2018.07.08 Inter FM「Daisy Holiday!」より

世代的に完全に後追いな上に大遅刻かましてる引用者にとって大変意義深い3週間でした…


※願わくば'90~'00年代初頭辺りまで総括してほしい。はやく生まれたい…(?)

 

daisy-holiday.sblo.jp

 

H:こんばんは。細野晴臣です。さあて、これはね…
 
惣:あー、いっぱい話しちゃったね。
 
H:思わぬ、展開でね。長くなっちゃって。(放送が)3週(分)になっちゃうんでしょ?
 
惣:しょうがないんだな、これね。
 
H:で、一応そこに…
 
O:あ、岡田です。居ますよ、聴いてます。
 
惣:ボー・ハンクスが出たんだよね。
 
O:ボー・ハンクスのレイモンド・スコットカヴァー集、発売中です。きょうは聴いてます。
 
 
H:はい。じゃあ鈴木惣一朗くん。
 
惣:はい。じゃあノンスタンダード(NON-STANDARD)レーベルの時系列に沿って話をしてみようと思います。
 
H:オッケー。
 
惣:それでですね…(細野さんは)もう全然憶えてないから、何が行われてたのかを僕が言いますんで、何となく印象に残ってることがあれば…
 
H:いやー、教えて欲しいね。
 
惣:とにかく…『S・F・X』のレコーディングは1984年の11月ぐらいの時点でだいたい終わるんですよ。
 
H:うんうん。
 
惣:最後は"Dark Side Of The Star"というアンビエントで…
 
H:うん。
 
惣:現代音楽には「騒音音楽」という言い方もありますけれども、かなりtoo muchな…その後細野さんは「O.T.T.(Over The Top)」というコンセプトも仰ってますが、みんなを静める意味で…
 
H:チルアウト(chill out)だね。
 
惣:チルアウトですね。それを作るんですよ。それが1984年の11月11日と記録が残っていて…
 
H:具体的だね。
 
惣:そこで、まあ納めた、というか。
 
H:はい。
 
惣:でも実はそこから…レコーディングは終わりましたが、細野さんはスタートしていくんですね。つまり、レーベルとしてスタートしていく。
 
H:うんうん。 
 
惣:その翌月、12月に「細野晴臣エキゾチック・ナイト・ショー」という…
 
H:全然憶えてない(笑)
 
惣:僕は憶えています。なぜなら出てるから(笑)これは六本木の…前回も話がありましたが、WAVEの下のシネ・ヴィヴァンで。
 
H:あッ。そう言われると思い出す。
 
惣:夜中に…なんて言うんだろう、コンベンション?ライブ?みたいなものを。
 
H:なんか…どうだったんだろう、あれ。
 
惣:細野さんは"Body Snatchers"をこの時やってます。西村(麻聡)さんと一緒に。
 
H:あ、そうだ。西村くん、ベーシスト、居たねぇ。
 
惣:そう、西村さんとやっていて、僕それは見ているんですが。
 
H:見たんだ。
 
惣:だって出てるから(笑)中沢新一さんもいらっしゃいました。
 
H:あ、そうだ。
 
惣:で、ちょうど「観光音楽」なんて言い方をしている時期で。
 
H:そうだ、そうだ。
 
惣:僕は中沢さんに「ワールドスタンダードは観光音楽だ」って言われて、うまいことを言う人だな、と。その時は何も知らなかったんで、思いましたけど。"Body Snatchers"は僕、その時初めて聴いたんで、ビックリしました。
 
H:リリースする前だったのかね。
 
惣:そうです。で、翌年に入っていきます。こういう感じで流していっていいですか?
  
H:もちろん。
 
惣:で、憶えていることだけ言ってもらえればいいので。
 
H:時間無くなっちゃうけどね。
 
 
 
惣:そう。これ、締めないとダメになっちゃうんですけど…で、1985年。これをノンスタンダードの創成期と僕は思っていますけど。
 
H:はい。
 
惣:1月にMIKADOのアルバムが。
 
 
Un Naufrage En Hiver (冬のノフリージュ) - MIKADO
 
 
H:MIKADOか…
 
惣:MIKADOは細野さん…というか、YMOMIKADOをとっても好きだった。
 
H:好きだったね。
 
惣:それは、誰が見つけてきたんですか?
 
H:確か(高橋)幸宏と同時期に…ロンドンからカセットをいっぱい送ってくれる人がいて…
 
惣:へー。トシ矢嶋さんとか?
 
H:そう、トシ矢嶋。
 
惣:よく知ってるでしょ。
 
H:んー、よく知ってるね。その中に(MIKADOが)入ってたんだよ。
 
惣:あ、偶然?
 
H:うん。それがもうピカイチだったっていうか、音が良かったのね。それがきっかけで、ノンスタンダードで呼んだ時に2人が来たわけ、男女。フランスからね。
 
惣:はい。
 
H:で、録り直したんだけど、音が良くなかった(笑)そのことがすごく心残りというか。
 
惣:その「音が良くなかった」というのは、ちょっと僕も他人事ではなくて。
 
H:うん。
 
惣:細野さんはデモテープとか、カセットの音とか、そういう音が好きだった。
 
H:好きだね。
 
惣:たぶん今の耳で聴くと、最初のMIKADOは、細野さんが初めて聴いた時のものはローファイで、音があまりハイファイではなくて。
 
H:そうね。
 
惣:で、日本に来たらハイファイになっちゃった、という流れかな、と思うんですけど。
 
H:そうそうそう。
 
惣:この「音質と音楽性」って、音質が失われると音楽性もさらわれていく部分があるという…
 
H:その通り!!
 
惣:(笑)ということが、近年になってやっとわかってきました。
 
H:その通りなんだよ。これは大事な…誰も指摘しないんだよ。
 
惣:誰も指摘しないんですか?音響と音楽性のこと。
 
H:気がついてないんだよ。例えばね、1950年代に流行った歌謡曲、好きなんだよ。♪潮来花嫁さんは~、とかね。音が全部良いの。
 
惣:はい。
 
H:まあ"潮来花嫁さん"はどうか知らないけど、他の良い曲もリ・レコードが1970年代に流行るんだよね。
 
惣:リ・レコーディング、はい。
 
H:ステレオになって、ハイファイになって。それ聴くと、あんなに好きだった曲が(もう)好きじゃないワケだ。それはなぜかって言うと音質が違うからだよ。
 
惣:ね。
 
H:だからそれは大事なことなんだ、と、その時思ったわけ。
 
惣:今はIMAXハイレゾ、みたいな。くっきりハッキリ、4K8K!どうですか!みたいな感じでしょ。そんなに見えてどうするの、って、ちょっと古いですけど。
 
H:いや、本当にそう思うよ。
 
惣:そんなに聞こえてどうするの、って耳鳴りになると余計そう思うんですけど(笑)そんなに聞こえなくてもいいんじゃないかっていうのは…
 
H:谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』、これを読んでほしい。
 
惣:あ、言おうと思った…
 
H:「見えないことの美」っていうのはね。
 
惣:あります。繰り返しになりますけど、震災。2011年のころに細野さんとどっか繁華街にいて。『陰翳礼讃』の話をしたのをよく憶えています。それは渋谷の交差点の街が暗かった。電車も暗かった。
 
H:そうなんだよね、うん。
 
惣:で、(細野さんは)「気持ちいいね」、つって、暗いの気持ちいいねって、わかるわ~って(思って)。
 
H:うん。
 
惣:「(普段は)明る過ぎなんじゃない?」、みたいなことを細野さんは言っていて。それは音楽も同じなんじゃないか、って、あの辺りから疑り始めるというか。
 
H:なるほど。たとえばスリー・サンズ(The Three Suns)が好きなのは…素晴らしい陰影感があるでしょ。ロウソクの中で聴いているような音楽だ(笑)強弱とかね。
 
惣:うん。
 
H:今の音楽に無いのは強弱だから。陰影と強弱が無くなっちゃった。
 
惣:今朝、松本隆さんが「なぜ神戸にいるのか」っていうインタビューを受けてたんですよ。それは「風が吹いているからだ」って…
 
H:風男だね。
 
惣:その中で陰の話をしていたんですよ。で、結局『陰翳礼讃』の話をしていたんですけども。
 
H:ほうほう。
 
惣:光と陰…詩を書くときに陰の部分をまず描く、と。
 
H:なるほど。
 
惣:だけど、まあ阿久悠さんも生前に仰っていましたが、光の部分をみんな描くわけですよね。曲でも詩でもサウンドでも。で、陰の部分を描くことで立体的に見える、と。松本さんはいいこと仰りますね、と思いました。
 
H:まあそういう…クリエイティブな世界に欠かせない要素なんだろうね、うん。
 
惣:そうですね。この「光と陰があるから立体的に見える」。光だけだったらペタッとして、二次元的に見えるというか。
 
H:日本人は戦後、蛍光灯で暮らすようになったから。陰影が無くなっちゃった。
 
惣:ここ(=収録スタジオ)蛍光灯無いですね、やっぱり。
 
H:蛍光灯廃止。うん。
 
惣:蛍光灯、疲れるんですよね。僕は浴室を真っ暗にして寝て…入ってるんですよね。
 
H:寝てんの?
 
惣:寝てる時もあるけど。そんなに浴室が明るい理由があんのかな、って思って。洗う時に。
 
H:そうだよね。
 
惣:だから電気点けないで入ってたり。
 
H:まあわかるわ、それは。
 
惣:それが気持ちいいんで。…ちょっと脱線しましたが、戻ります。
 
H:はい。
 
 
惣:『S・F・X』を出した後、というか、直後になってくるんですけども、細野さんはそのまんま…何をやっていくかというと、ジェノヴァ、イタリア。その仕事が来るんですよ。1985年の春に。
 
H:はい。
 
惣:この時はイタリアに行かれてますよね?
 
H:行ってるよ、ジェノヴァに。インスタレーションを、メンフィス(Memphis)っていうデザイナーグループのね。コラボレーションをして、彼らがデザインをしたインスタレーションに音を…エンドレステープを仕込んで。公園に。ジェノヴァの公園にね。
 
惣:キヨッソーネ(Chiossone)公園というところだったそうです。
 
H:ああ、そうなんだ。
 
惣:で、そのエンドレステープが『エンドレス・トーキング』というアルバムに。
 
H:そうそう、まとめたんだ。
 
惣:それをやって、日本に帰ってきて。1985年の春、5月、当時NHKで『大黄河』という…
 
H:ん?
 
惣:『大黄河』っていう映画…ドラマがあったんです。
 
H:そうだっけ?
 
惣:それの(音楽の)コンペティションに細野さんと僕と宗次郎さんが入って、宗次郎さんが勝つんです。
 
H:あ、そうなの?知らなかった(笑)
 ※引用者註:『大黄河』はドラマ・映画ではなくドキュメンタリーとのこと。

NHK特集 大黄河 | NHK名作選(動画他)

 
惣:それを作った後に、YEN(レーベル)の卒業記念アルバムっていうのが出るんですよね。
 
H:ああ、まだYENがあったんだね。
 
惣:そう。♪又会う日まで~、っていうやつ。
 
H:なるほど。
 
惣:あれを僕(当時既に)ノンスタに入ってるんだけど、買いましたからね、普通に(笑)
 
H:ああそう(笑)
 
惣:あれ、終わってないんじゃない?みたいな。なのに始めちゃってていいの?みたいなことをビックリしてる時にですね、『観光』っていう本が出るんです。すごいでしょ?で、『観光』って本を僕は読んでる間に…
 
H:うん。
 
惣:「はっぴいえんどっていうのが再結成するからニッポン放送に来い」って言われたのが1985年6月です。
 
H・O:(笑)
 
H:ついてけないわ…
 
惣:「ALL TOGETHER NOW」という、国際青年記念、っていうね。
 
H:唐突に来たね、あれは。
 
惣:細野さん、よく受けましたね、これ(笑)
 
H:いやー、半信半疑だったね。なんか。困ったことは確かだよ。そんな時期じゃないな、っていう。
 
惣:まあ、みんなで相談したんだと思いますけれども…「ALL TOGETHER NOW」というコンサートが1985年6月15日に国立競技場で行われ。
 
H:んー。
 
惣:ノンスタンダードのメンバーはバックコーラスで、"さよならアメリカ、さよならニッポン"を合唱するっていう。
 
H:小西(康陽)くんがいたね(笑)
 
惣:小西くんも僕もみんな、ピチカートも(コシ)ミハルちゃんも、みんないました。で、まあそれがありました。
 
H:うんうん。
 
惣:で、細野さんは『コインシデンタル・ミュージック』っていう…当時CMをね、いっぱい…年がら年中やってて。
 
H:働き盛りだね。
 
惣:それのレコーディングに入っていくんですよ。
 
H:そうだね。
 
惣:で、ちょっとオーバーワークしてたのは事実で。かなりヘビースモーカーだったし、すごいイライラしてたし。
 
H:うん。
 
惣:で、今の平野ノラさんじゃないですけど、すごいでっかい携帯(電話)持ってて。
 
H・O:(笑)
 
惣:すごい憶えてるんですよ、僕。生まれて初めて携帯を見たのが細野さんだったんで…あの、平野ノラ調のヤツですよ。わかりますよね?
 
H:知ってるよ(笑)重いヤツね。
 
惣:トランシーバーみたいなヤツ。「はい、もしもし?!」っつって。なんかこう、この人大丈夫かな、みたいな(笑)
 
H:(笑)
 
惣:打ち合わせがね、まあ今も多いと思いますけど、非常に多く。
 
H:打ち合わせね…
 
惣:毎日打ち合わせしてましたよ。なんか。2、3人と。
 
H:やだやだ…
 
惣:もうボロボロっていうか。打ち合わせが終わったらそのままグリーン・バード(杉並)っていう、テイチクの、高円寺の方にあったスタジオに行って、朝までレコーディングするという。
 
H:そうだっけ。
 
惣:で、朝焼肉を食べて終わるという。体に非常に悪い生活を繰り返しながら、1985年は夏、7月に『銀河鉄道の夜』(発売)という…
 
H:その流れで作ってたわけ?「銀河鉄道」は。
 
惣:この流れです。春に作って、7月にはもう上映です。朝日ホールでトークイベントなんか…やった後に、もう今度、『ボーイ・ソプラノ』。ミハルちゃんのアルバムのレコーディングの手伝いに入っていくわけですよ。
 
H:すごいね。
 
惣:これはフリーダムっていう、代々木にね、今もありますけど。あそこに僕は見学しに行ったのを憶えてるんです。細野さんはもう、ヒゲで真っ黒けで。
 
H:(笑)
 
惣:カツ丼を出前で取りながら…
 
H:そんなことも憶えてんだ(笑)
 
惣:こういうことはよく憶えてるんです、人はね。でも、そのスピーカーから出てる音楽は、"野ばら"だったかどうかちょっとわかりませんけど、まあ素敵な音楽なわけ。
 
H:カツ丼じゃなかったね。
 
惣:その素敵な音楽とカツ丼とヒゲというのが、僕の『ボーイ・ソプラノ』の思い出…
 
一同:(笑)
 
 
野ばら - コシミハル
  (from『ボーイ・ソプラノ』)
 
 
 
 
惣:まあだから、現場というのはこういう厳しい世界なんだと。
 
H:そりゃそうだ…
 
惣:そんなに生易しい世界じゃないんだな、ということを知りながらですね、それが出て、先ほどのはっぴいえんどのライヴ盤(『THE HAPPY END』)がソニーで、すったもんだしながら出てるんですよ。
 
H:うんうん。
 
惣:これが1985年の9月ですよ。で、出まして。出たと思って、少し休めばいいものを、「F.O.E.」プロジェクトスタート。
 
H:休めばいいのに…(笑)
 
惣:休まないの。観音崎行ったんですよ、マリンスタジオって。
 
H:知ってるよ。
 
惣:いいとこだけどちょっと煮詰まるところで…
 
H:そうね。
 
惣:あ、「F.O.E.」はフレンズ・オブ・アース(Friends Of Earth)の略。
 
H:そう。「foe」ってそのまま訳すと「敵」になる。ヘンなの。
 
惣:そうわかっていたのに、そのままつけちゃったんですよね。
 
 
 
惣:えー、1985年。1985年の話をしています。さっき言ってた『ボーイ・ソプラノ』は11月21日に発売されます。F.O.E.始まってますよ。
 
H:んー。
 
惣:出たなと思ってたら、1985年の12月、師走に渡米します。
 
 
Sex Machine - F.O.E With James Brown
 
 
H:あれー…?
 
惣:例の取材です。
 
 
惣:まず最初に会ったのはビル・ラズウェルBill Laswell)。
 
 
惣:ニューヨークで会います。その後、アフリカ・バンバータAfrika Bambaataa)。
 
H:あー!
 
惣:憶えてますか。来日もしましたよね。
 
H:あのね、バンバータのいる事務所に行って"Body Snatchers"かけたの。聴かせたの。そしたら「クレイジー」って言われた。
 
惣:褒められたの?
 
H:いや、なんか…恐かったのかな。
 
惣:細野さんが?
 
H:じゃなくて…
 
惣:サウンドが?
 
H:うん。褒めた感じはしなかったんだよね。
 
惣:かなり、こう…強めの音楽ですからね。
 
H:うん。
 
惣:それで…まあアフリカ・バンバータに会い、それが12月10日なんですよ。で、12月11日にドクター・ジョンDr.John)に会うんですよ。
 
H:そうだっけ…?
 
惣:憶えてる?ニューヨークです。
 
H:あれ…全然憶えてないな。
 
惣:これすごいっすよ、この辺。取材ばっかりしてる。で、12月12日に、問題の日、ジェームス・ブラウンニューオーリンズで会うんです。
 
H:…アトランタだよ。
 
惣:アトランタなの?じゃあこれ間違ってるのかな…
 
H:なんか、野球場みたいな有名なところで、スーパーボウルみたいなところでライヴがあって。
 
惣:楽屋に?
 
H:うん、楽屋でインタビューした。それはたぶん前だったか後だったか、ライヴのね。もうね、(JBは)普通じゃないんだよ。なんかね一人で興奮して、人の話なんか聞いてる状態じゃないの。「Sex Machine!!」って連呼してるんだよ(笑)
 
惣:ホントに?それ。ものの本にはそう書いてありますけど。
 
H:ホントなんだよ。だからこっちも常軌を逸したことを言ってるんだよ。
 
惣:「Body Snatchers!!」とか。
 
H:うん…そうなの?(笑)
 
惣:細野さんが「Body Snatchers!!」って言ってたら会話になってないじゃないですか(笑)
 
H:全然なってなかった。まあ無理もないな、と思ってね。ライヴの時だから。
 
惣:この様子っていうのはその後、FMでオンエアーされたり、雑誌に載ったりして僕はその後知るんですけど。
 
H:そうだね。
 
惣:で、ジェームス・ブラウンに会った後、ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)に会ってるんですよね。
 
H:僕?
 
惣:12月13日。
 
H:どこで?
 
惣:ニューヨーク。ローリー・アンダーソンに会ってるんですよ。いいことしてますね、これね。
 
H:全然憶えてない(笑)
 
惣:この1週間、野中(英紀)くんが附いていったんですけど、通訳的に。で、1986年で発展期というか、ノンスタンダードが終わる年になっていくんですが。
 
H:うん。
 
惣:今の取材の様子は週刊FM、月刊プレイボーイとかいろんなところで掲載されたり、FM東京では「サウンド・マーケット」という形でずっと放送していて、僕もそれを聴きました。
 
H:そっかそっか。
 
惣:で、それがあった後に、JB来日するんですよね。
 
H:そうなんですよ。
 
惣:1986年で…青山CAYで、JBを呼んで、記者会見するんですよ。そんなことあります?
 
H:全っ然憶えてないよ(笑)
 
惣:そんなことあったら絶対見に行ったんだけど、これ行ってないんですよ。知らないんです。
 
H:夢なんじゃないの?
 
惣:調べた方がいらっしゃって、そういう風に書かれています。
 
H:へえ…
 
惣:で、これが2月3日なんです。1986年2月3日。それで翌日、2月4日に大阪城ホールでやるんですね。
 
H:ライヴね。
 
惣:F.O.E.とジェームス・ブラウンのジョイントライヴです。
 
H:そこだ、もう…それはね、忘れられない。
 
惣:この辺ちょっとツラい時期ですね、細野さん。で、僕はちょっと、ノンスタンダードそんなに続かないかなって、思い始めてた時期ですが…
 
H:(笑)
 
惣:いや、続いてほしかったんですよ?続いてほしかったんですが、続かないんじゃないかな、と、しっかり思ったのが2月8日、日本武道館で。
 
H:うん。
 
惣:東京でフレンズ・オブ・アースのジェームス・ブラウンとの…
 
H:あ、そっちを憶えてるんだ、僕は。
 
惣:大阪城ホールの後が武道館だった。
 
H:そうだったんだ。それはツラい思い出だ。
 
惣:細野さんはツラい思い出だったんで、今は訊きませんが…
 
H:いや、ジェームス・ブラウンを呼ぶっていうんで出てくれっていうんで、最初はこっち(F.O.E.)がトリだったわけ。そんなバカな、って言って前座にしてもらったわけ。
 
惣:うん
 
H:そしたらやっぱり、予想以上にブーイングがすごくて。ジェームス・ブラウンのファンっていうのはすごいコアだから。
 
惣:原理主義なんですよね、ソウルの。
 
 
惣:細野さんのソウルがわかっていないというか…
 
H:いや、わかるわけないっていうか、全然お呼びでない…
 
惣:まあ、そこでやってた音楽、スパーズ・アタックさんとか出てましたけど、ちょっとtoo muchな音楽だったので…
 
H:うん。
 
惣:細野さんが逃げるようにステージを降りられたのが印象的でした。
 
H:逃げたんだよ。座布団飛んできたから。
 
惣:座布団、ホントは無かったんですけどね。「座布団飛んだ」ってことに僕が言ったらなっちゃったっていう…すみません(笑)でも、この時にノンスタンダードの終焉を強く感じ始めた。
 
H:いちばん感じてたのは僕だよ。
 
惣:2番目は僕です。
 
H:そっか(笑)
 
惣:でね、それを感じさせた音楽が、その後に来るんですよ。
 
H:なんだい?
 
惣:それは、吉田喜重監督の『人間の約束』という(映画の)音楽を…
 
H:あー、その後なんだ。
 
惣:よくこれね、スタジオでも聴いてました。それがねえ、(細野さんは)「音楽要らない、いらない」って言って。
 
H:ちょうどね、僕の父親が倒れた時期なんだよ。
 
惣:そうそう、お父さんね。
 
H:で、映画の内容とシンクロしちゃうの。すごい気持ちが暗くなって、できない、ってつい言っちゃったんだ。今はそれを反省してるんだけどね。
 
惣:それが1986年の2月24日です。
 
H:いろんな事があったな。
 
 
 
惣:で、その翌月、3月20日。フレンズ・オブ・アース自体の『Sex Energy & Star』、最後のアルバムなんですけど、そのレコーディングが終わります。
 
H:なるほど?
 
惣:つまり、この間もレコーディングやってるんです。F.O.E.の。
 
H:うんうん。
 
惣:で、3月23日。レコーディングが終わったのは3月20日ね。その3日後にトラックダウンが終わった後、骨折します。
 
H:そこなんだよ。
 
惣:これ。この日の夜中。よく憶えてるんで。
 
H:世の中はね、ハレー彗星がやってきたの。
 
惣:えー、ハレー彗星が来たのは翌月なんです。
 
H:そっか。
 
惣:細野さんは見に行くんです。
 
H:見に行くね、翌月。うん。
 
惣:だから、まあシンクロしてるといえば、ハレー彗星の動きと細野さんの骨がシンクロしてたかもしれないですけど。
 
H:(笑)いやいや、そうやって憶えてるんだけなんだよ。ハレー彗星の年に足の骨折ったっていう。
 
惣:ココス島に行くんですね。細野さんは。
 
H:大雪が降ったんだよ。足の骨折った日はね。
 
惣:左足…
 
H:そうです。くるぶしを折っちゃって。
 
惣:パーカッションの浜口茂外也さんに発見され。
 
H:助けられ。「おじいちゃんが倒れてるよ」って誰かに言われて。見たら僕だったっていう。
 
惣:浜口さんが見つける辺り不思議ですよね。
 
H:不思議だね。おんぶしてくれて。
 
惣:で、僕が自分のを載せるわけじゃないですけど、1986年3月24日、翌日。
 
H:うん。
 
惣:僕とピチカート・ファイヴの小西くんが細野さんにインタビューする仕事があって。
 
H:そうね。
 
惣:それで僕は、(細野さんが)前日に足の骨を折ったって聞いたんで、流れたと思ってたら「いいよ」なんて言っちゃって。
 
H:んー。
 
惣:まあ、今とあんまり変わらないんですけど。「いいよ」ってなんでいいんだろう、みたいな感じなんですが。細野さんのお家に行きまして。
 
H:ああ、来たんだね。
 
惣:朝まで話を聞かせてもらいました。でも、その時の細野さんの様子は、まあ嬉しそうで。
 
H:解放されたからね。
 
惣:それまでの非常にツラそうな様子を見ていたんで、あー、これはホントになんか、終わりだ終わりだ!みたいな感じになっていって。
 
H:うん。
 
惣:ハレー彗星を見に行ってしまうんで。
 
H:そうそうそう。
 
惣:完全に、僕はね、終わったっていう…
 
H:そう、終わったんだよ(笑)
 
惣:でね、その月末が契約更新の月だったんですよ、テイチクとの。ちょうど。
 
H:あー、そう。
 
惣:それを更新しなかったんですよ。細野さんは。これは離脱です。ノンスタンダードレーベルのオーナーが、いち早く離脱されました。
 
H:(笑)
 
惣:で、残された所属バンド、アーティストはプロデューサー不在のままレコーディングを続行します。
 
H:ああ、そう。
 
惣:当時僕は知りませんでした。細野さんが契約更新しなかったことを。で、細野さんがちょっと休むんですよね、やっぱり。
 
H:んー。
 
惣:で、僕たちは、ワールドスタンダードとかSHI-SHONEN、ピチカートやアーバンダンスとかはレコーディングしてました。ずっと。
 
H:やってたんだ。
 
惣:でも細野さんはもうやんないわけですよ。居なくなっちゃったな、なんて思っていたら1986年の7月にミハルちゃんの『エコー・ド・ミハル』のレコーディングに入るんですよね。たぶん骨が治った。
 
H・O:(笑)
 
惣:それはSixtyレコードというところから、今は亡き。メルダックにありました。
 
H:ありましたね。
 
惣:Sixtyレコードと細野さんがね、急接近するという時期がこの先ちょっとあるんですけれども。
 
H:向こうの人が急接近してきたんだけどね。
 
惣:あ、細野さんがじゃないですよ、向こうのレーベル側が。近田春夫さんを筆頭に、細野さんのノンスタンダードとの契約が終わったというのを聞き付けて…
 
H:あー、そうだそうだ。
 
惣:それのレコーディングに、また入っていくんですよ。要するに、『エコー・ド・ミハル』が出たりしてくるんですが、"COME★BACK"という。
 
H:ラップだ。
 
惣:細野の『COME★BACK』というのが1987年の春、4月25日にリリースされます。この時点で完全に細野さんはノンスタじゃないんですよ。
 
H:(笑)
 
惣:僕は寝耳に水で、ショックっていうか。
 
H:そうだったんだ(笑)
 
惣:あっという間に2年が終わり、Sixtyレコードで『COME★BACK』してると。
 
H:(笑)
 
惣:聞いてないよ!って僕はよっぽど思ったらしくて、その翌月1987年の5月8日に「キーボードスペシャル」という本が当時あったんですけど、細野さんと対談するんですよね。これ憶えてなかった。
 
H:うん。
 
惣:細野さんに鈴木惣一朗が訊く、と。その時のタイトルが「歴史は早く次に行ってほしい」って書いてある。
 
H:あ、そう(笑)
 
惣:えー!みたいな(笑)その時の自分の気持ちを今思い返しますけど、たぶん愕然としたんじゃないかな、みたいな。
 
H:(笑)
 
惣:でも音楽業界は厳しい世界だな、と。この時に知ったという。
 
H:全然そんなこと考えてなかったけどね。
 
惣:これでノンスタンダードの2年にもわたる歴史はおしまいです。
 
H:お疲れ様です。話聞いてるだけで疲れちゃった。
 
惣:お疲れ様でした。
 
H:いやいや、本当に大変だった…
 
惣:ラジオではこの一部を流すと思いますが、ボックスにはすべて入れますから。
 
H:ああ、そうなんですか。
 
惣:1文字も漏らさず。みんな知りたいと思うので。…ということで岡田くん、大丈夫?
 
O:…何がですか(笑)
 
惣:はい。じゃあおしまい。お疲れさまでした。
 
H:またね、うん。
 
 
 
Pasio - World Standard
 (from『Double Happiness』)