでたから。まったく同じ景色、いつも見てる景色が出てくるんで…
 
門間:あれロケどちらですか?
 
是枝:あれはですね…川の向こう側が月島で、その反対側なんですけど。
 
H:湊って言われている地帯ですね。もう今は無くなっちゃった。公園とかね。素晴らしい公園があったんだけど無くなっちゃって。
 
門間:あの風景、もう無いんですか。
 
是枝:無くなりました。
 
H:無いんですよ。だから貴重な風景が映ってますね。
 
門間:でも、『空気人形』がそういう風に細野さんと繋がってるっていうのも、ちょっとおもしろいですね。
 
H:それはね、そう思いましたよ。なんでここら辺で[ロケ地を]選んだんだろうとかいろいろ考えましたよ。いろいろ、ロケハンしたんですか、あれは。
 
是枝:しました。東京でどっかこう…なんだろうな、エアポケットじゃないけど、地上げが途中で止まっちゃってるような、そこだけ時間が止まっているっていう場所を探そうと思って。
 
H:ああおんなじだ。僕もそういうところを探してあそこに住んだんですけど…(笑)
 
門間:へえー。
 
H:今回の映画もあそこら辺に近いっていうか…まあちょっと違いますけど、川の方ですよね。
 
是枝:そうですね。今回のも、設定はだいぶ違いますけど、やっぱり周りをビルに囲まれて、そこの一か所だけ取り残されて人の目に触れなくなっている家を舞台にしようと思っていたので、そういう意味で言うとちょっと似てるところがあります。
 
H:うんうん。
 
門間:そうですよね。開発に取り残されて、1軒だけ家がポツンとあるっていう。
 
H:そうですね。花火のシーンがそれ、すごく印象的ですね。
 
是枝:はい。
 
 
 
門間:是枝さんは今回[細野さんに]お願いしたいって改めて思われて、こういう映画音楽を作るやり取りっていうのは…
 
H:これがなんかね、なんて言ったらいいんだろう、ひとりで悶々としてたんですよ(笑)なんでかって言うと是枝さん、パリに行っちゃって。
 
是枝:(笑)
 
H:「これ相談したいな」って時にはいなかったんで…まあ、勝手にやっちゃえって思って(笑)
 
門間:もともと是枝さんは、以前細野さんが作られた映画音楽も、映画を観ると同時に音楽も聴かれて、やっぱりそこで印象に残っているものがいろいろあった?
 
是枝:そうなんですよね。あの…きょうも自前のCD持ってきたんですけど。
 
H:あ、「銀河鉄道」だ。
 
是枝:これを劇場で観て…まあそれ最初は僕、宮沢賢治好きだったので、自分で花巻とか、大学時代に回ったりしていたこともあり、公開当時に観に行って。
 
H:んー、観たんですね。
 
是枝:はい、劇場で。それであまりに音楽が素晴らしくて、CDを買いまして…
 
H:そうですか(笑)
 
是枝:「映画音楽の細野さん」としては僕はこれが最初…
 
H:まあ、あんまりやってないですから。
 
是枝:これはでも、ホントに好きで。
 
H:特殊な仕事でしたけどね、僕にとっては。映画音楽って言うよりも…まあアニメーションそれ自体が音楽的なイメージなんで。いっぱい作りましたね、音楽。
 
是枝:音楽映画みたいな。
 
H:そうなんですよね。
 
門間:僕もリアルタイムで観てるはずなんですけど。まだ本当ちっちゃいころに、あの猫たちの絵と音楽とっていうのが、なんか見たことのないものとしてすごく焼き付けられたような記憶がありますね。
 
H:時々言われますよ。子供時代に観た…まあ男の子が多いですけど、刷り込まれてるみたいなね。そういう人もいるんですよね。
 
門間:1985年の作品のはずなので、YMOを一度休止…「散開」されて、その直後くらいですよね、時期的に言うと。
 
H:そうですね。
 
 
別離のテーマ(映画『銀河鉄道の夜』より) - 細野晴臣
 
 
H:それでね。[『万引き家族』の]ラッシュのフィルムを見せて頂いて、そこにガイドとしてね、僕のそういう…「銀河鉄道」とか「メゾン・ド・ヒミコ」とか、入ってたんですよね。「こんな感じで」って。
 
是枝:はい。
 
H:それを聴いちゃうとね…結構できないんですよね(笑)
 
是枝:そう、それね、いつも悩むんですよ。結構もう、お願いするのが決まると、脚本書いてる時も曲をかけながら脚本書くんで…
 
H:やっぱりね。うん。
 
是枝:で、そのイメージで編集に仮当てをするんですけど。「当てたものを聴かせてください」っていう音楽家の方と、「[音楽を]外したものだけくれればいいです」っていう方と分かれるので、両方作るんですけど。
 
H:あー、わかるわかる。
 
是枝:くるりの岸田くんなんかは「入ってないものだけもらえれば」っていうタイプでしたし。ゴンチチさんとかは「当ててもらったものを見せて頂いた方が参考になるので」って言って、当てたものをお見せしたら「このままでいいんじゃないの?」っていう(笑)
 
H:そうそう、僕もそう思っちゃった(笑)
 
是枝:すごい、ちょっと困るので…難しいところなんですこれ、たぶん。作られるほうも、もちろん難しいんだろうなって思いながら。
 
H:他人の曲じゃなくて自分の曲っていうところが…ちょっとね、混乱するんですよね(笑)
 
是枝:わかります…
 
H:で、自分がつくったものだけど、そういう風にはまた作れないな、って思ったんですよね。昔の自分といまやっぱり、ちょっと違っちゃってるんだなといろいろ考えさせられて。勉強になりましたね。
 
是枝:それは音楽に対する自分の興味とか、そういうものがどんどんどんどん変化していくっていうことですか?
 
H:そうですね。さすがに何十年も経ってますから。「銀河鉄道」からね。
 
是枝:はい。
 
H:だから、あの頃できたことは今できない、ですよね。色んな意味がありますよ。使ってる音源とか、システムが違いますから。ああいう音、音自体がいま、再現性がないんですよね。
 
是枝:んー。
 
H:だから、[ガイドの音楽を]このまま使えればな、なんて思いましたよ(笑)
 
門間:いまのお話で言うと『銀河鉄道の夜』と『メゾン・ド・ヒミコ』という名前も挙がりました。『メゾン・ド・ヒミコ』も細野さんが映画音楽を作られている作品ですけど。
 
是枝:素晴らしい。
 
H:でもね僕はね、実はコンプレックスがあって。音楽作り過ぎちゃうから、ミュージシャンなんでね。職業映画音楽作家だったらツボを心得ているでしょうけど。で、それは『メゾン・ド・ヒミコ』の時には考えながらやったんですけど、それでもまだ過剰な感じがしててね。で、抜いて、メロディーとかもう無い方がいいな、と。最近の映画は特にメロディーが無いですよね。コードの、和音の形でみせていくという。そういう職業的なあこがれもあるんですよね、映画音楽って。だから作り過ぎちゃったなっていうのはありますよね、かつては。
 
 
テーマ(映画『メゾン・ド・ヒミコ』より) - 細野晴臣
 
 
H:で、『メゾン・ド・ヒミコ』の時、試写会に行った時に、山田洋次さんが観に来てて。ひと言ね、近くでしゃべってるのを聞いて。「音楽が、いいよね。」って言ってたんだけど、それは僕には皮肉に聞こえて、いたたまれなくて…(笑)なんかね、音楽のことは憶えてなくていいんですよね。僕はそう思うんですよ、最近。だから、今回観てて。
 
是枝:はい。
 
H:[是枝監督に]お会いした時、観終わった時に「理想的だ」って僕言いましたけど、そういう意味なんですよね。
 
是枝:なるほど。
 
H:なんかこう…出過ぎてないし。なんかすごい安心する(笑)
 
是枝:よかったです(笑)
 
H:はい、よかった(笑)
 
是枝:最初、ラッシュを観て頂いた時に「ドキュメンタリーを観ているみたいな感じがするから、そんなに音楽は主張しなくてもいいんじゃないかな」って言って頂いて。
 
H:そうなんだよ。
 
是枝:それはとても、映像の作り手としてうれしいです。
 
H:まあ、まったく[音楽が]無くても観れる映画ですからね。
 
門間:うんうん。
 
H:いやー、なんだろうあのドキュメンタリー感は。不思議な映画ですよ。あの、ちょっといいですか?会話が素晴らしいんですよね。
 
是枝:ありがとうございます。
 
H:あれは演技指導っていうのはあるんですか?
 
是枝:演技指導…
 
H:放置してるんですか?
 
是枝:いや、脚本を書いてはいるんですけど…ただもう、役者が上手いんですね。
 
H:役者さんの力なんですね。
 
是枝:役者の力が大きいですね。やっぱり今回、安藤サクラさんを初めて撮りましたけど。
 
H:すごいですよね。
 
是枝:僕、自分で[脚本を]書いてるとは思えなくなりました、途中で。彼女の口から出て来た時に…すごく、色んなものにまぶされて、台詞が台詞としては、書いたものとしては立ってこない感じ…
 
H:台詞…だから、日常会話がスムーズに運んでいくわけでしょう。
 
是枝:そうですね。
 
H:で、希林さん(樹木希林)が和菓子買ってきてリリーさん(リリー・フランキー)に渡す時とか、「何だこれ?」とかね。そういうのって日常にはあるけど、映画には無いですよね。
 
是枝:なるほど…
 
H:それがおもしろくて。なんだろうこの自然さは、と。で、リリーさんがなんか…ベテラン俳優ですね(笑)
 
門間:リリーさんは是枝さんの作品では4回目、ですよね?
 
是枝:かな?
 
H:常連ですね、もう。
 
門間:もう常連、ということですよね。だから是枝さんの作品に、特に最近はリリーさんが…居ないとおかしいんじゃないかなって思っちゃうぐらい、一つのものとして感じたりもしています。
 
是枝:リリーさん自体もとてもいいと思うけど、子供の転がし方って言うんですか?は、僕ほとんどリリーさんを信頼してお任せしてるぐらいな感じ。だから、僕が子供からこういう表情欲しいなっていう時には完全にそれをわかってくれて、カメラが子供に向いている時にリリーさんがどういう話しかけ方をしたら(子供が)どう反応してくれるかみたいなことは、完全に演出寄りでやってくれてるから、すごい助かるんですね。一人そういう人がいてくれると。
 
門間:心強いですよね。
 
是枝:心強いです。
 
門間:細野さん、リリーさんとは面識もおありで…
 
H:ずいぶん昔にトークショーで一緒になったことがあって。その頃は、あの人の本職がなんだかよくわからない(笑)イラストも描くでしょ。色んな事やられて…でも話がおもしろくておもしろくて、その印象が強かったんですよ。で、そのうちに、その…ああいう名前だしね。俳優さんになるとは思わなかったんですよね。
 
是枝:いまだいぶ俳優さんの色が強くなっちゃってね。
 
門間:役者さんのお仕事多いですもんね。でもご本人は「役者さんですよね?」って訊くと「そうじゃないんだ」っていう仰り方はしますよね。
 
H:だろうな。
 
門間:[細野さんが今回の映画について]「すごく自然だ」って言うのはきっと、是枝さんは役者さんのおかげだって言ってましたけど、是枝さんのシナリオの書き方が独特だからなんじゃないのかなって思うところもあって。何度も何度も…何段階も書き換えていくじゃないですか。改稿を何度も続けていって。突然新しく付け加えるところもあったりとかして。それでどんどん、役者さんにフィットしたものにしてるのかな、っていう気もするんですけどね。
 
是枝:うんうん。
 
 
門間:役者さんはリリーさんをはじめ皆さんよかったですけど、子供たちもそうですし。細野さん、さっきも樹木さんのシーンのこと仰ってましたけど、樹木さんもよかったですよね。
 
H:あのね…見れば見るほど自分にそっくりで(笑)
 
是枝・門間:(笑)
 
H:なんかね、親しみがあるんですよ。
 
是枝:ずっとプロデューサーがね、「なんとかして2ショットが撮りたい」って言ってて(笑)ちょっと実現してないんですよね、今回ね。
 
H:そうなんですよ、会えてないんですよ。
 
門間:あ、それでこの間、細野さんが試写にいらした時に会えるか会えないかっていうところで、結局会えなかったという。
 
H:そうなんですよね。一度ロケの現場に足を運ぼうと思ったんですけど、まあちょっとタイミングが合わなかったんですよね。そこで希林さんと会えるかなと思ってたんですけど。希林さんからそういうメッセージを頂いたりして…なんか、希林さんも双子だと思ってるみたい(笑)ヨーダとか言われたり、いろいろ…
 
門間:希林さんも是枝作品の常連ですしね。
 
是枝:そうですよね、長いね。
 
 
H:まあそんなこんなで、2週目が控えてますので、ここら辺でちょっと一回締めていいですかね。
 
門間:はい。
 
H:はい。じゃあまた来週、お願いします。
 
是枝:よろしくお願いします。
 
 
 バス(映画『メゾン・ド・ヒミコ』より) - 細野晴臣